Springs -ハルタチ-

ささゆき細雪

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chapter,1 (5)

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 金木犀が香る裏庭。芝生の上で寝転ぶ鈴代。甘い花の芳香は、苦い二つの記憶を呼び起こす。早春の出来事と、今朝の騒動。

 その日は、沈丁花が満開だった。むせかえすほどの甘い、花の香りに酔いしれた無邪気な少女たちは、ほんの戯れと称して、宙を舞った。空想が生み出した残酷な遊戯。
 ……妖精のように空を駈けるの。そして、あのこは死んでしまった。
 鮮やかで艶やかな赤黒い血の海が、沈丁花の芳香を一瞬で、かき消す。あの時、わたしは彼女に?
 ……重力があるから空なんか飛べるわけないって、十五歳のわたしたちはわかっていたのに。
 それでも何かから逃げ出すように、飛び出そうとしたのは、見せつけるように迫られたのは、わたしだと思ったのに。
 哀しい事故。そのヒトコトで片付けられた時、それでいいのかと脱力感に陥った。もっと厳しく罰せられるものだとばかり思ったから。罰はなかった。でも。

 ――人殺しの魔女! 返してよ! 返して!

 人殺しの魔女だと呪われるようになった。氷の礫を投げつけられたような、言いがかりに近い強い憎悪に襲われて、鈴代は認めるしかなかった。自分は、他人を不幸にする人殺しの魔女かもしれない、と。
 憎まれて蔑まれて罵られて。病弱な身体はより消耗した。代謝機能が低下している。このまま呪われて死んでしまうのだろうか。それでも仕方ない、自業自得だと、諦めて、夏を迎えた。
 自分なんかいつ消えてもいいと、思っていたから。
 突然、見知らぬ少年にキスされた時の驚きは今も心の奥底で燻っている。しかも、自分の心に、今まで感じたこともない熱い想いが生まれるなんて。
 ごろり、寝返りをうつ。新緑の季節を通過した木々は、赤や黄色に色づき始めている。
 時間が経過しても、心に燈された小さな恋の炎は、鈴代が消そうとしても消えなかった。
 そして、彼……上城と再会したことで。再び。鈴代は自分の恋心を認めざるおえなくなった。
 だけど、今朝、また、鈴代の前で、親しい人が、思いがけないことで、倒れた。まるで本当に呪われているみたいだ、と鈴代は嘲笑する。自分が家に残っていても何もできないことがわかっているから。これは事故なんかじゃない、明らかに何者かによる殺人未遂だ。警察に任せるからお嬢様は心配しないで、と、家政婦に言われ、逃げ出すように学校に行ったけど。
 怖い。人殺しの魔女の家で、殺人未遂があったなんて、知れ渡ったら。
 ……上城は、それでも傍にいてくれる?
彼の、優しさが溢れた眼差しが、不安で震えている鈴代を包み込む。全部吐き出したいくらいだった。だけど、そんなことして嫌われたら嫌だ。
 だから、何も言えない。燃えあがる想いを秘めて、今日も彼の前から逃げ出してきたばかりの鈴代は、散りゆく金木犀の朽ち果てた花を見上げ、眉をひそめる。

 ――人殺しの魔女に恋した愚者がいるらしいよ。

 噂はいつだって一人歩きする。知られてしまうのは時間の問題。そしたらきっと、上城もわたしの傍から姿を消す。それなら、近寄るなって自分から距離を置いた方が楽。
 それなのに、上城は。
 上城は……


「みつけた」


 濃紺の見慣れた学ラン、なのに、上城が着ていると胸がときめくのはどうしてだろう。鈴代は起き上がり、上城を見上げる。がさり。落ち葉のこすれ合う音が、二人の耳元に届く。

「風邪、引くぜ。もう、夏じゃねーんだから」

 芝生の上に座り込んだままの鈴代の顔を覗き込みながら、上城も隣にしゃがみこむ。

「スズシロ? どうした。何かあったのか?」

 俯き、憔悴しきった鈴代の両肩をそっと、掴む。抵抗しない彼女を、抱き寄せ、背中を静かにさする。じんわり、彼の身体の熱が、冷え切った鈴代の身体に流れ出す。

「……カミジョ。呪いって、信じる?」

 上城の顔が強張る。自分が聞き出そうとしていたことを、まさか鈴代が口にするなんて。あれだけ隠していた、鈴代が、自ら呪いのことを言葉にするなんて。

「信じないよ。どうして?」

 明るく言い放ち、問い返す。今日の鈴代はどこかおかしい。いつものように上城と言い争うこともせず、教室を飛び出し、一人、金木犀の咲く裏庭で、物思いに沈んでいたのだから。
 不審に思った上城は、鈴代を探した。そして、見つけた。今にも消えてしまいそうな彼女を。

「……あのね、カミジョ」

 黙っていた鈴代は、上城の質問の答えを噛み締めるように、薄紫色の唇をわななかせる。

「わたしの前で、親しい人が、死んでいくの」

 即座に、上城から否定の言葉が零れる。

「嘘だ」
「ほんとう。今日だって」

 振り絞るように、言葉を繋げる。


「お父様が、わたしの目の前で……」
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