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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
怪盗アプリコット・ムーンとウィルバーが愛する薔薇の花嫁
しおりを挟む麻縄で両手を縛られ、目隠しをさせられいまにも破れそうなみすぼらしい布切れを纏っただけの女が大勢の憲兵服の男たちに連れられ、王城の門を抜け、薄桃色の薔薇咲く煉瓦造りの小道を引きずられていく。
向かう先は王都の中心部にある時計台広場。ふだんは小鳥たちが水浴びに来る噴水は止められ、その周囲には野次馬の姿がずらり。
「怪盗アプリコット・ムーン。謀反の罪で火あぶりの刑に処す!」
縛られた状態のまま、磔台に固定され、怪盗アプリコット・ムーンの無惨な姿が晒される。
罵詈雑言と石礫を投げつけられ、頬や肩に傷が走り、ぶわりと赤い血の粒や青い痣が浮かぶ。何を言われても攻撃されても反応しない女怪盗は、ひとりの憲兵に目隠しを外され、身動きのとれない状況下、これから炎で焼き殺されることを悟ったのか、黒ずんだ深緑色の瞳をしばたかせた。
取り調べの際にうっかり自白薬を過剰摂取して廃人と化してしまった彼女は、周囲の反応をまったく気にすることなく、ふい、と顔をあらぬ方向へ向ける。
ひとりの憲兵と瞳があった。
彼は、スワンレイク王国の憲兵団長、ウィルバー・スワンレイク。
明るいはずの空色の瞳は死んだ魚のように濁っていて、女怪盗の姿を視界に入れるのを拒むように俯いている。
二代目国王崩御と三代目国王フェリックスの即位によって、取り調べ中だった怪盗アプリコット・ムーンの処遇は劇的に変化する。
国王アイカラスが死んだのは古代魔術を操る胡散臭い魔女、怪盗アプリコット・ムーンが無事に捕らわれたいまも憲兵団長を誑かし、自分の思い通りに物事をすすめているからだという同胞からの密告で、彼女の罪状に王殺しが加わった。
憲兵団長の取り調べでは埒が明かないと新たに玉座に座った国王フェリックスはウィルバーが持っていた自白剤をすべて空にしてから怪盗アプリコット・ムーンを奪い、王城にある地下牢へ閉じ込めた。そのうえ、心を閉ざした彼女へ口封じと称してリヴラの秘薬も飲ませ、死を賜る。魔法耐性のある人間でも必ず内側から滅ぼさせるという究極の毒薬によって、心なき怪盗アプリコット・ムーンは声を奪われ、聴力を失い、心だけでなくすこしずつ自分を形作っていたものを内側から壊されていく。
だが、身体組織が壊死していくのを見届けるほど、新国王は気が長くなかった。
国民たちの支持を勝ち得るため、また、魔法の時代は終わったのだと宣言すべく、廃人と化した怪盗アプリコット・ムーンの公開処刑が決定する。
「――最後に、言い残すことはないか」
反吐が出るような男の声に、女怪盗は反応しない。ひたすら、自分に視線をあわせない憲兵団長のことを、救いを求めるように見つめている。かつて美しい緑柱石のような輝きを魅せていた瞳を曇らせて。
けれど彼は最後まで彼女と顔を合わせない。
「……よい。火をつけろ!」
磔台に向かって火のまわりを早めるための油が撒かれ、新国王万歳、の声とともに炎がかかる。
彼女を辛うじて守っていたみすぼらしい布はあっという間に火に包まれ、女怪盗の足先から胸元にかけて炎が走る。
声を奪われた女の悲鳴はなく、高温で肉が焼かれる焦げ臭いニオイとぱきぱきと火の粉が勢いよくはぜる音だけが、火刑が行われていることを示していた。
かつて雪のように真っ白だった肌が焼けただれ、赤く、赤黒く、黒く変化していく。
そして肉片がすべて燃やされ残った骨は、桃色で。
飛び散った骨の欠片を、ウィルバーが拾い集めて、泣いている。
* * *
