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騎生が鳴海のことを知ったのは夏の終わりだ。近所の女子短大に通っているという彼女は、騎生が毎朝同じ電車に乗っているのが気になったから、つい声をかけてしまったと笑っていた。夏なのにぴったりとした長袖のカーディガンを羽織っているのが気になったが、笑顔のかわいい、どこにでもいるような女性だった。
毎朝同じ電車に乗って、たわいもないはなしをして笑いあい、鳴海が先に降りていく。
帰りはアルバイトがあるから時間が重なることはなかったが、朝だけは欠かさず顔を合わせていた。
それから一ヶ月。九月の半ばに世間話のつづきのように告白された。当時付き合っている女性もいなかったし、かわいいなと思っていたから騎生は鳴海に応えて彼氏になった。そこまでは順調だった。
「騎生、いつ結婚しますか? 早く結婚してくれないとわたし、死んじゃうかもしれませんよ?」
鳴海は俗にいうメンヘラだった。カーディガンで隠していた手首には無数の傷があった。調子のよいときは問題ないのだが、月に数回、精神的に危なくなるときがある。騎生を恋人として認識してからは、彼に依存するようになった。ことあるごとに「結婚しよう」「結婚しましょう」と言い放ち、電話に出られなかっただけで浮気を疑われ、死にたいと騒ぎ出す。だが、束縛されることに優越感を抱いていた騎生は彼女のメンヘラな部分も嫌いになれなかった。
現に鳴海は騎生を困らせはするが、他人に迷惑をかけるようなことはしていない。ただ、度が過ぎると自傷に走るため、騎生は寂しがり屋なうさぎを飼うような気分になっていた。
そんな彼女だから「結婚」と口で訴えてはいるが婚姻届けを持ってきて「さあいますぐここに印鑑を!」と迫るほどの勢いはない。性に関しても臆病で、手をつないだだけで顔を真っ赤にし、キスだけで失神しそうになっていたのだ。
どこかちぐはぐで、不安定な鳴海を騎生が放っておけないと思ったのは仕方のないことである。
ハロウィンシーズンに入り、遊園地デートをしたいと提案してきた鳴海は顔色が悪かった。手首を切りすぎて血の気が足りないのだと笑っていた。笑い事じゃないと騎生は焦ったが、彼女は両親とうまくいっていないのだと悲しそうな顔をするだけだった。このときもっと彼女のはなしをしっかり聞いていたら、彼女は莫迦な真似をしようとしなかったかもしれない。
おまけに朝から財布を落とすわ、インフォメーションセンターに届いた財布のなかに入っていた現金はなくなっているわで鳴海の機嫌はせっかくのデートなのに良いとは言えなかった。なぜか終始コートを着たままだったし。
騎生が不審に感じたコートの中身が判明したのは夜、ハロウィンの電飾が煌めきだした頃だった。
雷が近づく人気のない遊園地でコートを脱ぎ捨て、黒いベビィドールで自分に迫った鳴海。ハロウィンの小悪魔のコスプレにしては露出度が高くて騎生はほんの一瞬彼女の言う通り既成事実を作ろうかと思いかけた。けれど良心がそれを拒んだ。まずはこの激しい雨から逃れるのが先だ。
降りしきる雨のなか、黒いベビィドール姿の儚げな悪魔から視線をそらした騎生は、これが彼女の最期の姿になるとは思いもしなかった。
あのときなぜ彼女がそこまで切羽詰まっていたのか、理由を知ったのは、彼女がいなくなってしまってから――……
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