45 / 57
chapter,8 (5)
しおりを挟む浅い眠りから覚めた鈴代は、花柄レースのカーテンに手を伸ばし、太陽の光を目の当たりにする。
……カミジョは信じろって言うけど。
賢季が今、どこで何をしているのか、鈴代には理解できない。翠子に会って妹の死を伝えることだけのために、逃亡したとは思えない。まさか、今更……?
電話の音。時計を見るともう朝の九時だ。遅刻だなぁなんて考えて、今日は授業のない土曜日だったことに気づく。
誰からの電話だろうと考えながら、うとうとと再びまどろんでいた鈴代だが、コツコツという階段を上る音で閉じかけていた瞳を留まらせる。
「泉観様。お目覚めでしょうか」
ノックの音。美弦の事務的な口調。扉が開く。それらは自然に行われる。
「ええ、いらっしゃい」
起き上がり、美弦を傍に呼ぶ。無言で頷いて、美弦は鈴代の前へ立つ。
鈴代が着ているのは落ちたピンク色のベビードール。華奢な肩の左右に、ボリュームたっぷりのレースでできた肩紐が無防備に垂れている。ワインレッドのベルベッドでできたリボンが、綿菓子のように膨らまされている姫袖の縁や、膨らみかけの胸の谷間を飾っている。背中で蝶々に結ばれていたリボンは寝相が悪かったせいか、膝上丈の裾よりもだらりと長く、曝け出された白い腿に絡まっている……慌てて鈴代はリボンを結びなおす。発達途中の少女の身体。大きな鏡台の前に立ち、自分の寝起きの姿を確認する。
美弦は、目覚めたばかりの鈴代を見るたびに、背中に翼のある天使のようだと感じる。今日も、気だるそうな表情でマホガニーの椅子に腰掛けた鈴代を見届ける。ストレートの長い黒髪が優美に流れる。美弦はさらさらの手触りの髪に触れ、静かに櫛を通し始める。
鈴代の背に立ち、いつものように髪を梳る美弦。人形のように美しい少女は常に無言で美弦の行為を受けていた。が。
「さっきの電話は誰だったの?」
声をかけられて、驚く美弦。
「平井様からです」
「柊太さん……そう」
賢季の逃亡を阻止したのだろう。ということは彼が一人でこの館に帰ってくる可能性がなくなったということになる。警察に連行された賢季は車を盗んだ現行犯として、また殺人事件の被疑者として留置されることになるのだろう。彼は自分の自由を犠牲に、翠子と会うことを選び、秘密を知ったのだ……鈴代の目の前にいる少女、美弦の正体を。
鈴代は頷く。賢季は知ろうとしなかったことを知ってしまったから、これ以上動くことはしないだろう。だから、逃げるように自ら動けない状態を選んだんだと鈴代は苦笑する。
美弦は無表情な鈴代の、微妙な表情の変化に気づく。その瞬間を見計らったかのように。
「美弦」
鈴代が、声をかける。
「はい」
不意打ちだというのに、落ち着いた声で応える美弦。
「知っていたの?」
美弦は鈴代の質問の意図を理解したのか、黙って首を振る。縦に。
頭の悪そうなふりをしている彼女が、本当はとても賢いことを、鈴代は知っている。
逆に、鈴代が策略家であることは、美弦に筒抜けであることも理解できる。
それでも。
「じゃあ、信じているんだ」
悪戯っぽく、鈴代は笑った。
そこに隠された本当の意味を、美弦はあえて知らない振りをして、首を振った。縦に。
「ええ。私は彼が冬将軍でないことを、信じています」
期待通りに、美弦が応えたのを見て、泉観は尚も薄く笑う。
……美弦の異母兄が賢季さんであることは、事実だもんね。
「お兄様って呼んであげればいいのに」
そう、呟くと。
「それは……できない、です」
美弦は俯いて反論する。自分と賢季は身分違いの母親違いの兄妹だから、今更名乗り出ることはできないと。それに。
「彼が今必要としているのは、私じゃありませんから」
二人の脳裡に、豊の姿が浮かび上がる。意気消沈した賢季を救えるのは、彼女だろうと鈴代も、美弦も気づいていたから。
「……そうね」
鈴代は美弦の言うことに対して頷き、続ける。そういえば、と。
「美弦は、豊が、怖いみたいね」
断言するように鈴代は口にする。
「そ、そんなこと」
鈴代はもういいわと話を打ち切る。
否定しようと言葉を選んでいる彼女の、鏡の向こうに映っている顔が、透き通ったように蒼白くなっていることに、気づかない振りをして。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
舞姫【中編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。
剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。
桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
亀岡
みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。
津田(郡司)武
星児と保が追う謎多き男。
切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。
大人になった少女の背中には、羽根が生える。
与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。
彼らの行く手に待つものは。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
ダブルネーム
しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する!
四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。
マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
時の呪縛
葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。
葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。
果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。
白雪姫の接吻
坂水
ミステリー
――香世子。貴女は、本当に白雪姫だった。
二十年ぶりに再会した美しい幼馴染と旧交を温める、主婦である直美。
香世子はなぜこの田舎町に戻ってきたのか。実父と継母が住む白いお城のようなあの邸に。甘美な時間を過ごしながらも直美は不可解に思う。
城から響いた悲鳴、連れ出された一人娘、二十年前に彼女がこの町を出た理由。食い違う原作(オリジナル)と脚本(アレンジ)。そして母から娘へと受け継がれる憧れと呪い。
本当は怖い『白雪姫』のストーリーになぞらえて再演される彼女たちの物語。
全41話。2018年6月下旬まで毎日21:00更新。→全41話から少し延長します。
舞姫【後編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。
巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。
誰が幸せを掴むのか。
•剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
•兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
•津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。
•桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
•津田(郡司)武
星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。
【完結】シリアルキラーの話です。基本、この国に入ってこない情報ですから、、、
つじんし
ミステリー
僕は因が見える。
因果関係や因果応報の因だ。
そう、因だけ...
この力から逃れるために日本に来たが、やはりこの国の警察に目をつけられて金のために...
いや、正直に言うとあの日本人の女に利用され、世界中のシリアルキラーを相手にすることになってしまった...
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/mystery.png?id=41ccf9169edbe4e853c8)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる