Springs -ハルタチ-

ささゆき細雪

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chapter,7 (1)

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 妖精が抱く淡い光、輝きだす夜の行方。
 それは聖母の生み出した物語をも凌駕する。


   * * *


 人攫い、人殺し、誘拐犯、ろくでなし……さんざん喚かれても、賢季は堪えない。けろりとした表情で、ハンドルを握りつづけている。
 助手席で目覚めた豊は、自分がいつの間にか賢季によって車に乗せられ、知らない町へ連れ出されているという事実が信じられず、何度も自分の頬を叩いては感じる痛覚の存在を確認している。
 罵っても平然としている賢季に苛立ちを隠せない豊。つっかかって彼を戸惑わせようと試みるが、彼はそんな豊をいつものように軽くあしらっていた。

「警察署から逃げ出して車盗んでおまけにあたしを誘拐するなんて犯罪者顔負けね!」
「誘拐したとは思ってないよ。君が僕を追いかけてきてくれたんじゃないか。駆落ちと言っても疑われないと思うよ」
「誰が駆落ちよ! あんたなんかとそんな展開全然期待していませんからっ」
「じゃあ誘拐犯と人質ってシチュエーションで」
「だからどうしてそうなるのよ!」

 賢季を睨めつける豊は、何を言っても表情一つ変えずに楽しそうに応える彼と押し問答をしているうちに、呆れたのか諦めたのか、もういいわと黙り込む。それを、少しだけ残念そうに見つめる賢季。

「ところで、ユタカはどうしてここにいるんだい?」
「……あんたが車に強引に乗せたんでしょ」
「その前。警察署に君がいた理由を知りたいんだ。追いかけてきたわけじゃないって言うなら、どうしてかなぁって気になって気になってこのままじゃ夜も眠れなくなりそうだよ」
「不眠症で死ぬことはないわ」
「ヒドイな」

 ぶすっとした表情の豊をサイドミラー越しに眺めて、賢季は苦笑を浮かべる。

「……偶然よ」
「ぐうぜん?」
「そ。部活が終わったからいつものように屋敷に行くつもりだったんだけど、駅前通りであんたを乗せたパトカー見つけて」
「愛の力で追いかけて今に至る、と」

 咄嗟に、心底嫌そうな顔で言い返す豊。

「いやそれ絶対ありえない」
「ヒドイな」
「……で、何があったのか電話したら。房江さんが『今日はお休みなさい』って言ってくれたから」
「僕を追いかけてくれたんだね」
「うっ……そう言わせたいんでしょ」
「ご名答」

 顔を真っ赤にして、俯く豊。やがて。

「あんたが、人を殺したんじゃないかって気になったから……追いかけてあげたのよ」

 渋々、小声で呟いた。それを聞いて、真面目な表情に戻る賢季。

「人を殺した?」
「緑子さんを殺したのはあんたなの?」

 詰め寄られても動揺せずに賢季は素直に応える。豊の望む回答を。

「違うよ」
「……じゃあどうして警察署から逃亡したの」
「それは」

 暗闇の中にぼんやり浮かぶ街路灯の淡い乳白色の光に映える、賢季の考え込んだ表情。
 言葉を詰まらせて、珍しく黙ってしまった賢季を見て、不審に思う豊。

「濡れ衣だから、かな」
「なにそれ」

 賢季の口から飛び出した思いがけない言葉に、納得できないままの豊。

「緑子が僕の部屋で死んでいたのは事実だよ。だけど僕は殺していない。警察は僕を一連の事件の重要参考人……まぁ被疑者って言った方がいいかな……としてマークしはじめた。要するに鈴代夕起久の毒殺未遂からはじまって小堂の死、今日の夕方に起こった緑子の死すべてに僕が関わっているってことが疑われているんだ」
「でも、逃げたら余計疑われない?」
「そうだな」

 あっさり応えた賢季を見て、豊は脱力する。一体彼は何のために逃亡したのだろう?
 その、豊の困惑に応えるように、賢季が呟く。

「でも、僕にはまだやらなきゃいけないことがあるからね。たとえ、警察を敵に回したとしても」
「やらなきゃ、いけない、こと?」
「そう。たとえば」

 長い、トンネルに入る。橙色の光が両側から車を照らす。夜とは思えない明るさに驚いた豊は目を瞬かせる。そんな豊を横目に、賢季は尋ねる。

「君の両親にユタカが無事だってことを知らせたり……そろそろ夜十時だけど、連絡しなくて平気か?」

 サイドボードに備え付けられている蛍光グリーンのデジタル時計はまもなく二十二時の表示に変わる。それを見て、自分は随分長い間車に乗っていたんだなと豊は悟り、弱々しい声で問う。

「……ここは、どこなの」

 高速道路を走っているのは理解できる。だが、青看板に記されていた地名は、豊の知るそれではない。三時間以上車を走らせているのだ、東京ではないことは確かであろう。

「今抜けたのが塩尻トンネルだから、そろそろ松本だね」
「ま、松本?」
「そうだよ。長野県松本市」
「電話する! 親にばれたら絶対怒られる」
「じゃあ、次のインターチェンジで降りよう。あいにく、携帯電話は家に置いてきちゃったからね」

 賢季はあえて携帯電話を置いて外に出ていた。豊も持ってきていないらしい。そのことを知った賢季は、豊に気づかれないよう安堵の溜め息を吐き出す。
 ……警察に追いつかれる前に、なんとか着ければいいが。
 途中で車も乗り捨てる必要があるな、と賢季は考える。日本の警察はそこまでバカではない、盗難車のナンバーくらい容易く調べられるだろう。
 あとは。
 翠子の面影が浮かび上がる。緑子の一回り年上の姉。それでいて、泉観の面倒を一歳四ヶ月まで見ていた若き乳母。そして、賢季の初恋の人。彼女を、巻き込むわけにはいかない。ただ、彼女から話さえ、聞ければそれで充分だから。
 ……彼女の古傷を抉り出すことは、したくなかったけど。
 それでも賢季は会い、確かめるしかないのだ。一連の事件を動かす『人殺しの魔女』という符号を暴くために。
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