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 まさか、鴇姫に指摘されるとは思ってもいなかった。

 ……だって貴女、でしょ?

 うたうように、鴇姫は聞いた。
 全てお見通しなのよと、嘲笑った。
 皮肉なことに、その瞬間、わかったのだ。男の正体が。

 ……彼が、薙白だったんだ。

 少女は苦笑する。考えていた人物じゃないことに、驚き、呆れる。
 とんだ茶番だ。

「薙白丸って、元服前の名前だもんね」

 ぺろりと舌を出して、少女は頷く。
 笹音とした約束を守るため、薙白が迎えに来るのを待っていた。笹音の無念を叶えようと、少女は笹音になった。

 名前を捨てて、笹音に、なった。


   * * *


明月あかつき、貝合わせをしましょう?」

 楽しそうに笹音が明月を呼ぶ。乳母によって育てられた笹音にとって、乳母の娘である明月は格好の遊び相手だ。
 足南の姫君、笹音は身体が弱かった。笹音を生んだことで、寝たきりになってしまった母親同様、笹音も何かあるとすぐに寝込んでしまう子どもだった。

 逆に、明月は活発で、男の子に生まれればよかったのにと言われるほどだった。明月の方が笹音よりも年下なのに、隣に並ぶと姉に間違えられるほどの、体格差があった。

 結局、明月は十年ほど、笹音の傍にいたことになる。
 その間、ずっと傍にいられたわけではない。笹音は国の高貴な姫君だから、様々な教育を受けさせられた。あとになってこっそり明月に何を習ったと報告してくれたから、明月も文字の読み書きと簡単な計算はできるようになったけれど。

 笹音が薙白という少年と仲良くなったことを知ったのはいつだっただろう。琴の音を気に入ってくださったのと、頬を赤らめていた笹音が、とても愛らしかった。
 最初で最後の恋。笹音の初恋は、清楚で、綺麗なものだと思っていた。今の今まで。
 薙白が異国へ渉ったことを知ったのは、一年後、笹音が病に倒れてからだ。
 薙白殿と約束したのにと、口惜しそうに零す姿は当時十三歳とは思えないほど艶やかだった。

「……明月、五年って長いのね、ササネの命よりも長いのかも」

 弱気になった笹音を、明月は励ますことしかできなかった。なんでそんなことを言うのです、笹音様は五年後ちゃあんと薙白殿と再会して、幸せになるに決まってますと。

「ありがとう、明月」

 そう言うと、笹音は必ず礼を言う。礼を言われる都度、罪悪感が募る。
 笹音が五年後に生きている未来を、明月も半信半疑にしていたから。
 罪悪感は、雪のように静かに降り積もる。そして、重たく圧し掛かる。

「でもね」

 笹音は明月にだけ、続きを口ずさむ。

「もし、もしも、ササネが約束守れないで死んでしまったら……」

 ……そしたら明月、薙白が迎えに来たときに、伝えてくれる?


   * * *


 ずきん。重石を嚥下してしまったかのような苦しみ。それでも明月は、駆ける。
 騾馬に乗り、雪に消された男の行方をあてもなく探る。自ら馬に乗ったのは久方ぶりだが、明月を嫌がることなく、馬は颯爽と樹氷の合間を駆け抜けてゆく。

 伝えなくてはならない。
 笹音が薙白のことを想いながら、この世を去った事実を伝えるために。
 約束の、五年は、雪解けの春。まだ、約束の春は姿を見せないけど。

 もう、待てない。
 確かめなくてはならない。
 あの男が本当に薙白であるのなら、明月が笹音でないことを、知っていて傍に置いているのだ。

「そう、か」

 とても簡単なことだった。
 男は決して自分のことをササネと呼ばなかった。わたくしのことを、宇奈月と呼んだ。
 それで充分ではないのか。
 過去語りをさせた理由。男の気まぐれだと思った。違った。彼は薙白の知らない笹音を知りたかったから、過去を遡らせたんだ、笹音を演じていた明月に。
 人質となって近淡海の国に渉った彼が、加賀出の長子だったことを、笹音はきっと、知っていたのだろう。当時から足南と加賀出は仲が悪かったから……

「もしかして」

 笹音が死んだことを知って、薙白は足南を攻めることにしたのか?
 わからない。考えれば考えるほどに、混乱する。わたくしは笹音じゃないから、明月だから、二人のことがわからない。結局のところ偽者の傍観者でしかない……けど。

 馬が嘶く。
 明月は、馬から飛び下りて、声をあげる。振り向いた男に向けて。

「あんたが、薙白丸だったの?」

 男は瞠目する。そして。

「いかにも。俺の幼名は薙白丸だ。今頃わかったのか、宇奈月……いや」

 悪戯っぽく、瞳を細めながら、名を呼ぶ。


「明月よ」


 ここ数年、呼ばれることのなかった、真実の名を。
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