上 下
55 / 57

chapter,11 (2)

しおりを挟む



「んじゃ、一連の事件の流れから説明するか。十五年前、現財閥当主の妻、紗枝が精神的に追い詰められて心中未遂を起こした。その理由はたぶん、翠子の娘の父親が夕起久だったことを知ってしまったからだろう。とまぁ、ここまでは鈴代邸で暮らす人間なら誰もが知っている、そして隠匿している事実だ」

 きょとんとした表情でいるのは豊だけで、あとの人間は口を真一文字にきつく結んでいる。小松がその滑稽な光景を見て頬を緩ませているのを、氏家が睨みつけている。

「翠子は当時、スズシロ……泉観、美弦、そして自分の娘の夕凪、三人の赤子の世話をしていた。事件当日、翠子は泉観がぐずるからとぐっすり眠っている美弦を夕凪のベビーベッドで眠らせて、夕凪を連れて外へ出たんだろう。事件後に死んだのは夕凪だと周囲に信じ込ませているところからして、すりかえ自体、意図的なものかそうでないのかよくわからないけど、彼女が紗枝から娘を引き離すためにそう言い切った可能性は高いな」

 そして夕凪……美弦と呼ばれるようになった翠子の娘は殺された本物の美弦の母親、美琴に養われるようになる。
 翠子は、現財閥当主との不貞を近淡海家に糾弾され、離縁させられ天涯孤独の身となる。
しかし、唯一の味方がいた。

「それが、小堂」

 彼はたとえ不貞の子であろうが、大切な主人の後継ぎ候補であることに違いはないと、翠子と随時連絡を取りつづけ、夕凪の面倒を自ら買っていたのだ。
 小堂と美琴の間で金銭のやりとりがされていたことから、美琴は美弦が夕凪であることを知っていたと考えられる。知っていた上で、美琴は美弦を育てたのだろう、彼女が次期財閥当主として権力を持つ可能性が少なからず存在していることを知っていたから、小堂から二人で暮らすには充分すぎるほどの金銭を甘受していたのだ。
 もしかしたら、そのことすら翠子が手配したのかもしれない。

「まぁ、ここまでが今回の事件の背景になる部分……冬将軍に該当するのかな」

 翠子は今の事件には直接関わっていない。彼女はただ、知らず知らずのうちに冬将軍として殺人者を作りだしていただけ。紗枝の妄言が生み出した言葉にしては、リアリティがあるなと平井は改めて頷く。

「で、冬将軍が呼び寄せた殺人者。要するに人殺しの魔女の話を次にしようと思うんだけど……スズシロ」
「呪われた人殺しの魔女から、人殺しの魔女という由縁について説明しろってことね」

 上城の言いたいことを察して、とっとと鈴代は口を開く。嫌なことは後回しにせず、済ませてしまった方がいいとの判断なのだろう。が。

「そこで新たな登場人物が現れます。それが、東金円……私立クレーマ学園の問題児です」

 またも美弦が鈴代の出鼻を挫くような発言をする。鈴代は、彼女に邪魔されて頬を膨らませている。

「その通り。彼女が、わたしを呪われた人殺しの魔女と呼ぶようになったから」

 怒った表情を残したまま、鈴代は説明をはじめる。半年前に起こった、不幸な事故と処理された事件の真相を。


   * * *


 東金円を屋上から突き落としたのは夕凪だと、上城は静かに告げる。

「円がどのような方法で知ったのかはわからないが、彼女は夕凪が日常生活で美弦と呼ばれていることに気づいていた。彼女はおとなしくて、存在感のない、要するにいるのかいないのかよくわからない生徒だった……もともと不登校気味だったことも彼女を標的にした理由になったのかもしれない。それともただ単に気に食わなくてつっかかってきたのかそれは彼女が死んだ今じゃわからないけど」

 遠藤夕凪という本名で過ごすことを、彼女は最小限にとどめようとしたのだろう。だから学校では友達を作ることなく、一人でいることを選んでいた……それがまた、円の癇に障ったのかもしれない。

「スズシロがいじめにあう前に、夕凪がいじめられていた。クラスメイトに確認したら、『えんち』とか『うなちゃん』なんて嘲られていたって話だ。遠藤の『えん』、夕凪の『うな』と考えていいだろう……」

 夕凪の笑みが崩れる。それを見て、上城は話題を変える。

「中三の冬。養母の美琴が肺炎で死んだことで、彼女の運命は一変することになる」

 美琴は死の間際に、明起久を頼れと告げたのだろう。明起久は彼女を住み込みのメイドとして雇うことにする。通っていた学校は退学することになる。

「二月の終わりに事故は起こった。夕凪が不登校になって、学校をやめるようだと聞いた円は次の標的を定めた。それが、スズシロ」

 円は鈴代の過去を暴いた。だが、それは真実とは似ていて非なるものだ。鈴代の母親が乳母の子どもを殺したことを知らない円は、鈴代の母親が彼女のせいで狂気に犯されたと独自に判断して、鈴代を罵っただけなのだから。

「彼女は人殺しの魔女だとあからさまに罵られた。夕凪と異なり、スズシロは彼女の言うことを無視し続けていたこともあって、暴力も受けている。円の暴力はエスカレートしていき、そして」

 沈丁花が咲き開く早春。屋上に呼び出された鈴代は円に突き落とされそうになる。妖精にしてあげる、処刑してあげると言われて。

「人殺しの魔女は、魔法を使って妖精のように空を駆けることもできるのよね……それが、わたしが意識を失う前に聞いた、円の言葉」

 鈴代は、苦虫を噛むような表情で、小声で呟く。
 ……恍惚とした表情で、円は鈴代を殴る。気絶した彼女を引きずって、屋上の柵の前で。
 聞こえてきた誰かの靴音。足音。ローファーの硬い革靴がコンクリートとぶつかり合う音。闇色に染まる意識の淵を彷徨う物音。
 上城は、それが夕凪であると断言する。

