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白鳥とアプリコット・ムーン 本編

怪盗アプリコット・ムーンと憲兵団長ウィルバー

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 彼女と同じ名前の赤みがかった黄色の月アプリコット・ムーンが夜空に輝いている。その明かりの下で、濃紺の背景に溶け込んだかのように、ぴったりとした黒服のシルエットが宙を翔ける。

「いたぞ、こっちだ!」
「今夜こそつかまえてやるぞアプリコット・ムーン!」

 小柄な影は女性特有のプロポーション……膨らみを帯びた胸と膝丈のスカートで隠された丸みのあるお尻、すらりと伸びた羚羊カモシカのような脚を映し出している。
 俊敏な動きで周囲を惑わす黒い影の正体はこの新大陸ラーウスを騒がす正体不明の女怪盗アプリコット・ムーン。
 彼女が盗むのはラーウスに古くから存在する“まれなる石”ばかり。宝石のようにキラキラしているものがほとんどだが、最近は設営されたばかりの博物館や美術館に飾られた化石や原石、果ては庭園の石ころを奪っていくこともある。子どものイタズラと呼ぶには度が過ぎる度々の予告状と盗み、それを面白がる人間たちによって、いつしか王国の憲兵団も血眼になって追いかけるようになっていた。

「ふふっ、今夜も怪盗アプリコット・ムーン様が“稀なる石”をいただいていくわ」

 憲兵たちは希少価値の高い稀なる石、要するに宝玉や武器などに加工されたものの真実の価値などちっとも理解していないだろう。
 けれども新大陸に移民たちが渡ってくる前からこの地ラーウスに棲まうアプリコット・ムーンは知っている。この“稀なる石”を集めることで、大切なひとを救えることを。

 本日のターゲットは美術展の目玉とされている白銀のティアラ、“ヴィオレットユーニ”。旧大陸のとある公国の言葉で“六月の紫”を意味するのだという。高貴な紫の名がついている通り、ティアラには紫色がかったラーウスの稀なる石が使われていた。それも、中央の目立つ位置に。

 ――旧大陸アルヴスの人間が勝手に持ち出して加工したのね、悔しいけれどきれい……

 魔法という概念が消えかけているこの世界において、“稀なる石”はその名前のとおり魔法をつかうための媒介になる魔力を秘めた稀少な石だ。魔法をつかわない人間からすればただの磨けば光る美しい石でしかないが、魔術を扱う人間たちにとってこの石はそれ以上の価値がある。
 だから怪盗アプリコット・ムーンは正々堂々予告状を出し、今夜も真新しい美術館の屋根の上から軽やかに侵入する。
 白銀のティアラは硝子製のボックスに厳重に囲われ、天鵞絨の朱色の布の上にどっかりと座っていた。
 実物を目の当たりにして動きを止めた女怪盗に、大柄の男が体当たりせんとぶつかってくる。が、それをひょいとかわして彼女ははぁとため息をつく。

「じっくり鑑賞するのは盗んでからにするわ」

 男はその声にぎょっとしたのか、振り向こうとするが、女怪盗はそれを許さない。

「もう、寝てなさい」
「ぐっ」

 ティアラの石がギラリと煌めく。ラーウスの古代魔術で向かってきた憲兵を眠らせて、あらためて“ヴィオレットユーニ”をのぞきこむ。
 この程度の魔術で消耗するような石ならば必要ないと割りきっていたが、見込んだとおり、まだまだ魔力は存分に残っていそうだ。アプリコット・ムーンの手が硝子ケースに伸び、持ち主不在のティアラに届く。

 建立されて十年目を迎えるスワンレイク王国の妃に捧げられる予定だった“ヴィオレットユーニ”。けれど王はそのティアラを国民に見せるよう美術館に指示し、展示が終わってからこっそり楽しむと言い放っていた。
 それを一方的な理由で盗んで自分の手元においてしまうことに罪悪感がないとは言いがたいが……

「覚悟しろ、アプリコット・ムーン!」
「その声は憲兵団長……ウィルバー・スワンレイクっ!?」

 いけない、考え事をしていたからか憲兵団長、ウィルバーの存在に気づくのに遅れてしまった。アプリコット・ムーンは慌ててティアラを掴みとり、自らの頭にそっと載せる。

「こいつ、王妃のティアラを……!」
「ごめんあそばせ」

 聞き慣れた彼の怒鳴り声をばっさり遮り、女怪盗は優雅に微笑む。新大陸で流行しているショート丈のワンピースにストッキングというありきたりの姿なのに、全体を黒に統一しているからか、ミステリアスな印象を抱かせる。顔をレースのヴェールで隠しているからなおさらだ。長い黒髪をなびかせながら、女は空色の瞳の男へ視線を流す。

