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「茂姫、御無事で!」

 城門からわらわらとでてくる警吏たちの姿を見て、うんざりしたような表情の茂。傍らには苦痛で顔を歪めている三太と、彼を抱き上げている将軍。

「……あの、下ろしていただけませんか?」
「茂がよいと言えばな」
「言いません」

 機嫌を損ねてしまった茂は家斉に三太を助けるよう命じた。自分より彼の方が偉いのに家斉は茂の言うことを素直に、気持ちが悪いくらいに素直にきいて、一介の町民にすぎない三太を抱き上げている。
 申し訳ないと三太は抱き上げられたまま平伏しているが茂はそのままでいいのと言い張る。どうしてこうなったんだろう……


   * * *


 弥二郎はおはんを片手に江戸城門前で佇んでいる。その横で笠を被った久音はおおきな朝顔の鉢を持っている。白と藍の絞りが印象的な大輪の花は、朝陽を浴びて気持ちよさそうにしている。
 周囲には江戸城下の町民たちが久音たち同様、城門前で今か今かと待ちわびている。

「将軍は衆道に興味があるとの噂がでたそうだな」
「……三太も不憫だったわねぇ」

 あれから。
 三太は将軍お抱えの小姓にされてしまった。彼は八丁堀で朝顔を育てている方がいいのにと言いながらも、茂の傍にいられるのならそれでもいいと持ち前の環境順応能力で日々を忙しく過ごしているという。そのうちお庭番も兼ねるのではないだろうか。

「ま、誤解も解けたようだし、いいじゃないか」
「そうね……あ、お兄ちゃん」

 嘉一郎は七兵衛や他の同心たちと共に城下の見回りにはいっている。嘉一郎は弟夫婦に気づいたのか、軽く手を振り、通り過ぎていく。

「忙しそうだな」

 そうだねと久音も頷く。嘉一郎も茂の晴れ姿を見たいだろうに。

「でも、お兄ちゃんは江戸のために奔走してるのが似合うし、いいんじゃない?」
「だな」

 前方でわぁと歓声があがりはじめる。人の波で見えずらいが、確かに白無垢を着た少女が、茂がいる。

「家斉様、茂姫様、おめでとうございます!」


 ――今日は、将軍殿の婚礼の日。


   * * *


 真夏に行われた婚礼の儀式は、武士だけでなく庶民をも巻き込み、盛大に行われた。
 政治家としては莫大な借金と五十人以上もの子を残したことで有名な家斉だが、庶民に対する圧迫は少なかった。
 その結果、化政文化が花開き、江戸の町は活性化していく。


   * * *


「きれい」

 将軍に仕えながらも三太は朝顔を育てつづける。大輪朝顔だけでなく、八重咲きの変化朝顔や幻の黄色や黒い花をも作り、庭院を訪れた人間を喜ばせたという。三太が喜ばせたい人間はただひとりだったけれど。

 婚礼から一年、茂のお腹には、将軍家斉のこどもがいる。

「……姫様」
「もう、姫じゃないですよ」

 膨らんだお腹をいとおしそうにさすりながら、茂は笑う。彼女は間もなく母になる。おはんを産んだ久音のように。
 それでも。三太は茂を姫と呼ぶ。

「だけど、僕にとって姫様は……」

 けして告げることはできないけれど。
 彼女のために今日も彼は庭に立つ。
 朝顔に負けないくらいに輝く、彼女の笑顔をこの先も見ていたいから。



     ―――fin.
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