「……でも。足音だけで判断できるの? それに、そのときには彼女は学校をやめているんじゃないの」

 不審に思ったのか、豊が上城に問う。上城は、豊の質問の答をあっさり告げる。

「事件の日に、夕凪は退学届を出している」

 クレーマ学園の職員室は、最上階にある。つまり、屋上と壁ひとつ隔てた場所にあるのだ。
 だが、生徒が進入禁止の屋上にいるとは考えられなかったのだろう。要するに屋上という空間は教師ですら目を向けない死角になっていた……それが、いじめの舞台として成立していた理由だ。
 退学届を提出した夕凪は、屋上でいじめの現場を偶然、見てしまった。そして、激昂した円が、気絶した鈴代よりも先に、いじめやすい夕凪を消そうとしたのだろう。

「いじめの現場を見たことは、認めているようだからな」

 夕凪に向けて、上城は確認を取る。

「でも、それだけでは私が泉観をいじめている円を殺したという決定打にはなりませんね」
「そうだな」

 これまたあっさり頷いた上城。夕凪は想定外の彼の反応に、首を傾げる。

「貴女が事件に関わったか否か。それは別の方向から事件を洗えばいいだけのことさ。その辺のことは警察が詳しく調べてくれたみたいだからね」

 上城は平井に目配せをする。平井は円の葬儀について、感情を交えずに語りだす。

「円の葬儀では記憶混濁の作用を持つラベンダーの線香だけが使われていた。また、葬儀の手配をしたのは鈴代邸の執事、小堂の独断だという。なぜここで小堂が勝手な行動を取ったのか、彼は殺されてしまったから想像でしか判断できないが、不幸な事故として円の死を処理してしまおうとしたのだろう。それはなぜか」

 言葉を濁すことなく、夕凪を指さす。

「遠藤夕凪という存在を隠すためだ」

 そこで、小堂が翠子と関係を絶つことなく動いていたことが関係してくる。小堂だけが夕凪が鈴代と同じ学校で生活を送っていることを知っていた。そしてまた、事件のあったときに夕凪の傍にいたのも。
 夕凪は黒いセーラー服を着て、平然と焼香をしていたのだから。
 泣いた振りをしていた少女たちの中に、夕凪が混ざっていたことを、鈴代は語る。

「泣かなかったのはわたしだけだと、豊は言って責めたけど、実際は、みんなが泣いた振りをしていただけ。その、泣いた振りの先導が、夕凪。彼女」

 そして彼女の傍で、小堂が落ち着きなく周囲を見回していたことも、告げる。

「あのときは、彼が葬儀を準備したなんて知らなかったけど……よく考えると彼があそこまで神経をつかっていた理由が見当たらないのよね。だから、彼が事件に関与してると考えたの……の共犯者として」

 事件の現場に彼はいなかっただろう。もしかしたら事態に気づいた小堂が夕凪に脅されていたのかもしれない。事実を隠匿せよと。だから、葬儀を一人で準備したのだ……事件を事故に見せかけるために。

「小堂が殺された理由を考えればいい。彼は鈴代邸の執事として、召使をまとめていた。だが、美弦が来たことで、彼は彼女をどう扱えばいいか苦悩したんだろう。なぜなら、彼だけが、美弦が鈴代邸の時期財閥当主にもなりうる血筋の娘、そしてかつて級友を殺した夕凪であることを知っていたからだ。口封じと考えれば簡単だろ?」

 上城が鈴代の言葉を繋げる。小堂が殺されたのは偶然ではなく必然だったのだと、心の中で言い訳のようにうそぶきながら。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

量子幽霊の密室:五感操作トリックと魂の転写

葉羽
ミステリー
幼馴染の彩由美と共に平凡な高校生活を送る天才高校生、神藤葉羽。ある日、町外れの幽霊屋敷で起きた不可能殺人事件に巻き込まれる。密室状態の自室で発見された屋敷の主。屋敷全体、そして敷地全体という三重の密室。警察も匙を投げる中、葉羽は鋭い洞察力と論理的思考で事件の真相に迫る。だが、屋敷に隠された恐ろしい秘密と、五感を操る悪魔のトリックが、葉羽と彩由美を想像を絶する恐怖へと陥れる。量子力学の闇に潜む真犯人の正体とは?そして、幽霊屋敷に響く謎の声の正体は?すべての謎が解き明かされる時、驚愕の真実が二人を待ち受ける。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
ミステリー
オカルトに魅了された主人公、しんいち君は、ある日、霊感を持つ少女「幽子」と出会う。彼女は不思議な力を持ち、様々な霊的な現象を感じ取ることができる。しんいち君は、幽子から依頼を受け、彼女の力を借りて数々のミステリアスな事件に挑むことになる。 彼らは、失われた魂の行方を追い、過去の悲劇に隠された真実を解き明かす旅に出る。幽子の霊感としんいち君の好奇心が交錯する中、彼らは次第に深い絆を築いていく。しかし、彼らの前には、恐ろしい霊や謎めいた存在が立ちはだかり、真実を知ることがどれほど危険であるかを思い知らされる。 果たして、しんいち君と幽子は、数々の試練を乗り越え、真実に辿り着くことができるのか?彼らの冒険は、オカルトの世界の奥深さと人間の心の闇を描き出す、ミステリアスな物語である。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

処理中です...