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chapter,7 (2)
しおりを挟む頭を抱える状況とは、まさしくこのような状態だと平井は痛感する。
重要参考人としておとなしくやってきた鈴代賢季が警察署から逃亡した。それも部下の車を盗んで。
車を盗まれた小松に非があることも事実だ。車のキーを差しっぱなしにしたままにしておくとは同じ刑事でありながら恥ずかしい限りだ。無用心極まりないったらありゃしない。
が、当の小松は車を盗まれて被疑者に逃亡されたというのに慌てていない。自分が焦ってもどうにもならないじゃないですか先輩と硬直する平井を宥める始末。
「……そういう問題じゃねぇだろ」
だが、盗まれたものは仕方ない。車のナンバーもわかっていることだし、照合すればすぐにどこを走っているかはわかるはずだ。携帯電話を彼が持っていれば追跡機能を使うことも可能だ。
「まぁ、まずは鈴代賢季の行方を探すか」
それにしても。
なぜ、今になって鈴代賢季は逃亡したのだろう? 警察とも同等にやりあっていた彼が逃げ出すとは……自分が怪しいと自ら言い出すようなものではないか。
「まさか、なぁ」
疑いだすときりがない。カサゴ毒を示唆したのは彼だし、動機があるように感じられるのも彼だし、彼の行動は平井から見ると何をしたいのかがよくわからない。もしかしたら、賢季の言動に翻弄されても、本当に彼が凶悪な犯罪に手を出した人間だと、信じたくないだけなのかもしれないと、平井は気づく。
「人殺しの魔女と、冬将軍か」
呪われた人殺しの魔女と陰で囁かれる次期財閥当主、鈴代泉観。彼女の囮として、次期財閥当主候補という立場を見せる正統なる賢者、鈴代賢季。
半年前に泉観の目の前で死んだ妖精のような少女、東金円。
十五年前に心中未遂を起こし、それ以来自室に引篭もるようになった王妃、鈴代紗枝。
何者かによって命を狙われた財閥当主、鈴代夕起久。無残な姿になった執事の小堂雄二郎。そして。
今日の夕方、賢季の部屋で何者かによって首を絞められ命を絶たれた近淡海緑子。
これらの、一連の出来事は本当に『呪い』が生み出したものなのか? いや、それはないだろう……平井は頷く。
呪いというヒトコトで片付けるにはもう、無理がある。そもそも呪いなんて非現実的な現象を今もなお存在していると言い張る鈴代一族にも問題がある、とは思う。
呪いが生み出した悲劇なんて陳腐な表現、誰が最初に言ったんだか……
これは人間が犯している殺人事件だ。呪いを利用した、厄介な。
「先輩、お客さんがいらしてますよ」
考え込んでいる平井に、小松が無邪気に声をかける。時計の針は午後十時半。一体誰だこんな遅くに……
顔をあげて、ほぉ、と声をあげる。それを見て、客は困ったような顔をして、それでも毅然とした態度で、平井に礼をする。
「あ、こんばんわ。遅くまでご苦労さまです」
「……上城くん」
子どもはもう寝る時間だ、と言う必要はないだろう。幸い明日は土曜日で学校も休みだ。それに、彼がわざわざ出向いてきてくれた理由に感づいていたから、平井は快く彼を迎える。
上城は周囲の人間にじろじろ見つめられても平然と平井と向き合っている。
やがて、上城は口を開く。今まで平井が悩みに悩んでいた問題に関する、思いがけない情報を。
「えっと。賢季さんが、どこに向かったか教えてあげようと思って」
しん、と場が静まり返る。なんだって、と小松がぽかんと口を開けたまま固まっている。
平井が今、最も欲している情報を、彼が握っている。それも、わざわざ出向いて直接会いに来た。信憑性は確かなのだろう。
面白くなさそうに、平井は口を開く。
「いいのかい? 泉観ちゃんに黙ってそんなことをするなんて」
鈴代泉観の名を出すと、上城は表情を強張らせた。どうやら一人で警察に情報を渡すことを決めたらしい。
「スズシロは関係ありません。それより……取り引きがしたい、って言ったら怒りますか?」
「取り引き? それは、鈴代賢季の場所に相当する情報か?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれません」
ここにいる人間の中で、自分が一番偉い立場にいることに気づいた平井は、仕方ないと渋々、頷く。
「法律に引っかからない程度なら、その条件を飲んでやっても構わないぞ」
平井からの承諾を得た上城は、それでいいですと頷き、さっそくですが、と口を開く。
「今日殺された近淡海緑子には、一回り年上の姉がいます。彼女の名前は翠子、スズシロの乳母で、彼女の娘が錯乱した紗枝によって誤って殺められてしまい、彼女は今、一族から離縁され、天涯孤独の身で生きていると言います。彼女の行方を探してください」
「……それが、鈴代賢季と関係あるのか」
「ええ。翠子のいる場所に、賢季さんは行きます。絶対」
上城の断言に、平井は目を丸くする。なぜだと問いただす前に、上城が笑う。
「一連の事件に、翠子という女性が、どういうわけか関係しているようなのです。それが意図的なものか作為的なものか単なる偶然なのかはわかりませんが。一族から離縁された彼女の世話を最近までみていたのが、殺された小堂だということも、警察はご存知ないでしょう?」
これが、提供する二つ目の情報だと、上城に言われ、平井は頷く。何を求めていると視線を重ねると、上城は二つ目の要求をする。
「半年前の事件を、洗いなおしてください。事故だと判断されていますが、俺は納得いかないんです」
「……でもそれは、泉観ちゃんを疑うことにならないか」
「彼女は殺していませんよ、誰も」
自信満々に言う上城を見て、平井は叫びたい衝動に駆られる。そこまでして、彼女の濡れ衣を脱がせたいのか。もし、彼女が東金円を殺していたら、彼のせいで、彼女は破滅に追いやられるというのに。
あえて、その危険な賭けをしようとしている上城を見て、平井は頷く。
「鈴代泉観が、人を殺していないのは確かだろう。だが、彼女は自分が殺人者であることを認めているぞ。それでも、上城くんは真実を暴くのか?」
「……俺は、呪いを解くんです」
呪われた人殺しの魔女を救う。その何気ない言葉に、周囲の人間が目を白黒させている。
「なぜ、なんて聞くほどのことではないだろうが。上城くん、どうして部外者である君がそこまでして、彼女を護ろうとする?」
きっと、まだ挫折すらまともに味わったことのない彼は、自分のエゴで、彼女を救おうとしているのだと、平井は考える。
が。
「なぜ、なんて理由を求める必要なんかないと思います」
平井を見据え、未来を見据えるように、口を開く、上城。
魔女という枷を嵌められた眠り姫の呪いを解くのは誰か。それは、賢者ではできないことだと声高らかに、彼は宣言する。
「呪いなんて非現実的な現象を解明しようとするなんて、恋に落ちた愚者がやるようなことだと思いません?」
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