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* long long prologue / Sadayoshi Moromizato *

chapter,1 + 13 +

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   * * *


 空耳だと思った。


「……だぁれ?」


 病室の扉を開け、聞こえてきた鈴の鳴るような声。
 陸奥は、気のせいだと首を振り、ベッドで酸素吸入器をつけて眠りつづけている少女の姿を見ようと、視線を傾け、気づく。

 彼女は自分で酸素吸入器を外していた。
 邪魔だったのだろう、投げつけたらしく、床の上に無造作に転がっている。


「嘘だろ……」


 唖然とする。
 ありえないと思った。
 透き通った漆黒の瞳が、陸奥を見つめている。
 興味深そうに、彼の顔を、眼を、覗き込んでいる。
 その、無邪気な少女の表情に、吸い寄せられる。


 ……なんて綺麗な瞳なんだ。


 見つめあい、少女は枕に頭を乗せたまま、首を左右に振る。
 痛みが走ったのか、顔をしかめ、唇を歪ませる。


「動くな、頭はまだ……」


 慌てて少女の髪に触れる。そっと、撫でる。自由がしてあげていたように。柔らかい、肩まで伸ばしっぱなしの黒髪が、少女の頬に触れる。心地よいのか、くすぐったそうに少女は瞼を閉じ、ひくひくさせる。


「どうした?」

 まともな返答は期待していなかったが、陸奥は少女の鈴の鳴るようなか細い声をもっと聞きたいと、優しく声をかける。


「だぁれ?」

 瞬きを繰り返しながら、少女は陸奥をじぃっと見つめる。


「俺か?」

 そうだ、と軽く首を振ろうとする少女を押し留めて、陸奥は応える。

「陸奥だ。ミ、チ、ノ、ク」


 きょとん、とした表情で少女は唇を動かそうとする。
 陸奥と発音しようとしているのだろう。言語中枢に障害が残っているのか、今の時点では判断できないが、少女はどうにかして陸奥と言葉を交わそうと努力を見せている。


「……ミ、チ、ノ、ク。へんななまえー」
「それが俺の名前なの」


 陸奥が白衣を着ているからか、自分が病室にいるからか、どっちも理解しているからか、少女は彼が医師であることを見抜いていた。


「じゃあ、ミチノクせんせい?」
「そうだ、よくわかったな」


 陸奥の言葉を、嬉しそうに少女は受け止める。
 はにかんだ表情が、陸奥の凍りついていた心を静かに溶かしていく。
 たどたどしい喋り方、幼稚な言葉遣い、それでも、彼女は意思疎通できるレベルにいる。

 植物状態は完全に脱している。
 陸奥は少女をまじまじと見つめる。


 ――奇跡だ。これを奇跡と呼ばずに何と呼ぶ?


 やがて、陸奥の名を呼ぶのに飽きたのか、少女は自分の名前を口にする。


「あたし、コデマリ」


 亜桜小手毬。
 交通事故で二年近く、生死を彷徨っていた少女。
 植物状態と言われ、まともな治療法もままならないまま、昏睡状態だった少女。
 その少女が、意識を取り戻している。
 みるみるうちに、彼女は十六歳の記憶を再生させていく。


「小手毬、か」
「そ。花のなまえ」


 訴えるように、陸奥にたたみかける。


「しろい花なの。春になるといっぱいさく。コデマリの花、ミチノク知ってる?」


 病院の中庭に植わっている花木のことだろう。自由が以前口にしていたことを思い出す。


「知ってるよ、ジユウが教えてくれた」

 ジユウ、という単語に反応したのか、小手毬の顔色が変わる。白い頬にわずかに赤みが走る。

「ジュウにぃちゃん、知ってるんだ……」


 どうやら彼女は自由のことをジュウと呼ぶらしい。ころころと鈴のなる甘い声が、陸奥の内耳を揺すぶる。


「ああ」

「お医者、なれた?」


 彼女はどこまで気づいているのだろう。自分がどのくらい意識を失っていたのか、まさか自覚しているのか?


「今、研修中だ。国家試験はいい成績でパスしたらしいぞ」

 誇らしそうに言うと、安心したように小手毬は両瞼を閉じる。

「よかったぁ」


 自分の身体のことよりも、第一に自由のことを思っている。そのことが陸奥には信じられなかった。
 今がいつで、自分がどんな状態なのか、取り乱すこともなく、彼女は淡々と受け止めていく。事実は事実だと陸奥に真実を求める。


「あたしは、もう、だいじょうぶだから」

 教えてと、陸奥に乞う。

「駄目だ」
「なんで」
「頭がパンクする」
「してもいい」
「ジユウに怒られる」
「あたしが?」
「いや、俺が」
「……じゃあ、いいや」


 ジュウにぃちゃんに教えてもらうからミチノクなんか知らないと言い放たれる。それはないだろと苦笑を浮かべる陸奥も、怒ってはいない。
 ぽんぽんと会話ができることに驚く。もともと活発な少女だったのだろうか。まるで、ほんとうに二年間眠っていただけに見える。


「ミチノク」
「なんだよ」
「頭、痛い」


「……――それを早く言えっ!」


 陸奥の怒鳴り声が、少女の病室から響き渡る。
 それが、奇跡のはじまりの、合図になる――……
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