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「ダイキライ」――そう言って、彼女は逝った。
しおりを挟むあんなに伸びていた爪を、彼女が切った。
あたしはそれが何かの悪い前兆のようにしか思えなかった。
彼女が深爪した。
凶器のように鋭かったかつて皮膚を形成していたその骸は、百円均一で売っていたツメキリの手によって、平べったくなってしまった。
「なに人の爪ジロジロ見てるのよ」
「なんで切ってるの?」
綺麗なのに。
いつも様々な色のマニュキアつけてお洒落していた彼女なのに。
「もう、必要ないから」
彼女はアッサリ言う。
「……そっか」
パチン、パチン。
ツメキリの音が部屋中に響きわたる。
制服姿のあたしは鞄を持って立ち上がる。
「そだ、芹夏」
「何?」
彼女はあたしの名前を呼んで意地悪そうに微笑む。
「アタシ、あんたのこと、大嫌いだよ」
嬉しそうに、ダイキライと言う。
「それは好都合。あたしもあんたのこと、大嫌いだから」
笑顔を返して、あたしは自室へ戻る。
それが、あたしと彼女の、最期の会話。
* * *
死んだ人の話をするのはなんだか抵抗があるね。
あたしは彼の胸に頭を乗せながら、彼女のことを話す。
「もう、三年も経っちゃった」
彼女はあたしが十四歳の秋に死んだ。
まだ残暑の厳しい九月。
なぜ、あんな中途半端な時期に彼女は死んだのだろう?
「そういえば、アイツ、変わった奴だったもんな」
彼は中学生時代の彼女を思い出してあたしと見比べる。
「ちっとも似てねぇな」
「酷いこと言うね、諫早」
二人で毛布にくるまって、彼女の話を今まで何度しただろう?
あたしの話す彼女の話はいつまでも続く。
終わりがないみたいだ。
でも、そんなこと言い合っているあたしも諫早もいつか死ぬ。
彼女みたいに。
* * *
諫早は彼女と同い年だ。二人は中学時代同級生だった。
あたしより四つ年上で、大学で法律の勉強をしている。
もし彼女が生きていたら、今、何をしているのだろう?
諫早はあたしの先輩でもある。中学が一緒だったから。
でも、諫早は彼女とそれほど仲良くなかった。
それなのに、あたしとは仲良くなった。
普通、彼女があたしに紹介するだろう過程を、逆流してしまった。
あたしの彼氏。
そしたら彼女は彼を一瞥して、フンと鼻で笑った。
彼女はそういう人間だから、あたしも彼も気にしなかった。
彼も、彼女の笑った意味を悟ったらしい。
「小松君なら知ってるわよ。クラス一緒だったもの」
彼は彼女に知られていたから、鼻で笑われたのだ。
彼女と彼があたしの前で会話していたのはその時だけだ。
「名字が首堂だからもしかしたらとは思ったよ」
まさかお前と彼女が姉妹だなんて……世の中間違ってるよな。
彼はしょっちゅうあたしに向かって言っていた。確かに、誰もがそう言う。
「あたしもあんな女が自分の姉だったなんて信じられない」
ベッドサイドの文机に、白いカップを並べて薄いコーヒーを注ぐ。
小さな部屋をコーヒーのほろ苦い香りが占領する。窒息してしまいそうだ。
「餞別の言葉が“ダイキライ”よ。こんな姉妹、いるかしら?」
「でも、セリカが言うと、“ダイスキ”に聞こえるのは俺だけかな?」
コーヒーの匂いに混じって、諫早の汗の匂いが鼻孔をくすぐる。
「まさか。今もあたしは大嫌いよ。あんな女……」
「セリカがそう言うなら、信じるけど」
ブラウスに袖を通して、あたしは立ち上がる。
「無断外泊で叱られるんじゃねぇか?」
「カエデに頼んでおいたから平気よ」
浦野楓。あたしの通っている高校の寮のルームメイトだ。
「慣れてるよな」
「まぁね」
皺の寄ったスカートの襞を正してから、鞄を持つ。
「行ってきます」
あたしは彼の額に接吻をして、扉を開く。
太陽の光りと、爽やかな春の風が、コーヒーの匂いをぬぐい去る。
今日が、はじまる。
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