「……っ!」
胸くそ悪い夢というものは、何度も視ているが、実際に在ったかのように体験するのはいつだって心臓に悪い。
ようやく愛するウィルバーが王殺しの罪人として処刑される“不確定な未来”を退けたと思ったら、今度は案の定、自分に返ってきてしまった……ローザベルは布団のなかで似合わない舌打ちをする。
自白を強要すると言いながら口移しで飲まされた媚薬によって身体を高められ、ローザベルの記憶がないウィルバーとひとつになった後に視た“不確定な未来”……魔法封じの枷を外した状態で意識を飛ばしてしまったからか、そのまま“星詠み”のちからを行使することができたらしい。
だが、こんなことで自分がまだノーザンクロスの一族のローザベルでいられることを知ることができてもちっとも嬉しくない。どうせなら幸せになれる“不確定な未来”が視たかった……
だが、花の離宮のウィルバーの寝室で、ローザベルは悪夢という名の“不確定な未来”を視ている。
それは怪盗アプリコット・ムーンが王殺しとなって極刑に処されるという最悪なシナリオだ。
そもそも自分は夫を王殺しにしたくなくて怪盗アプリコット・ムーンになったのに、なぜ自分が王殺しにならなくてはならないのだろう?
けれど夢のなかにはヒントになる事柄も隠されている。だっていま視たのは外れる確率がある予知夢……確実に起こった出来事ではない、これから起こる可能性の高い出来事でしかないのだから。
ノーザンクロスの人間にしかできない、時間干渉という名の大魔法。いちど、ウィルバーを救うために使ってしまったローザベルだが、もう一度、“やりなおしの魔法”をつかうことはできるのだろうか。
「……ひとつずつ、可能性の芽を潰していくしかないですね」
ローザベルが眠っている間に寝室はきれいに掃除されていた。おまけにお気に入りのマゼンタ色のナイトドレスを素肌の上から着せられている。どちらもウィルバーがしてくれたのだろう。
妻の記憶を失っているくせに、わたしにお気に入りのナイトドレスを着せるなんて……とまたしても複雑な気持ちになるローザベルである。
作業机の上に飾られていた水色硝子の花瓶もウィルバーの瞳の色みたいで気に入っていたが、割れてしまったのならば仕方ない。
それに、ローザベルはあのとき花瓶を割った風の精霊に感謝しなくてはいけないだろう。ウィルバーとゴドウィンの興味深い会話をはじめから聞けなかったのは残念だが、古代魔術研究の第一人者である第二皇太子が、ノーザンクロスの名をウィルバーに唆してくれたことで、自分は彼とふたたびひとつになることが叶って、“星詠み”のちからを取り戻すことができたのだから。
「でも、“稀なる石”は、二度もわたしの大きな魔法に応えてくれるかしら……」
はぁ、とため息をつくローザベルの背後で、カチャリという鍵の動く音と同時に扉がひらく。
「――起きていたのか」
驚いた表情のウィルバーを見て、ローザベルは苦笑を浮かべる。ずいぶん時間が経過したように思っていたが、もしかしたら意識を飛ばしていたのはほんの数刻だったのかもしれない。
「起きていたら、いけなかったですか?」
「いや……身体は大丈夫か」
あれだけ啼かせておきながら、ウィルバーは心配そうにローザベルの瞳をのぞきこむ。ローザベルの記憶がないくせに、あのときと同じ、彼の態度。そして仕草。
「痛いです」
「だよな……悪ぃ」
しょんぼりするウィルバーに、なんで憲兵団長が怪盗に謝るんですかと言いたくなったが、さきほどの情事がふたりを素直にさせる。
「けど、こわいくらい……良かったです」
結婚初夜に塗られた香油と同じ成分の飲むタイプの媚薬。フルーティーで濃厚なお酒のような媚薬を口移しで飲まされて、ローザベルは信じられないくらい淫らに乱れた。
