水の都で月下美人は

Ⅸ 月下美人は商人の花嫁

+ 9 +

「コンスタンティノープルに着くまでは、黒髪のリリのままでいさせてください」
「それは構わないよ。こっちもワケアリだから」
「じゃあやっぱり、ダヴィデ様とエーヴァ様は駆け落ちされているのですね！」
「……まあね」

　たしかにダヴィデとエーヴァはヴェネツィアで許されざる恋に落ちてアテネからメテオラに辿り着き、今度はコンスタンティノープルへ向かおうとしている。
　リリからすれば、ふたりに親近感を抱くのは無理もない話だろう。

「でも、どうしてコンスタンティノープルへ？　あそこはいま、オスマン軍がテッサロニキ同様封鎖している状態だから、商人でないとなかなか入れない状態ですよ」
「一世一代を賭けた大切な商談があるって言ったよね。ダヴィデはもともと大商家の息子だから」
「ああ、そういえばそうでしたね」

　コンスタンティノープルへ向かう途中だと教えたエーヴァに、なんでもするから連れていってと希った彼女もまた、必死だったのだろう。イデアたちが商人として外へ行き来できる行幸にしがみついて、ここまで来たのだ。ただ、望まない結婚から逃れるそれだけのために。

「――相手は」
「いけすかない老人よ。オスマンに囲まれている状態だっていうのにいまのテッサロニキで好き勝手している快楽主義者。五人目の妻が死んだから六人目の妻にしてやる、って脅されて……」
「そう」

　リリから話をきいたイデアは、彼女の黒髪から零れる月の色を前に、寂しそうに笑う。

「その、綺麗な月の色の髪だと、目立っちゃうものね」
「……」
「まるで“白銀の姫君”みたいだ」

　その単語に、リリの表情が硬くなる。

「その言葉……どこで」
「テッサロニキは便宜上ヴェネツィア共和国の支配下にある、って聞いたから……もしかしたらって思ったの。ねぇリリ」

　出会ったときは灰紫色の瞳だった彼女の瞳の色は、数日の船旅で銀色になっている。黒い髪同様、瞳の色を染めて周囲を欺いていたのだろう。商人の娘ならば、その手の道具を調達するのも造作ない。

「スルタンの王妃になる気はない？」