 ヴェール越しに輝く虹彩の色も黒かと思いきや……鮮やかな緑柱石エメラルドのような色を宿していた。翠緑すいりょく色とでも呼べばよいのだろうか。
 その姿を目の当たりにしてさきに視線を逸らしたのは、栗色の髪の男の方だった。


 ――ウィルバーさま。王家の血縁に連なる貴方にとって、この行為は冒涜でしかないのでしょうね。


 目の前にいる男を一瞥し、アプリコット・ムーンは踵を返す。一時的な目眩ましの術は効くが、魔法耐性を持つ彼本人に攻撃する古代魔術はつかえない。出くわしたが最後、彼に捕まらない華麗に逃げ切るしかないのだ。

「王妃のティアラ“ヴィオレットユーニ”、たしかに頂戴いたしましたわ。団長さん、ごきげんよう」
「待て、こら!」

 手をあげて逃げ出す彼女の周囲で光の洪水が発生する。転移の魔法を発動させられ、目を眇めたウィルバーはそれでも彼女を捕まえようと身を乗り出して――……穴に落ちる。

「ちゃんと前を見ていないからですよ?」
「このっ……!」

 落とし穴にはまった間抜けな憲兵団長を見届けて、華麗な女怪盗は今宵も目的のブツを手にいれたのであった。


   * * *


「怪盗が仕掛けた落とし穴に落ちた、って……ウィルバーさまがちゃんと前を見ていないからですよ?」
「ローザ、お前まであの女狐みたいなこと言うんだな」
「?」

 ラヴェンダー色のネグリジェを無防備に着たまま玄関まで降りてきたローザベル・スワンレイクは明け方に満身創痍で戻ってきた夫の姿を見て呆れている。
 ウィルバーは情けない気持ちになりながら、応接室のソファに座って昨晩の顛末を愛する妻に報告する。
 スワンレイク王国の憲兵団を束ねる長であるウィルバーのさいきんの頭痛の種が国を騒がす女怪盗アプリコット・ムーンなのだ。
 つねに機敏な動きで憲兵たちを挑発し、さんざんコケにしてから盗みを行うという人騒がせな姿から、一部では“女狐”などと揶揄されている怪盗。ウィルバーの天敵でもあり、生来おっとりした妻のローザベルと比べたら、まったく女性らしいところのないがさつな人間らしい。

 ふーん、と寝ぼけたまま夫の話を隣で耳にしているローザベルを見て、ウィルバーは苦笑を浮かべる。

 ……ローザが怪盗アプリコット・ムーンだなんて、ありえない。いくらヴェール越しに見えたあの瞳の色が同じだったからって……

 怪盗アプリコット・ムーンと対峙した一瞬。ヴェール越しに瞳が見えたのは初めてだった。そして自分の空色の瞳を見据えられたのも……あのときに感じた鋭い緊張を、ウィルバーは忘れられずにいる。

「ウィルバーさま。昨日は残念でしたけど、あまり気を落とさないでくださいね」
「ああ……ローザも起こしてしまってすまない。王城へ報告に行く気になれなくてな」

 弱音を吐きながら、ウィルバーはローザベルの長い髪に指を絡ませ、ため息をつく。
 腰までのばしたまっすぐの長い黒髪に、透き通った白磁のような肌。翡翠を彷彿させる宝石のような瞳、薔薇のように愛らしい紅色の唇に柔らかな乳房……すべてを手にいれているはずなのに、いまもなお恋しくなってしまうのはなぜだろう。それも仕事で大失態を犯したばかりだというのに。

「王城……王妃さまのティアラだから、ですか?」

 びくり、と身体を震わせるローザベルに、ウィルバーは渋々頷く。いくら王が国民のために美術館に展示させたのだとはいえ、それを易々と盗まれてしまったのは事実だ。希少価値があるという“稀なる石”を中央に飾ったティアラが忌まわしい女怪盗のあたまを飾ってしまった! このことが国民に知れ渡ったら、憲兵団を束ねる長であるウィルバーの評判はどん底まで落ちるだろう。

