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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
ウィルバーの初恋と白鳥たちの怪盗捕獲計画
しおりを挟むウィルバー・スワンレイクは旧大陸アルヴスのグランスピカ公国の公爵の息子として生まれ、十歳の夏までそこで過ごしていた。
当時、アルヴスは土地や資源をめぐる国同士のいさかいがしきりに起こっており、ウィルバーの父公爵もその争いに巻き込まれて命を落としている。
奴隷階級の愛妾を母に持っていたウィルバーは父が亡くなったことで年の離れたふたりの異母兄と隔てられ、父の腹心の部下であった憲兵のもとで暮らすことになった。
それなりに穏やかな暮らしだったが、戦況はますます悪化。スワンレイクの一族は散り散りになっていた。
もはや、父が支えた母国は遅かれ早かれ地図から消えるのだと諦めもついていた。
そんなときに新大陸ラーウスの存在が明るみになり、ウィルバーの兄たちが亡命した。故国を捨て新天地を夢見た彼らをウィルバーはどこか冷めた目で見ていた。
やがて、祖父のマーマデュークがスワンレイクという国家を建立し、伯父のアイカラスを皇太子に擁立する。
海を越えた新大陸で、魔法のように国をつくったマーマデュークにウィルバーは会ったことがない。彼より先に死んだ息子が残した奴隷階級の女の子どもの存在など、知らされてもいないのだろう。
新大陸の知らないところで自分の血縁がつづいていく。それは不思議な気分だった。
けれどもそれは自分と関わることのない、雲の上の話だと、そう思っていた。
スワンレイク王家の使者から、自分が必要だと呼び寄せられるまでは……
* * *
早朝、怪盗アプリコット・ムーンからの予告状を受け取ったウィルバーは、大慌てで車を呼び、ひとり王城へ急ぐ。
邸から花の離宮へ引っ越してきたばかりだというのに、なぜ女怪盗は自分の所在を知ることができたのだろう。
古代魔術を扱う怪盗アプリコット・ムーンは平穏を保っている現スワンレイク王国を騒がす罪人だ。
国王いわく“稀なる石”という特殊な魔力を持つ石を狙っており、集めることで上位の魔法を扱うことができるのだという。怪盗アプリコット・ムーンが撤退する際につかう転移の術も“稀なる石”の魔力を利用したものだと考えられる。だが、転移よりもさらに強力な魔法を行使するとなると、よりたくさんの“稀なる石”が必要になるのだ、と。
憲兵団への報告書には、国家転覆を目論む反逆分子が関与している可能性が挙げられていた。国王が怪盗アプリコット・ムーンを生け捕りにしろと命令したのも頷ける。彼女を殺したら全貌を見ることは永遠に叶わなくなる。捕らえた後も拷問にかけすべてを吐かせるまでは、裁けないのだ。
だからウィルバーは今度こそ捕まえるため、アイカラスのもとへ向かう。
――国王の特別なちからを借りて、怪盗アプリコット・ムーンを卑劣な罠にかけるため。
正直、騙し討ちという方法はすきになれない。けれど、こっちも王命がかかっている。それに、愛する妻が言っていたのだ、「怪盗アプリコット・ムーンをつかまえたら、一緒の寝室で寝てあげる」と。
妻のローザベルもまた、古代魔術を嗜むノーザンクロスの姫君である。けれど、彼女が扱う魔法は日常生活で精霊のちからを借りる程度の、ちっぽけなものだ。現場で女怪盗と対峙する際に感じる膨れ上がった魔力と比べたら微々たるもの。
ただ、怪盗アプリコット・ムーンの予告状を見たときに面白そうに笑っていた。
「風の精霊が運んできたのね」
魔術を嗜む女怪盗は簡単にウィルバーの場所を特定することができるのだろう。だからこうも毎回ピンポイントに杏色の封筒を届けに来るのだ。ローザベルがいう、風の精霊を頼って。
* * *
祖父が新大陸でスワンレイクという国家を建立した翌年、ウィルバーもアルヴスからラーウスへと船で渡ることになった。
父親がわりのグランスピカの憲兵は流れ弾にあたって死んだ。後にあれはマーマデュークの孫だと判明したウィルバーを狙ったものだったのだと知り、肝を冷やした。
呼び寄せられた理由もわからないまま、彼はひとりの少女と顔をあわせることになる。
「はじめまして、白鳥の雛鳥さん」
フリルもレースもついていない、シンプルな黄色がかった橙色のワンピースドレスを着た黒髪の短髪の少女は、ウィルバーと同い年くらいだった。白鳥の雛鳥、という言葉に驚いて顔をあげれば、少女が針葉樹林を彷彿させる鮮やかなみどりの瞳を向けて、楽しそうに微笑む。
「おばあさまの予言は、ぜったいにはずれないの。いまは灰色の白鳥さん」
王族の恥さらし。蛮族の奴隷を母に持つ息子……醜い灰色の白鳥。
十歳のウィルバーは自分を蔑む数々の単語の意味を知りはじめていた。事実だから怒ることはないけれど、初対面の可愛らしい女の子にまでそのようなことを言われてしまうとすこし、いやかなりがっかりしてしまう。
