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Epilogue
しおりを挟む手品を終えたマジシャンは、優雅にステージを去っていく。犯人を暴いた探偵は。
* * *
「カミジョ?」
鈴代が目覚めたとき、すべてが終わっていた。
上城は、まるで泣いているように見えた。
「……なんで、シャスリーヴァなんて言うかな」
夕凪が、最期に叫んだ言葉が脳裡から離れない。
鈴代は何も言わずに上城の肩を抱く。ぽんぽんと、背中を優しくさする。
「夕凪は、どうしてただの針を、わたしに刺したのかしら?」
鈴代が毒によって気を失ったとは、誰も言っていない。鈴代の首筋を刺した針には、毒が塗られていなかった。上城も、それには気づいていた。
夕凪は、左手で鈴代の首筋に針を刺す動作をしながら、右手で鳩尾を抉っただけだったのだから。
だが、平井が調べたところ、夕凪がポケットの中の裁縫箱に保持していた針には、微量のサキトキシンが検出されている。米国で生物兵器として研究された猛毒物質だ。緑子はこの毒に倒れたのだろう。
「たぶん、夕凪は最初から、スズシロを殺すつもりがなかったんだよ」
「……そんな」
でも、紛れもなく殺意を受けていたと、鈴代は上城に抗議する。
「憎しみと愛が紙一重で、みんながみんな嘘つきで天邪鬼だってことに気づいていて、まだそんなことを言うんだ?」
夕凪は、母親違いの姉に、自分の死に様を見せたくなかっただけだと、上城は語る。
「不器用、ね」
嘘つきと天邪鬼、そして不器用な人間たちがそれぞれ無意識のうちに事件の背景を生み出していた。夕凪は、そんな歪んだ世界の犠牲者だったのかもしれない。
母親が異なるだけ。もしかしたら自分が本物の魔女になっていたかもしれない。夕凪はそれを知っていたから、殺さなかったのかもしれない。だから。
「……シャスリーヴァって、言ったんだ」
――さよなら、お幸せに!
これから自殺する人間が口にする言葉か?
鈴代は泣き笑いを浮かべる。上城も、頷く。
そして二人は何も言わずに唇を寄せる。
* * *
初夏の蕩けるような時間の中で、春を呼ぶ少年と少女は、出逢う。
イリュージョンは、眠ったままの沈丁花に囚われたお姫様。
季節の揺らぎの中で、少女は目覚めのくちづけを乞う。喜びをくださいと。
ナルマイナ。大丈夫、心配しないで。
少年は、ロシア語でそう囁きながら、止まっていた時間を、唯一の恋を、動かし始める。
真実という名の呪いを解いて。
* * *
「非現実的な現象だからと厭う必要はなかった、ってわけだ」
平井の溜め息を背に、賢季が嘲笑を浮かべたまま、同意する。
「たまたまそれが呪いと呼ばれていただけで、解き明かすことが可能な謎々だった。そして謎は解かれた。多くの謎を残したまま」
濡れ衣を着せられていた従妹は真犯人を摘発したことで、自分にまつわる呪いを昇華したことになる。
だが、呪いを解いたことで、新たな謎が生まれたことに、賢い彼女はまだ気づかない振りをしている。
「多くの謎、ね。それは容疑者死亡という結末が関係しているのかな」
平井が向き直る。応接間のソファで、悠々と寛いでいた賢季が、困ったように笑う。
「そうかもしれないし、そうではないかもしれません」
翠子と夕起久の娘であることを隠して、夕凪という名前の少女は美弦と名乗り、生活していた。呪いの発端はいっときの過ちだ。
夕起久の証言によって、一連の事件は夕凪一人による犯行であることが裏付けられた。警察はそれ以上、この複雑な事件を追い求めることをしなかった、いや、追い求めることを目の前にいる人間が是としなかったのだ。
……鈴代賢季、現財閥当主のヒトコトは、国家権力並に、強い。
「あなたはうそつきですね」
「それは認めます」
満面の笑み。この男の手のひらで弄ばれていたのかと思うと平井は悔しくなる。どこまでが本当のことでどこから先が嘘なのか。事件が解決しても、鈴代財閥という巨大な組織にまつわる謎はどこからでも湧き出てくる。まるで泉のように。そういえば鈴代財閥の次期当主は泉観という少女だったなぁと平井は嘆息する。
