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chapter,10 (1)
しおりを挟む賢者は愚者を嗾ける。眠り姫にキスをしろと。呪いを解き明かせと。
* * *
「陳腐なラブシーンをお見せしてしまいましたね」
豊が名残惜しそうに去ったのを見送って、賢季は平井の名をそっと呼ぶ。
「あなたが何を考えているのか余計わからなくなりましたよ。鈴代財閥の人間だからと目を瞑っていられる状態を、あなたは自分で壊そうとしていますね」
呼ばれた平井も苦笑交じりに賢季を非難する。傷ついた腕を薄い包帯で巻きながら。
「人を殺すよりは些細なことでしょう?」
くすりと微笑を浮かべる賢季を見て、まぁそうですけど、と平井は頷く。
「それにしたって……素手でガラスを割る気力があるとは思いもしませんでしたよ」
「愛の力です」
いけしゃあしゃあと言い放つ賢季。
「ぶっ」
思わず吹き出す平井。危うく応急処置した腕に力を入れるところだった。
「その顔は信じていませんね」
「……何を信じろって言うんですか」
呆れきった平井を見ても、笑みを崩すことなく、賢季は続ける。
「ところで。いつから気づいてました?」
平井はむっつりした表情で、無愛想に応える。賢季が、狸寝入りをしていたことを。
「最初から」
はじめから気づいていたことに。
「騙せませんでしたか」
わかりきったように、賢季が真面目な表情に戻る。無言で頷く平井。
「少しばかりの猶予を与えたつもりなんですけどね」
「それはこっちの台詞だ」
賢季がなんのためにおとなしくなったのか、理解できないのが悔しいと、平井は両肩を落として呟く。
「……翠子が不貞を働かせて近淡海家から離縁されたことは聞いたよ。その娘が紗枝によって殺されたらしい、ということもね」
淡々と事実を述べる平井に、賢季が確認するように口を挟む。
「それが、僕の異母妹であるということも調査済みですよね?」
「は?」
賢季の思いがけない言葉に、平井は一瞬、瞳を瞬かせる。その反応を見て、賢季は自分が何か変なことを言っただろうかと不思議に思う。
「それは、美弦のことじゃないのか?」
「へ?」
今度は賢季が驚く番だ。自分の屋敷の使用人の名前を出され、どういうことだと首を傾げる。
その反応を見て、平井は賢季が勘違いをしていることに気づく。そして、翠子が彼に対して嘘をついていたことにも。
「鈴代賢季。君はまた、翠子にいいようにされていたみたいだな。彼女の娘の名前は夕凪だ。父親は、明起久ではない」
「……違う、のか?」
翠子にまた嘘をつかれていた?
唖然とする賢季に、平井は尚も続ける。
「思い出せ、あの時翠子はなんと言った?」
『賢季ちゃんには、妹がいたのよ』
翠子の声。賢季の心の奥底に突き刺さる、ひとつの真実。
「妹がいた、と」
「妹か。自分の娘とは言ってないな……つまり、完全な嘘じゃないわけだ」
「どういうことだ?」
翠子の言葉を信じきっていた賢季は、平井の言葉を受け入れることができずにいる。
もどかしそうに、平井は説明する。
「彼女が乳母だったのは知ってるだろ? 彼女は三人の女児の面倒を見ているんだ」
「三人?」
思いがけない事実に、困惑する賢季。
泉観と、翠子の娘である夕凪と、あと一人は……?
「公にはされていないが、鈴代明起久に美琴という愛妾がいて、彼女が女児を生んだのもこの時期なんだ。名前は美弦……鈴代邸に現在仕えているあの女の子だ」
そういえば。
美弦を最初に受け入れたのは明起久だった。母親が病死したと知り、つてを頼って鈴代邸に現れた彼女が、自分の娘だということを知っていたからなんだろう。
「……美弦か」
普段は他人に対して先入観を持たない母親の玉貴が彼女を厭っていた理由……それは、彼女が愛妾の娘だったからなのか。
だとすると、辻褄が合う。
彼女が明起久の娘だということは、暗黙の了解だったのだろう。夕起久と泉観は彼女と必要以上に接触を持たなかった。
紗枝と明起久は美弦を使用人として扱うというよりも、部屋に入れて話し相手にしているようだった。
賢季だけは、個人的に緑子に仕えられていたから、知らなかったのだろう。と、いうことはたぶん、殺された小堂と緑子も、知っていたのだろう。
「……僕だけが知らなかったのか」
賢季の嘲りを横目に、平井は告げる。
「翠子は、『妹がいた』という言葉で君を混乱させた。『妹がいる』のが本当なんだ」
「じゃあ、翠子の娘……夕凪の父親は、親父じゃなくて……まさか」
「そのまさかだよ」
「殺された夕凪は、翠子と、夕起久の間に生まれたんだ」
つまり、君の異母妹じゃなくて、従妹の異母妹になるんだ。
「泉観の」
賢季が拳を握り締めたまま、立ち尽くしているのを、平井は無言で見つめつづける。
* * *
「なぜ黙っていた」
無表情で、上城は震える鈴代を捕まえる。いやいやと身体を捩じらせる鈴代を、きつくきつく抱きしめて、彼は低い声で問う。
「東金円が、お前を殺そうとしたことを」
「……だって、ほんのいっときの戯れだと思ったから」
日曜日の夕暮れが名残惜しそうに消えていく。炎のような夕陽が鈴代の部屋の窓を緋色に染めていく。
上城は、今まで彼女がずっと、東金円の死について隠し事をしていた本当の理由を知って、顔色を変えた。
……東金円に殺されかけたのは自分だから。
「お遊戯にしては、残酷だな」
ふっと、上城が嗤う。その笑みは、強張っていて、今にも崩れそうな危うさが垣間見える。
「年頃の女の子なんて、そんなものよ」
弱々しく、鈴代は言い返す。言いたくないという自分勝手が生み出した小さな秘密を、滑らせて、言わなきゃよかったと後悔することだけはしたくないから。
上城の真剣な表情が、鈴代を責める。同情されるとは思わなかった。だけど、彼に抱きすくめられて、怒られたのは想像外だ。
冷え切った身体を、上城はかき抱く。少しでもこの熱が鈴代に伝わるよう。
「だからって……」
心細そうな鈴代の声が、上城を戸惑わせる。自分より綺麗で頭がいいからというだけで東金円に目をつけられ、母親の狂気を暴かれて、呪われた魔女と名づけられた鈴代。
――あなたが母親を殺したようなものでしょ?
上城は、東金円がどういう女の子だったかを知らなかった。他人を傷つけずにはいられない女の子だったなんて、考えてもいなかった。
いじめっこといじめられっこ。
鈴代は黙り込んでしまった上城に、ぽつりぽつりと話し出す。
東金円と、自分の因縁を。
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