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chapter,4
シューベルトと初恋花嫁の秘密 + 6 +
しおりを挟むわたしとアキフミのあいだに割って入ってきたのは、真っ白なワンピースにつばのひろい帽子をかぶった、いかにもお嬢様然とした人物だった。彼女の背後には似たような格好の幼い少女もいて、興味深そうにこちらを見つめている。
「多賀宮、嬢?」
「――ご無沙汰しております、礼文さま。詩とお呼びくださいませ」
「なぜ、ここに?」
愕然とするアキフミと、淋しそうに微笑む詩という名の女性。
もしかしたら彼女が、東京で見合いをしたというピアノが趣味のご令嬢なのではなかろうか。
無表情のわたしを値踏みするように見つめて、詩はふん、と鼻で嗤う。
「なぜですって? 利用者のことくらい把握しなさいよ。昨晩からわたくしは貴方がご執心だという“星月夜のまほろば”に泊まっているのですよ? 伯父さま夫婦と妹の詞ことと一緒に」
「……え」
利用者のことなど、代表者と使用人数だけで誰が訪れるかなどプライバシーにかかわることは訊ねないのが常識である。だというのに彼女は自分がわざわざ泊まりに来てやったのだから、それ相応の歓迎をしてほしかったわと残念そうにアキフミに告げる。
「すこし古くさい設備でしたが、手入れはされているみたいですね。さすが礼文さまが惚れ込んだコテージ。無事に買い取った暁にはぜひご一緒しましょ」
紫葉リゾートが“星月夜のまほろば”を買い取ったら彼女はアキフミと一緒に何をするのだろう。
彼はお見合いを断ったと言っていたけれど、彼女は未だ、彼との結婚を諦めていないふしがある。
わたしが詩のくるくる変わる表情を冷静に観察しているに気づいた彼女は忌々しそうに声を潜め、アキフミに言い放つ。
「だというのに、みすぼらしい能面のような女に油売っているなんて信じられませんわ。仮にも社長たる貴方が使用人のような女とふたりきりで」
「――多賀宮嬢」
カタン、とテーブルにコーヒーカップが勢いよく置かれる。
表情を硬くしたアキフミは、押し殺した声で詩に言い返す。
「貴女との見合いは終わったんだ。俺のプライベートなど知ったところでどうにもならない。彼女を愚弄するな。彼女は俺の大事なひとなんだ」
「……あらそう。それじゃあ、彼女があの“金の生る木”?」
須磨寺が所有している“星月夜のまほろば”に宿泊している詩のことだ、きっと内部事情もどこかで調べてきたのだろう。アキフミが夢中になっている土地が相続の対象となっており、現時点でいちばん近い場所にわたしがいることを。
図星だとばかりに黙り込むアキフミを見て、ふうん、と詩が勝ち誇ったように声をあげる。
「別荘管理人っていったら使用人とそう変わりないじゃない? 下品な格好して礼文さまを篭絡しようとするなんてあざとい女。礼文さまは紫葉リゾートの新社長としてこれから輝かしい業績をあげていくお方なのよ。そんな彼の隣に相応しいとは思えないわ!」
ピアニスト時代にも誹謗中傷はあった。けれどもこんな風に目の前で騒がれたことはなかったから、わたしは凍りついていた。
みすぼらしい、使用人のような女……彼女の目からすると、わたしはアキフミには不釣り合いなのだろう。ミニスカート姿はあざといのだろうか、彼がせっかく選んでくれたのに。
そうだ、彼はこの先ずっと社長として生きていくひと。わたしみたいな隠居した世捨て人が彼の隣にいることは、世間的には難しい、許されざることなのだ。
目の前の自信満々な女性を見ていると、悔しいけれど、分不相応という言葉を痛感する。
アキフミはわたしを愛していると言ってくれた。
アキフミはわたしじゃないと結婚したくないと言ってくれた。
それはなぜ?
――ネメちゃんは、金の生る木だ。
紡の言葉を思い出し、胸がずきんと痛みだす。
遺産目当てでわたしに近づいてきた正直な彼とアキフミは違うと思っていた。
けれど詩の言葉が、わたしを疑心暗鬼に駆り立てる。
ヒートアップする詩の背後でちらちらと白い影が揺れている。中学生くらいだろうか、詩の妹だという詞がわたしの方へひょいひょい、と手招きをする。この場から逃げた方がいいよ、と心配そうに瞳を曇らせている。彼女もお姉さんが怖いのだろう、おどおどしている彼女を見て、荒ぶっていた心が凪いでいく。
分不相応だと思うのなら、それを自ら変えていく努力をしなくては。
「言いたいことはそれだけでしょうか?」
大丈夫、わたしは逃げるような後ろめたいことなんかしていないもの。
すべてを奪われたあのときと違って、いまは傍にアキフミがいてくれる。
使用人と蔑まれようが、内縁の妻と罵られようが、遺産目当ての女狐と嘲笑されようが、わたしはわたしだ。
「申し遅れました、わたしは“星月夜のまほろば”別荘管理人の元ピアニスト、鏑木音鳴。先日は東京でアキフミに稚拙な演奏をお見せされたそうですね?」
夏の軽井沢の緑の風に乗って、わたしは宣戦布告する。
「アキフミは、腐った音が大嫌いなの。叩きつけるだけのフォルテみたいな女は、嫌われましてよ?」
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