「あ、そういえば僕が次期財閥当主の候補ではないことはお話しましたけど、現財閥当主だということは正式にお話してませんでしたっけ」
「……白々しい」
現在鈴代財閥を取り仕切っている黒幕は、目の前の青年だったというわけか。鈴代夕起久も財閥当主という肩書きを持つが、彼の正式な肩書きは『元財閥当主』で、現財閥当主ではない。
「近淡海の人間は僕の後釜に泉観を置いているのが理解できないだけなんです。僕を超えることを畏れているんですよ。僕は別になんとも思ってないんですけど」
だから、緑子が傍にいた。緑子は彼が犠牲者にならないよう、傍にいたのだ。
賢季は淋しそうに微笑を浮かべる。
「緑子は僕の真意を見抜いて、ひとりで美弦を自首させようとしたのでしょう。彼女が夕凪だということは気づかなかったかもしれないけど、彼女が伯父に毒針を向けた犯人だとは気づいてましたから」
それで殺されてしまった。哀れだと、不憫だと思う。彼女のために、彼は動き出す。
「僕が翠子に会いに行った理由は、そこにあります。ひとつの可能性を確かめてから、美弦……いや、夕凪と対決したかったから」
冬将軍という役柄だった翠子もまた、賢季に嘘をついた。その嘘に惑わされた彼を救ったのは、聡明な従妹と愚者、そしてお節介な妖精のような少女……豊。
賢季の独白を聞きながら平井は首を振る。事件によって彼もまた、呪いと対峙した一人なのだと。そして。
「結局、呪いを謎に変換して解き明かしたのは僕ではないんですけどね」
豊の声が聞こえる。そろそろ行かなくては。
僕は解決の鍵を手渡す賢者でしかないんですよと平井に微笑みを残して彼は扉を開く。豊が嬉しそうに飛びついてきた。賢季も微笑み返す。平井はそんな二人を穏やかに見つめる。謎解きをした聡明な次期財閥当主、泉観と彼女を大切に思う少年、春咲……愛らしい春たちのことを脳裡に浮かべながら。
* * *
現財閥当主、鈴代賢季によって事後処理は難なく進められていく。最終的に彼に助けられる形になった上城は、学園内では今も魔女に恋した愚者として認知されている。
呪いが解けても呼称がすぐに変わることはないだろう。鈴代が財閥の秘蔵っ子である魔女であるのは事実だし、上城はそんな彼女を追い掛け回す愚者でしかない。
「魔女に恋する愚者が呪いを解く、か」
様々な人間に愚か者呼ばわりされていた気がする……上城は、事の成り行きを聞き出した品川を不服そうに見上げる。
鈴代が魔女と名づけられたのは円が原因だが、愚者の発端は果たしてどこから現れたんだ? 彼が知っているとは思えないが、思わず口にしていた。
「なぁ。誰が俺を『愚者』と呼ぶようになったんだ?」
東金円は死んでいる。豊が最初に口にしたとも思えない。だとすると、この学園にいる誰かが上城のことを『愚者』だと噂したに違いない。それが誰なのか、彼はまだ気づけていない。
「お前なぁ、気づいてないのかよ……」
上城の想定を裏切るように、品川は笑う。清々しく。
「え?」
「鈴代さん本人が言い出したに決まってるだろ」
「……うへ?」
スズシロが、俺のことを愚者と呼んでいた?
後ろを振り向くと、鈴代があかんべをしている……確信犯だったのか。
「要するに彼女なりのノロケだ。この鈍感」
……わたしに恋した愚か者め。
上城からの猛烈なアプローチを受けていた鈴代が、一人になったときに呟いていたという。その一言が学園内外を問わず瞬く間に拡がったというのだから滑稽だ。
「じゃあ……呪いと愚者は関係ないと」
たじろぐ上城を楽しそうに。
「カミジョ、それでもわたしに恋してる?」
悪戯っぽく微笑む鈴代。
品川がやってられんと背を向け、両手で目を隠す。それを見て、二人は笑う。
やがて、鈴代の潤んだ瞳に祝福のくちづけを落として、上城が小声で囁く。
「当然」
――シャスリーヴァ!
小春日和の秋空に、春を希う、謳うような今は亡き少女の声が、溶け込んで、消えていく……
Fin.
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