15 / 37
壱
+ 12 +
しおりを挟む
神託によって遠ざけられていた姫君も、すでに齢十八。婚期を逃したとも思われるが、まだまだ彼女は美しい。すらりとした長身に艶のある黒髪、きりりとした一重の双眸に気の強そうな漆黒の虹彩。十七歳で疱瘡に罹り、顔の大半に痕が残ってしまった醜い自分とは大違いだ。
「でも、そうしたら逆に、実朝さまが鎌倉を滅ぼす側になってしまうのでは?」
「まだそんなことを言うのか。あれは兄上の二番目の子に託されたものだ、三浦家の姫君とはなんら関係がない。彼女は公暁くんと同じ時期、しかも払暁に生まれた女児というだけであのような境遇に陥っているのですよ。それに執権どのも、公暁くんが還俗して妻を得るよりも、愚直なぼくが側室に夢中になっている方が楽だとわかってくれるはずです」
あっさり返されて水は何も言えなくなる。たしかに、北条氏がいまもっとも危険視しているのは剃髪しない僧侶、頼家の息子の公暁である。実朝がいまさら新しい女性にうつつを抜かしていても、痛手がないのも事実だ。
「……それで、動かれるのですか」
水は実朝の言葉を受け、渋々首を振る。
「まずは、公暁くんの出方を探ることになりますが」
彼が剃髪せずに鎌倉へ戻ってきたのはなぜか。ほんとうに還俗して唯子を自分の正室にするつもりなのか。そもそも彼は将軍位を狙っているのだろうか……?
場合によっては、敵対することも考えられる。いや、すでに実朝と公暁は唯子という姫君を求めて、相対している。
けれど、どちらも唯子を求める気持ちに嘘偽りはない。だから実朝は苦悩する。いっそのこと、三年前のあのときに強引に攫って行けばよかったのだろうか。いや、そんなことをして彼女を手に入れても嬉しくない。いくら彼女が自分を悪くないと想っていてくれても……彼女に結婚する気がないのなら、無理強いすることはないと思っていたのだ。
けれど公暁が帰ってきたことで、均衡が崩れようとしている。
ずっとこのままでいられればいいと思っていた。結婚という言葉で彼女を縛ることなく、いつまでも彼女を見守れればそれでいいと。
でも、もはやこのままではいられない。
「奧山の 岩垣沼に 木の葉おちて しづめる心 人しるらめや――奥山の岩で囲まれた沼に落ちた、底に沈んでいる木の葉のように、ぼくの心も沈んでいるなんて……あなたはきっと知らないでしょうね」
淋しそうに遠くを見つめる実朝を、水は黙って見つめつづける。
衣被きで顔を隠して歩き出す実朝の背後に気づいたところで、ようやく声が出せた。
「そんなことないですよ、暁子は」
――実朝のことを想っている。
けれど、水は吐き出しそうな言葉を寸でのところで食い止め、歯を食いしばって後を追う。
自分は見守ることしかできないのだ。
この、叶えてはならぬ恋、を。
「でも、そうしたら逆に、実朝さまが鎌倉を滅ぼす側になってしまうのでは?」
「まだそんなことを言うのか。あれは兄上の二番目の子に託されたものだ、三浦家の姫君とはなんら関係がない。彼女は公暁くんと同じ時期、しかも払暁に生まれた女児というだけであのような境遇に陥っているのですよ。それに執権どのも、公暁くんが還俗して妻を得るよりも、愚直なぼくが側室に夢中になっている方が楽だとわかってくれるはずです」
あっさり返されて水は何も言えなくなる。たしかに、北条氏がいまもっとも危険視しているのは剃髪しない僧侶、頼家の息子の公暁である。実朝がいまさら新しい女性にうつつを抜かしていても、痛手がないのも事実だ。
「……それで、動かれるのですか」
水は実朝の言葉を受け、渋々首を振る。
「まずは、公暁くんの出方を探ることになりますが」
彼が剃髪せずに鎌倉へ戻ってきたのはなぜか。ほんとうに還俗して唯子を自分の正室にするつもりなのか。そもそも彼は将軍位を狙っているのだろうか……?
場合によっては、敵対することも考えられる。いや、すでに実朝と公暁は唯子という姫君を求めて、相対している。
けれど、どちらも唯子を求める気持ちに嘘偽りはない。だから実朝は苦悩する。いっそのこと、三年前のあのときに強引に攫って行けばよかったのだろうか。いや、そんなことをして彼女を手に入れても嬉しくない。いくら彼女が自分を悪くないと想っていてくれても……彼女に結婚する気がないのなら、無理強いすることはないと思っていたのだ。
けれど公暁が帰ってきたことで、均衡が崩れようとしている。
ずっとこのままでいられればいいと思っていた。結婚という言葉で彼女を縛ることなく、いつまでも彼女を見守れればそれでいいと。
でも、もはやこのままではいられない。
「奧山の 岩垣沼に 木の葉おちて しづめる心 人しるらめや――奥山の岩で囲まれた沼に落ちた、底に沈んでいる木の葉のように、ぼくの心も沈んでいるなんて……あなたはきっと知らないでしょうね」
淋しそうに遠くを見つめる実朝を、水は黙って見つめつづける。
衣被きで顔を隠して歩き出す実朝の背後に気づいたところで、ようやく声が出せた。
「そんなことないですよ、暁子は」
――実朝のことを想っている。
けれど、水は吐き出しそうな言葉を寸でのところで食い止め、歯を食いしばって後を追う。
自分は見守ることしかできないのだ。
この、叶えてはならぬ恋、を。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。


あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる