上 下
45 / 56
chapter,4

シューベルトと初恋花嫁の秘密 + 6 +

しおりを挟む



 わたしとアキフミのあいだに割って入ってきたのは、真っ白なワンピースにつばのひろい帽子をかぶった、いかにもお嬢様然とした人物だった。彼女の背後には似たような格好の幼い少女もいて、興味深そうにこちらを見つめている。

「多賀宮、嬢?」
「――ご無沙汰しております、礼文さま。詩とお呼びくださいませ」
「なぜ、ここに?」

 愕然とするアキフミと、淋しそうに微笑む詩という名の女性。
 もしかしたら彼女が、東京で見合いをしたというピアノが趣味のご令嬢なのではなかろうか。
 無表情のわたしを値踏みするように見つめて、詩はふん、と鼻で嗤う。

「なぜですって? 利用者のことくらい把握しなさいよ。昨晩からわたくしは貴方がご執心だという“星月夜のまほろば”に泊まっているのですよ? 伯父さま夫婦と妹の詞ことと一緒に」
「……え」

 利用者のことなど、代表者と使用人数だけで誰が訪れるかなどプライバシーにかかわることは訊ねないのが常識である。だというのに彼女は自分がわざわざ泊まりに来てやったのだから、それ相応の歓迎をしてほしかったわと残念そうにアキフミに告げる。

「すこし古くさい設備でしたが、手入れはされているみたいですね。さすが礼文さまが惚れ込んだコテージ。無事に買い取った暁にはぜひご一緒しましょ」

 紫葉リゾートが“星月夜のまほろば”を買い取ったら彼女はアキフミと一緒に何をするのだろう。
 彼はお見合いを断ったと言っていたけれど、彼女は未だ、彼との結婚を諦めていないふしがある。
 わたしが詩のくるくる変わる表情を冷静に観察しているに気づいた彼女は忌々しそうに声を潜め、アキフミに言い放つ。

「だというのに、みすぼらしい能面のような女に油売っているなんて信じられませんわ。仮にも社長たる貴方が使用人のような女とふたりきりで」
「――多賀宮嬢」

 カタン、とテーブルにコーヒーカップが勢いよく置かれる。
 表情を硬くしたアキフミは、押し殺した声で詩に言い返す。

「貴女との見合いは終わったんだ。俺のプライベートなど知ったところでどうにもならない。彼女を愚弄するな。彼女は俺の大事なひとなんだ」
「……あらそう。それじゃあ、彼女があの“金の生る木”?」

 須磨寺が所有している“星月夜のまほろば”に宿泊している詩のことだ、きっと内部事情もどこかで調べてきたのだろう。アキフミが夢中になっている土地が相続の対象となっており、現時点でいちばん近い場所にわたしがいることを。
 図星だとばかりに黙り込むアキフミを見て、ふうん、と詩が勝ち誇ったように声をあげる。

「別荘管理人っていったら使用人とそう変わりないじゃない? 下品な格好して礼文さまを篭絡しようとするなんてあざとい女。礼文さまは紫葉リゾートの新社長としてこれから輝かしい業績をあげていくお方なのよ。そんな彼の隣に相応しいとは思えないわ!」

 ピアニスト時代にも誹謗中傷はあった。けれどもこんな風に目の前で騒がれたことはなかったから、わたしは凍りついていた。
 みすぼらしい、使用人のような女……彼女の目からすると、わたしはアキフミには不釣り合いなのだろう。ミニスカート姿はあざといのだろうか、彼がせっかく選んでくれたのに。
 そうだ、彼はこの先ずっと社長として生きていくひと。わたしみたいな隠居した世捨て人が彼の隣にいることは、世間的には難しい、許されざることなのだ。
 目の前の自信満々な女性を見ていると、悔しいけれど、分不相応という言葉を痛感する。

 アキフミはわたしを愛していると言ってくれた。
 アキフミはわたしじゃないと結婚したくないと言ってくれた。
 それはなぜ?

 ――ネメちゃんは、金の生る木だ。

 紡の言葉を思い出し、胸がずきんと痛みだす。
 遺産目当てでわたしに近づいてきた正直な彼とアキフミは違うと思っていた。
 けれど詩の言葉が、わたしを疑心暗鬼に駆り立てる。
 ヒートアップする詩の背後でちらちらと白い影が揺れている。中学生くらいだろうか、詩の妹だという詞がわたしの方へひょいひょい、と手招きをする。この場から逃げた方がいいよ、と心配そうに瞳を曇らせている。彼女もお姉さんが怖いのだろう、おどおどしている彼女を見て、荒ぶっていた心が凪いでいく。
 分不相応だと思うのなら、それを自ら変えていく努力をしなくては。


「言いたいことはそれだけでしょうか?」


 大丈夫、わたしは逃げるような後ろめたいことなんかしていないもの。
 すべてを奪われたあのときと違って、いまは傍にアキフミがいてくれる。
 使用人と蔑まれようが、内縁の妻と罵られようが、遺産目当ての女狐と嘲笑されようが、わたしはわたしだ。

「申し遅れました、わたしは“星月夜のまほろば”別荘管理人の元ピアニスト、鏑木音鳴。先日は東京でアキフミに稚拙な演奏をお見せされたそうですね?」

 夏の軽井沢の緑の風に乗って、わたしは宣戦布告する。

「アキフミは、腐った音が大嫌いなの。叩きつけるだけのフォルテみたいな女は、嫌われましてよ?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

婚約破棄は決定事項です

Na20
恋愛
リリアナ・ルーシェントはルーシェント公爵家の娘だ。 八歳の時に王太子であるシェザート殿下との婚約が結ばれたが、この婚約は娘を王妃にしたい父と、国一番の富豪である公爵家からの持参金を目当てにした国王の利害が一致した政略結婚であった。王妃になどなりたくなかったが、貴族の娘に生まれたからには仕方ないと婚約を受け入れたが、シェザート殿下は勝手に決められた婚約に納得していないようで、私のことを婚約者と認めようとはしなかった。 その後もエスコートも贈り物も一切なし、婚約者と認めないと言いながらも婚約者だからと仕事を押し付けられ、しまいには浮気をしていた。 このままでは間違いなく未来は真っ暗だと気づいた私は、なんとかして婚約破棄する方法を探すもなかなか見つからない。 時間が刻一刻と迫るなか、悩んでいた私の元に一枚のチラシが舞い込んできて―――? ※設定ゆるふわ、ご都合主義です ※恋愛要素は薄めです

異世界転生漫遊記

しょう
ファンタジー
ブラック企業で働いていた主人公は 体を壊し亡くなってしまった。 それを哀れんだ神の手によって 主人公は異世界に転生することに 前世の失敗を繰り返さないように 今度は自由に楽しく生きていこうと 決める 主人公が転生した世界は 魔物が闊歩する世界! それを知った主人公は幼い頃から 努力し続け、剣と魔法を習得する! 初めての作品です! よろしくお願いします! 感想よろしくお願いします!

異世界転移したら女神の化身にされてしまったので、世界を回って伝説を残します

高崎三吉
ファンタジー
その乙女の名はアルタシャ。 『癒し女神の化身』と称えられる彼女は絶世の美貌の持ち主であると共に、その称号にふさわしい人間を超越した絶大な癒しの力と、大いなる慈愛の心を有していた。 いかなる時も彼女は困っている者を見逃すことはなく、自らの危険も顧みずその偉大な力を振るって躊躇なく人助けを行い、訪れた地に伝説を残していく。 彼女はある時は強大なアンデッドを退けて王国の危機を救い ある国では反逆者から皇帝を助け 他のところでは人々から追われる罪なき者を守り 別の土地では滅亡に瀕する少数民族に安住の地を与えた 相手の出自や地位には一切こだわらず、報酬も望まず、ただひたすら困っている人々を助けて回る彼女は、大陸中にその名を轟かせ、上は王や皇帝どころか神々までが敬意を払い、下は貧しき庶民の崇敬の的となる偉大な女英雄となっていく。 だが人々は知らなかった。 その偉大な女英雄は元はと言えば、別の世界からやってきた男子高校生だったのだ。 そして元の世界のゲームで回復・支援魔法使いばかりをやってきた事から、なぜか魔法が使えた少年は、その身を女に変えられてしまい、その結果として世界を逃亡して回っているお人好しに過ぎないのだった。 これは魔法や神々の満ち溢れた世界の中で、超絶魔力を有する美少女となって駆け巡り、ある時には命がけで人々を助け、またある時は神や皇帝からプロポーズされて逃げ回る元少年の物語である。 なお主人公は男にモテモテですが応じる気は全くありません。

見返りは、当然求めますわ

楽歩
恋愛
王太子クリストファーが突然告げた言葉に、緊張が走る王太子の私室。 伝統に従い、10歳の頃から正妃候補として選ばれたエルミーヌとシャルロットは、互いに成長を支え合いながらも、その座を争ってきた。しかし、正妃が正式に決定される半年を前に、二人の努力が無視されるかのようなその言葉に、驚きと戸惑いが広がる。 ※誤字脱字、勉強不足、名前間違い、ご都合主義などなど、どうか温かい目で(o_ _)o)) 10万字未満の中編予定です。投稿数は、最初、多めですが次第に勢いを失っていくことでしょう…。

どうぞ二人の愛を貫いてください。悪役令嬢の私は一抜けしますね。

kana
恋愛
私の目の前でブルブルと震えている、愛らく庇護欲をそそる令嬢の名前を呼んだ瞬間、頭の中でパチパチと火花が散ったかと思えば、突然前世の記憶が流れ込んできた。 前世で読んだ小説の登場人物に転生しちゃっていることに気付いたメイジェーン。 やばい!やばい!やばい! 確かに私の婚約者である王太子と親しすぎる男爵令嬢に物申したところで問題にはならないだろう。 だが!小説の中で悪役令嬢である私はここのままで行くと断罪されてしまう。 前世の記憶を思い出したことで冷静になると、私の努力も認めない、見向きもしない、笑顔も見せない、そして不貞を犯す⋯⋯そんな婚約者なら要らないよね! うんうん! 要らない!要らない! さっさと婚約解消して2人を応援するよ! だから私に遠慮なく愛を貫いてくださいね。 ※気を付けているのですが誤字脱字が多いです。長い目で見守ってください。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

悪意か、善意か、破滅か

野村にれ
恋愛
婚約者が別の令嬢に恋をして、婚約を破棄されたエルム・フォンターナ伯爵令嬢。 婚約者とその想い人が自殺を図ったことで、美談とされて、 悪意に晒されたエルムと、家族も一緒に爵位を返上してアジェル王国を去った。 その後、アジェル王国では、徐々に異変が起こり始める。

処理中です...