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序
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しおりを挟む「鎌倉を滅ぼすのは、本意ではありませぬ」
「貴女ならそうおっしゃると思いました。けれど、どっちにしろ彼を呼び戻した時点で、彼女に影響が及ぶのは目に見えております」
自分は彼の助言をもとに公暁を鶴岡八幡宮の別当にするために鎌倉へ呼び戻しただけだ。けして三浦家の姫と娶せるためではない。
けれど僧としての修業を行う身でありながら剃髪もせず、故郷へ戻っても家族の元に留まる間もなく幼いころからともに育った少女に逢いに飛び出して行った彼を見て、そう遠くないうちに還俗して妻を得るつもりなのだろうと噂する御家人たちも確かに存在する。
だが、そのようなことになれば政子の弟、北条義時が黙ってはいないだろう。彼は自分の地位を固めるためなら意見の対立した父時政を追放したように、はたまた幕府創設当時からいた有力武士たちを滅ぼしたように、容赦なく蹴散らしていく。
政子の息子で武に秀でていた頼家の暗殺にも彼は知らぬ顔をしているが関わっているに違いない。そして三代将軍となった実朝を裏で操りながら、頼家が遺した子どもたちを煩わしく思っているのだ。
「だから、寺に入れておいたというのに……」
頼家には四人の息子と一人の姫がいるが、長男の一幡は比企能員の変で謀殺されている。比企氏に政権を奪われまいと企てたその内容に一幡の殺害まで含まれていたことを政子は知らなかった。けれどその時はまだ鎌倉で全権を振るっていた父に反抗するちからもなく、御家人を無視して強引な政を行う息子の頼家を修禅寺に封じ込めることしかできなかった。
頼家もその幽閉先で殺され、すべては北条氏の思惑通りに動いているかに見える。現に三代将軍実朝は武よりも文に優れ、和歌を愛する優男だ。自分の息子でありながらひ弱な実朝を政子は情けないと感じるときもある。
だが、これ以上余計な血を流したくない。そのために政子は頼家が遺した三人の息子を鎌倉から離れた寺社へ送り、僧にしようと考えた。それでも三男の栄実(えいじつ)は北条氏に反感を抱く豪族によって大将軍に擁立され、四年前にわずか十四歳で自殺してしまった。四男の禅暁(ぜんぎょう)は京都の仁和寺で修業に励んでいるが、政子が園城寺から次男の公暁を呼び寄せたことを不思議に感じているかもしれない。
そして頼家の末娘である鞠子も。彼の帰還を喜ばしく思いながらも不信感をぬぐえないでいる。ましてや三浦家の『忌み姫』と結婚させるなど、実朝の将軍の地位を脅かす行為そのものにしか見えない。
「……それで、どうするのかえ?」
「私は何も。ただ、神託の行方を見守るのみ」
「しょせん、八幡の白き巫女の子でしかないか。――つまらんの、去ね」
政子の声とともに、人影は消え、静寂が戻る。神によって捻じ曲げられた過ちを正すためだと彼は言う。それがほんとうに正しいのか、血で血を洗う争いによって精神を蝕まれた政子には判断がつきかねない。
けれど血に汚れた手でできることなど限られたものだ。年老いたいま、善悪の判断よりも感情が優先してしまうのも仕方ない。
この地を護るためならば、夜叉にだってなってみせよう。夜明けは遠い、けれど確実に近づいている。
政子は恍惚とした表情で暗闇に向けて囁く。
「次に血に染まるのは誰かのう?」
柔らかな真綿で締めつけるように、それでいて、祈りを捧げるように、ゆっくりと。
絶望を魅せつけるような、呪いの言葉を。
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