正常位ですることが当たり前だったのに、ウィルバーにせがまれるがまま、枷を外されてからは後ろ向きで動物のように交わったり、抱き上げられた状態で貫かれたり、さまざまな体位を教えられ、ローザベルは変わってしまった。
――俺なしではいられない身体にする。
その通りだと、身体が疼く。
もう、すべてを吐き出して楽になりたい。
けれど、そうしたら、今度はローザベルが王殺しの罪人として、魔女として極刑に処される危機を告げなくてはいけない。
それに……
――わたしが自分の妻だということを伝えたところで、記憶を失っている彼が素直に信じてくれるとは思えない。
「淫乱」
「なっ」
ローザベルの反応に満足したのか、ウィルバーはにやりと笑って彼女が眠っていた寝台に腰を下ろす。
ウィルバーに近づかれてびくりと身体を震わせるローザベルだったが、「今日はもうしねぇよ」と彼は小気味良く笑って彼女の髪をそうっと撫でる。
ローザベルの黒髪をぽんぽん撫でたかと思えば、軽く口づけられ、そこに神経が走っているわけでもないのに落ち着かない気持ちになる。
「……俺も、気持ちよかった。ごめん、やっぱり手放せない。君は、何があっても起こっても、俺のモノなんだから」
「ウィルバー……?」
その言葉は夫婦生活を送るなかで、よくウィルバーが口ずさんでいたものだ。
何があっても起こっても、俺を見捨てたりしないで欲しいと希っていた彼は、怪盗アプリコット・ムーンを抱いて、もはや手放せないと言いたそうに、彼女の身体をかき抱いている。
ローザベルの方が、今になって自分を見捨てたりしないでと、自分で裏切っておきながらいつまでも甘い牢獄でウィルバーに囚われていたいなどと裏腹な願いを潜めはじめてしまい、矛盾する想いに困惑しているというのに。
「怪盗アプリコット・ムーン。君が何者でも構わない。はじめは愛玩奴隷として傍に置こうと思っていたけれど、いまは花嫁にしたいと考えている。けれど、俺の使命は君の身元を割り出しことの真相を王家へ伝えることだ」
「――花嫁ですか?」
「あ……こんな形でプロポーズするなんて、おかしいよな」
「いいえ……いいえ! そんなことありません」
あえて茶化すことなく応えるローザベルに、ウィルバーはうん、と嬉しそうに頷く。
憲兵団長が怪盗に求婚する……かつての自分のことを忘れているウィルバーが、ふたたび見初めてくれた現実に戸惑いながらも、ローザベルは嬉しい気持ちを隠せず、彼の胸に顔を寄せてしまう。
「だけど……君を無事に俺の花嫁にするためには、怪盗アプリコット・ムーンの正体……身元を聞き出し、王の許可を得る必要がある。このままだんまりを貫き通すというのならば、君は愛玩奴隷のままだ。そうなったら容赦なく俺はどんどん取り調べをエスカレートさせていく。あの媚薬はまだ序の口だ」
「序の口……」
あれで序の口だと言い放つウィルバーに、ローザベルの表情が凍りつく。
これ以上強い薬があるのだと暗に告げる彼を見て、次に飲まされる薬が、さきほど視た“不確定な未来”に関係する鍵なのではないかと不安に苛まれてしまう。
「けど……俺は君に飲んでもらいたくないと思ってる……いくらオリヴィアどのが大丈夫だと言っていても、加減を間違えたら君を、今度こそ失ってしまいそうで……」
――今度こそ?
ローザベルはウィルバーの、空色の瞳に視線を向ける。翠緑色の煌めきが、彼を射る。
「大切な宝物は、もう二度と手放しちゃダメだと……ゴドウィンにいさまが言っていた。きっと、俺はいちど、なんらかの形で君を手にいれていたんだ……だから、俺のことを識っていたんだろう? 鈴なりに咲く薔薇のように可憐な、俺の花嫁さん?」
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