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prologue
シューベルトの妻 + 2 +
しおりを挟む最悪なグラン・デュオ。自分だけで弾くならまだごまかしがきく。だけど、これは四手のためのピアノソナタ。要するに連弾。
パートナーに選ばれた柊(ひいらぎ)が練習初日で絶望にも似た表情を見せたのは、当然のことだと思った。それだけわたしのパートは乱れていた。
グラン・デュオ。それは三十一歳の若さでこの世を去ったシューベルトが晩年に作曲した連弾用のソナタ。シューベルトの連弾曲はコンクールの課題曲に使われることも多い。だからピアノを学ぶわたしたちの練習曲としては定番なのに……なんで、こんなに弾けてないの?
今日、初めて弾いたわけでもないのに。いつもなら楽々弾きこなせるのに。
愕然として、鍵盤に目線を落とすわたし。無言で、そんなわたしを見つめていた彼は、溜め息混じりに口を開く。
「鏑木、音楽なめてねぇか?」
「……自分でもそう思う」
柊は普段から要点しか言わないピアノ科のクラスメイト。だから、その一言は彼のまがいもない本音だろう。音楽をなめている、確かにそうかもしれない。今まで誰にも言われたことのなかった……だけどいつか言われて当然だと思った言葉。肩まで伸ばしっぱなしの黒髪で、わたしは彼に傷ついた顔を見られないようそっと俯く。
「なに自信喪失してんだよ」
「……だって」
だって? 何を言おうとしているんだろう。反論なんかできるわけがないのに。負け惜しみのように、口にすべき言葉を探す。だけど見つからないから結局黙ったまんま。
わたしの反応は、彼を怒らせるには充分だったと思う。見ていてイライラしても仕方ないくらいに落ち込んでいたから。でも、彼は怒らなかった。
その代わり。
「お前、放課後ヒマか?」
「ヒマなわけないじゃん。レッスンが」
「んなもん仮病でも使ってサボれ」
「……はぁっ?」
何を言い出すんだ突然。
「腐った音出されるとこっちが迷惑なんだよ。一人で沈んでるのは勝手だけど、俺としてはとっとと浮上してもらいたいわけ。だから」
そして、わたしの承諾なしに決め付ける。
「夕方五時に柿の木坂駅。見せたいものがある。来い」
有無を言わせない口調で、柊はわたしの顔をまじまじと見つめ、命令した。
わたしは、思わず頷いていた……観念するしかないという諦めにも似た気持ちで。
* * *
スカートを短くしろ、と、言われる。
「なんで」
「なめられるから」
夕方五時。制服のまま指定された場所へ向かったわたしを見て、わたし服姿の柊が一言。
「本当なら制服じゃない方がいいんだけど」
「一体どこ連れて行くの」
来いと言われてのこのこ来てしまったわたしもいけないのだろう。が、柊は何も言わない。
仕方ないので彼に言われたとおりに、スカートの丈を短くする。膝下だった裾が、膝上に。生足を抜ける晩秋の風が冷たい。
顔をあげると、柊の瞳とかち合う。バツが悪そうに彼が顔を背けたので、わたしは首を傾げる。
「……何見てるの」
「いや。それより鏑木、人目を気にしろ」
「どうして」
わたしの問いに、柊は応えない。そのかわり、両耳を赤くした。それから、わたしにだけ聞かせようとしてぼそりと呟いた。冗談みたいな口説き文句を。
「俺以外の男に見せたくない」
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