それでも少女はウィルバーの反応を気にすることなくお喋りをつづけていく。
その、小鳥が囀ずるような愛らしい声音に、いつしかウィルバーは引き込まれていた。
「知ってる? 白鳥の雛鳥はみんな灰色なの。おとなになったら、純白の綺麗な翼で大空を羽ばたくのよ」
灰色の白鳥はそう遠くない未来、誰もがうらやむ美しくおおきな白鳥へと成長するのだと告げられ、嬉しくなる。
彼女の名前はローザベル・ノーザンクロス。ラーウスの先住民族で、古代魔術を継承している星詠みが専門の魔女の娘だ。
ラーウスに渡ったウィルバーはスワンレイク王国の城で死の床についていた国王マーマデュークと謁見した。病床ではじめて見た祖父王の姿は偉大としか言いようがなかった。
その彼に、紹介されたのがローザベルだ。宮廷魔術師アイーダの曾孫で、十歳でありながら精霊と対話でき、ささやかな魔法を扱える神秘的な姫君。ウィルバーと同い年でありながらどこか大人びた風貌に、軽やかな短髪が印象的だ。ほかにもすらりとした脚に膨らみだした胸というアンバランスな体つきに、何よりも吸い込まれるような翡翠色の虹彩がウィルバーを魅了する。
アルヴスにいた頃にも娼館の娘や公国の貴族令嬢などを見ていたが、ローザベルのような娘は見たことがなかった。ウィルバーは彼女を前に、緊張で硬直してしまう。
王はウィルバーとローザベルに、八年後の春、結婚式を挙げるよう命令した。体のいい政略結婚の駒として呼び寄せられたのだなと理解したウィルバーだったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
相変わらず緊張しつづけていたウィルバーを見て、ローザベルは自分からワンピースの裾を両手に持って、ぺこりと淑女の礼をする。
「ウィルバーさま。ローザベルが、あなたのお嫁さんになります……よろしくお願いしますね」
「あ……あぁ」
婚約のための顔合わせはほんの一瞬。
けれど、ウィルバーが彼女の虜になるには充分な時間だった。
* * *
愛しい妻のことを思い出すとどうしてこんなにも頬が緩んでしまうのだろう。ウィルバーはにやつく表情を押しとどめ、玉座に座るアイカラスを見つめる。
「予告状が届いた、か」
「その通りです。それも『花の離宮』に」
「――神殿跡の遺物が今回の標的か」
「予告状には『聖棺』と」
「おやおや」
自分がウィルバー夫婦に花の離宮へ移るよう命じてすぐに、怪盗アプリコット・ムーンから予告状が届いたという。
向こうも不確定な未来が近づいていると考えたのだろう、自分の夫に正体が露見する危険を冒そうとしてまで、彼女は怪盗としての務めを果たそうとしている。
アイカラスは何も気づいていないウィルバーにさりげなく提案する。
「任務遂行をするというのなら、妻の身柄はこちらで預かりたい」
「ローザを? 別に彼女がいても問題ないのでは」
「相手は得たいの知れない古代魔術を扱う怪盗アプリコット・ムーンだ。危険な目に遭遇するとも限らない……それに、わしの元へわざわざ事前に来たというのはウィルにもあの女怪盗を生け捕りにするための考えがあるのだろう?」
アイカラスはにやりといやらしい笑みを浮かべている。そう、ウィルバーがノーザンクロスの娘との婚姻によって得た北十字の守護のちから――魔法耐性をその身体に上書きしたのと同様、アイカラスの身体にもまた、初代国王マーマデュークが残した“呪い”とも呼べる古代魔術による異なるちからが宿っているのだ。
王の秘密を知るのはウィルバーより先に亡命した父の正妻のふたりの息子……げんざいアイカラスの養子として扱われている皇太子をはじめとしたスワンレイク王家の後継候補のみ。後継候補から除外されていたウィルバーがこの秘密を知ることになったのは、ローザベルとの結婚によって憲兵団長の地位を賜り、国民に王弟の息子であると認知されるようになったからだ。とはいえ、アイカラスはウィルバーを次の王にするつもりはないとからから笑っている。
ウィルバーも自分が王の器となりうる人間だとは到底思っていない。仕事は忙しいが、愛する妻と充実した生活を送れているのだから文句はないと伯父に言い放てば、彼はすこしだけ困った顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「はい。幻術には、幻術で対抗します」
けれどその生活を怪盗アプリコット・ムーンが脅かしている。古代魔術のちからでスワンレイク王国の壊滅を狙う反乱分子。彼女を捕まえて、真相を吐かせて、しかるべき罰を与えなくては――……
国家を守る憲団の長として、ウィルバーは穏やかな表情を無に返し、鬼気とした表情で王へ計画を告げる。
憎き女怪盗を生け捕り、花の離宮に眠る美しい監獄へとつなぐため。
運命の、花残月の朔日まであと二日――……
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