「まぁね、ローザが心配することはなにもないよ。伯父上に叱られて終わりだろう。ただ、このまま憲兵団にいられるかはわからないかな」

 ――王族の恥さらしが、またひとつ恥の上塗りをした。
 そう思われても仕方がないとウィルバーは自嘲する。

「そうなのですか」
「ただでさえ、俺のようなはみ出しものの扱いに困っているっていうのに、憲兵団にもいられなくなったら、この邸も手放さなくてはいけないな……」

 ローザベルの髪を指先でくるくる弄んでいたウィルバーは、そのまま彼女の身体を抱き込み、ソファの上へ押し倒す。

「……だめです、ウィルバーさまっ!」
「鎮めておくれ。愛しいローザ」

 仕事で失敗した夫を、その身体で慰めておくれ。
 朝陽が差し込む応接室のソファの上に押し倒されたナイトドレス姿の妻は、彼からの口づけを受けて、しぶしぶ、抱き返す。

「もうっ……ちょっとだけ、ですよ?」

 その応えに、嬉しそうに頷いて、ウィルバーは壊れ物を扱うようにローザベルを抱いた。
 何度ふれても飽きない唇を執拗に舐めながら、ウィルバーは繊細な指先で彼女を愛撫する。淡い藤色の布越しにはじまった胸へのそれは、いつしか素肌の上からに変わり、胸の頂きのふたつの果実がぷっくりと膨らんだのを確認して、口淫を施す。
 ピアノのような甲高いローザベルの啼き声を堪能しながら、ウィルバーは反芻する。

 女怪盗アプリコット・ムーン。杏色の月と名乗る彼女の素顔をウィルバーは知らない。遠目で見たときはもっと年配のグラマラスな女性だと思っていたのだ。それなのに、昨晩の彼女は自分と同世代か、それよりも若い、少女のようで……

「ウィル、バー、さまっ……あぁっ」

 愛する妻が翡翠色の瞳を潤ませてウィルバーを求めている。この瞳の色がウィルバーを魅了する。彼女しかいないと思っていたのに、いまのウィルバーはローザベルを抱きながら、脳裡でアプリコット・ムーンのことばかり考えてしまう。これは、彼女に対する裏切りになってしまうのだろうか。

 ナイトドレスの裾をたくしあげ、下着を脱がせたウィルバーは、すでに潤みきった妻の蜜壺に指を差し込み、逡巡する。自分の方が欲しいと彼女を押し倒したのに、彼女の身体はすでにできあがっている。

「ローザ……もうこんなに濡らしてしまったのかい」
「だって、だってぇ」

 寝起きの頭の働かない状態ではじまったウィルバーのキスと愛撫でローザベルの身体はとろけそうになっていた。彼にふれられるだけで、彼女は気持ちよくなってしまう。ましてや今日の彼は、怒りを裡に潜めている。

「ウィルバーさまの無念を晴らせるのは、わたしだけ、ですから」

 ウィルバーのいきり立った分身はまるで妻ではない女に向けて精を放ちたがっているかのようだった。
 ローザベルは心のなかでこっそり呟く。

 ――ほんとうは、めちゃくちゃにしてほしい。

 優しいだけの愛の行為も嫌いじゃない。けれど、ローザベルは夫に秘密を抱えているのだ。
 けして露見させバレてはいけない秘密を。

「ほんとうに君はよくできた妻だよ。こんなにふがいない俺なのに」
「んっ、あぁんっ……!」

 夫の怒張がひといきに蜜口を貫き、蜜襞を擦りたてていく。結婚してから何度も交わっているにも関わらず、互いに遠慮しあったまま、それでもふたりは身体を繋げ、そこにある“愛”を確認する。
 不器用にソファの上でまぐあい、ウィルバーはローザベルの膣奥で射精する。彼女の脚のあわいからとろとろと流れるのは自身の身体から泉のように湧きでた愛液と、彼から注がれた白い精液。早く子どもが欲しいと訴えるウィルバーは、妻が避妊のための薬を服用していることなど知るよしもない。

 ましてや、国を守る憲兵団の長でもある王弟の末息子の愛する妻が世間を騒がす怪盗アプリコット・ムーンだなんて知ったら卒倒ものだろう。

「ローザ、愛してる……ごめんよ朝っぱらから」
「いいえ、ウィルバーさま。わたしのほうこそ……」

 ローザベルには成し遂げなければならない目的がある。怪盗アプリコット・ムーンになって“稀なる石”を集めているのはその第一段階にすぎない。
 そのためにも、まだ子どもをつくるわけにはいかない。

「愛しいローザ。何があっても起こっても、俺を見捨てないでおくれ」

 ――それはこちらの台詞です。ウィルバーさま。

 愛を深め合った余韻に浸る夫の栗色の髪を撫でながら、ローザベルは気だるそうにこくりと頷くにとどめるのであった。
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