水の都で月下美人は

ささゆき細雪

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Ⅷ 月下美人と悪魔な賢者

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 好き、と口にすることを憚り、一緒にいたかった、とだけ零すアリーズを、イデアが不思議そうな表情で見つめている。

「なぜ、過去形なのです?」
「イデアも聞いたでしょう? お兄様は海に落ちてしまったの。陸にたどり着けないまま、この寒い夜を耐えられるとは思えないわ……きっと沈んでしまったのよ」

 海の藻屑となってしまったブラジウスに、後宮入りが決まったと告げることが叶わなかったのは良かったことなのだろう、彼を悲しませることにならずに済んだから。
 けれど、イデアは感傷に浸るアリーズを見て、落胆したかのようにはぁ、と息を吐く。

「遺体があがったのならばともかく、いまはまだ行方不明ってだけじゃないですか。もしかしたら東ローマビザンティンの方に流されて生きているかもしれない」
「それでも、もう彼と会うことはないでしょうね……もうすぐ後宮に連れていかれるんですもの」

 後宮に入ったら、死ぬまで外に出ることは叶わないだろう。
 ブラジウスが生きているという希望に縋りたいとは思う、けれど、彼と会って話をすることはもう二度とないのだという現実が、彼女を諦観へと追い詰めていく。
 アリーズは後宮という豪奢な鳥籠のなかで、スルタンのご機嫌を窺いながら一生を過ごすという運命が決められた身の上だ。銀の鳥がいまさら嫌だと暴れたところで、父親に強引に引き渡されるだけ。

「溜め息は似合いませんよ、お嬢様」
「イデア」
「あと、いつまでも悲劇のヒロインぶられていると、イライラします」
「……ま」

 ぽろっと出てきたイデアの本音を前に、アリーズは銀の瞳をまん丸くする。
 たしかに、今夜の自分は弱音ばっかり吐いている。見張りを頼まれたイデアからすれば、見ていてイライラしても仕方がないだろう。

「そういうイデアは何を考えているの? もし貴女が後宮に入れられる立場で、尊敬しているお兄様の消息がわからない状態になったら……やっぱり落ち込まない?」
「落ち込みはすると思います……けれど、そこから這い上がります」
「這い上がる?」
「はい。お嬢様……もし、何かと引き換えにその願いが叶うのならば、貴女は何を望みますか?」
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