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序
売られた姫君
しおりを挟む幼いころ、ともに授けられた白銀の十字架を翳しあい、生涯を神のためにともに生きようと誓った。けれど、時代の奔流が、それを赦してはくれなかった。
獅子の名を与えられた少年は自分の気持ちを押し殺して、旅立つ少女の背中を見つめる。引きとめることができるなら、どんなによかっただろう。けれど、彼女を父のように利用することだけは、したくない。
どうか、僕のことは、忘れて。いや、忘れないで……相反する心を宥めながら。
「――冬知らずの姫に、神の御加護を」
少年は、祈る。
* * *
売られたのだ。
自分のような中途半端な異国顔の人間をいままで育ててくれたのは、純粋な善意と慈愛によるものではない、利用できる駒だと思われていたからなのだろう。
この土地に自分たちの神を布教させるための生贄。言われるまでもない。気づかなかったおめでたい自分に嫌気がさす。
それが、彼らがいままで生かしておいてくれた代償なのだろう。文句を言える筋合いはない。
それでも、目の前が真っ白になった。
自分の前に聳え立つ男。自分は彼のモノとして献上されたのだ。ついさっきまで冗談を言い合って笑っていた同朋に突き出されて。
「どうだ、気分は」
戦乱の世に君臨するこの国の支配者と呼んで等しい、覇王の声が少女の耳底へ堕ちていく。
「Eu sou o pior……最悪よ!」
仲間に裏切られ、たったひとり残された少女は、ついさっきまで翻訳していた言語を呟き、碧き瞳をぎらつかせて、男に食いかかる。
* * *
奇跡の忌み子。
矛盾した通り名をつけられた少女はこの国の人間にしては色素の薄い白い肌に、太陽のひかりで黄金色に輝く髪に、晴れ渡る空や海を彷彿させる碧の眼を持っている。
双眸はひかりの加減で濃淡を変え、澄み切った水面を映す縹色のように見えることもあれば、夜空を染める紺碧に煌めくこともある。
その類稀なる容姿はひとびとに感嘆の声をあげさせはするが、同時に畏怖に近い印象も与えていた。神と化生、幸福と災禍が混じり合ったようなその姿を豊後国で暮らしていたひとは外つ国の悪鬼が産み落とした罪の子だと噂した。その地を治める戦国大名、大友宗麟もまた、あどけなさが残る少女の使い道にあたまを悩ませていた。
忌わしい赤子は、十五年の歳月を経て、美しい少女へと成長したのだ。
いまは亡き周防国の守護大名、大内義長の妻から生まれた彼女に罪はない。
罪の在り処は出入りしていた外つ国の商人と、悪いことと知りながら不貞を働いていた母親にある。
生まれてきたのが黒髪黒眼の姫君だったなら、そこまで嫌悪されることもなかっただろう。けれど、生まれながらに彼女は異質だった。父親はことが露見する前に母親を見限り、外つ国へ逃げ帰ろうとしたところを臣下に斬殺された。残された母親である女は精神を病んでそのまま帰らぬひととなってしまった。
義長の妻が産み落とした赤子は、時を同じくして起きた厳島の戦いにより彼の異母兄である宗麟のもとに渡り、豊後国で養育されることとなった。そのまま周防大内氏は衰退の道を辿り、結局その赤子が産まれた土地に戻ることはなく、滅亡した。
残された赤子は豊後国で一国の破滅を招いた忌み子だと存在を気味悪がられた。
金髪碧眼という見慣れない姿がまた、ひとびとを怯えさせた。
そこで宗麟は、彼女と似たような容貌を持つ、外つ国からやってきた宣教師たちに育ててもらえないかと打診したのだ。
フランシスコ・ザビエルら外つ国からやってきた宣教師たちがキリスト教の信仰をこの地へひろめはじめて二十年ちかくが経過する。布教を許可した宗麟の頼みを彼らは喜んで引き受けてくれた。
そして赤子は健やかに成長し、母国語だけでなく葡萄牙語をはじめとした南蛮の言葉も理解できる聡明な少女となった。まるで聖母マリアのようだと宣教師たちがこぞって彼女を褒め称えるようになってから、忌み子としか呼ばれていなかった少女に奇跡という二文字が頭につき、すこしずつ彼女を認める人間も現れた。このまま、宣教師の通訳として活躍していくのも悪くないと、少女も口にしていたが……
「通詞として一生を終えさせた方が、しあわせだったかもしれねぇが、いまの時代、そういうわけにはいかない。わかるだろう?」
まがりにも彼女は大名家の姫君に変わりない。側室にすることも考えたが、キリスト教を嫌悪する正妻や家臣たちが許さない。無理に自分のもとに置けば、先年に起きた領内の紛争ともども彼女にまで矛先が向く。ならば自分の手元に置くことを潔く諦め、自分よりちからある人間のもとへ送りだそう。
優秀な通詞となった少女とともに、京の都へ出たいと頼んできた宣教師たちの言葉が決め手になった。ゼウスの教えをひろめるためには、この国で一番の人間に許しを乞う必要があるのだ、と切実に訴えた彼らを見て、宗麟は閃いた。
「……お前には悪いと思うがな、武弘」
陸繋島である丹生島に築城された臼杵城の天守から見下ろす景色は海の青と陸の緑で輝いている。城下へ連なる道には背の低い黄色や橙の長春花が太陽に顔を向けながら並び、城門を挟むように植えられた薄紅色の豊後梅の満開の花が春の訪れを歓喜するように咲き乱れている。だが、花々が強調する噎せ返るほどの甘い香りと独特な潮の匂いが混ざるとその美景も台無しである。
それに、宗麟が武弘の前で勝手に少女の将来を投げたことも、気に食わない。
「彼女はここで人生を終わらせるような人間ではない。そうは思わぬか?」
京都へ向かった宣教師一行と、自分の身に降りかかるであろう運命を何も知らされていない少女を想い、宗麟はほくそ笑む。
そんな彼を、武弘は刺し殺すような視線を向けて、ぽつりと零す。
「くそじじい」
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