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Ⅸ 月下美人は商人の花嫁
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しおりを挟む「本物の、偽物の“白銀の姫君”……?」
押し黙るダヴィデをオスマン軍の兵士たちが連行していく。イデアが現れることを見越して人質にでもするのだろう。エーヴァの存在を匂わせずに取引を終えようとしていたダヴィデからすれば、彼が亜麻色の髪の彼女を知っていたことはおおきな誤算だ。
呆然とするリリを前に、ムラトがくすりと笑う。
「リリと言うんだっけ、きみ。なぜテッサロニキから逃げ出してきてしまったんだい? あそこにいればきみは“白銀の姫君”でありながら、安全に生活することができていたのに」
「それは……」
「いいよ。皆まで言う必要はない。ヴェネツィアの管理下にある頃よりもずいぶん苦労しているのはわかるし、それだからこっちも包囲するのが楽だったんだもの」
けろりと言い放ち、ムラトはリリに向き直る。海の風の香りがふわりと漂い、困惑するリリの鼻孔を甘くくすぐる。
「デーヴィット……いや、いまはダヴィデって名乗ってたね。彼はなぜ、きみをおれに差し出そうとしたのかな。彼は大英国のバーヴェッジ商会の跡取りだったはず…だというのに身分と名前を捨て、この地に現れた。肩書きがあればもっとあっさり謁見することが可能だったのに、面倒くさい手続きを数ヵ月前からして……その結果がこれだよ?」
そうっとリリの銀髪に触れながら、ムラトは囁く。
「こう見えるけど、おれ……まどろっこしいことは嫌いなんだ」
「っ!」
耳朶をぺろりと舐められ動けなくなるリリの懐から、ちいさな蜂蜜色した液体が入ったガラスの小瓶を発見したムラトは、「やっぱり」と頷きその手に取る。
あっさり媚薬が入った小瓶を奪われたリリは、自分が失敗したことを認め、表情を曇らせる。
「きみはスルタンを殺しに来た暗殺者……ではなさそうだね。だけどこれはなにかな? 毒薬だろうがそうでなかろうが反逆罪は免れない状況だよ?」
「そ、それは媚薬よ……イデアが、オスマンの妃になるのなら、その薬でいいなりにしろって……」
「イデア? 兄上とも関係しているのかい? ダヴィデだけでなく?」
「な……」
蛇が這うような視線を向けられ、リリは凍りつく。彼は、リリを娼婦とでも思っているのだろうか。違うのに!
「ふぅん。兄上が来るまでの退屈しのぎにはなるかな」
身体のラインを見下ろされ、初な小娘のように震えるリリを嘲笑いながら、ムラトはガラスの小瓶を掲げる。
「おいで。おれを気持ちよくしてくれるのだろう? ならばとっておきの場所へ連れていってあげよう」
ムラトは猛禽類のような黒い瞳を輝かせ、舌なめずりをしながらリリの腕を取る。
周りを兵に囲まれ、逃げ出そうにも逃げ出せない状況のなか、リリは自身の貞操だけではない、生命の危機を感じていた。
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