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Ⅵ 月下美人と奴隷商人
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ともあれ船は無事、アテネの港へ到着した。
船員たちは解散となり、各々の目的に向けて動き出す。
ダヴィデとエーヴァも乾いた風が舞う日没前のギリシャの地へと降り立った。
この日は嘔吐はしなかったものの、エーヴァは船酔いのせいで顔色が青くなっている。
「今日はここに泊まろう」
ダヴィデは奴隷商人らしく堂々とエーヴァを連れ、港から近い宿場町のこじんまりとした宿を選ぶ。
扉を開ければ人の好さそうな女将が「いらっしゃい!」と明るく迎えてくれたが、奴隷を連れた商人を見て不審そうな表情を浮かべ、その商人の顔を見て絶句する。
「あらま……デーヴィットじゃない!」
「いまはダヴィデっていうんだ。女将さん、お久しぶり。グーリーは?」
「いるわよ。ちょっとあんたたいへんー!」
バタバタと軽快な音をたてながら女将が連れてきた男は熊のように大きく、濃い髭を蓄えていた。
エーヴァを連れたダヴィデを見て「おや?」とほくそ笑んでいる。
「ついに愛玩奴隷に手を出しちまったのか」
「出してないしそもそも奴隷でもない、これは俺の女だ」
「……うちに来たってことは今夜泊るんだろ?」
「部屋はひとつでいい。抱き潰す」
「!?」
しれっと爆弾発言をするダヴィデを前に、顔を真っ赤にするエーヴァ。
そんなふたりを見て、察したのかグーリーははいはいと頷き、階段を指さす。
「いつもの部屋でいいか。彼女に着るものはあるのか? マイヤの服なら」
「持ってるから心配するな。あと飯の準備もしないでいい」
「そう言うなって。朝になったらマイヤの焼いたパンをつけてやる」
はははと豪快に笑いながらダヴィデの耳元でグーリーはこっそりと告げる。
「莫迦だな。モチェニーゴ家との結婚から逃げたのか」
「……いまの俺はダヴィデだ。デーヴィット・ヴァーベッジは先日の大高潮で死んだ」
「――ふぅん」
まぁ俺には関係ないけどね、と言いたそうにグーリーは怯えているエーヴァを見下ろす。
ダヴィデがヴェネツィアから連れてきた女を物珍しそうに見つめ、グーリーは苦笑する。
そんな夫を怪訝そうな表情でマイヤが見つめている。
――なんだか近寄りがたい雰囲気があるわ。それに、この瞳の色、どこかで……
マイヤとグーリーの値踏みするような視線を制し、ダヴィデはエーヴァを引っ張って階段を上っていく。
ふたりが消えたのを見て、グーリーはマイヤに呟く。
「どう思う? 磨けば光りそうな上玉だったよな」
「たしかに美しい奴隷みたいだけど、カケオチするほどかしら。鉛に毒された大商人の息子……って感じがするわ」
「マイヤは辛辣だな。けど、もしそうだとしたら哀れだよな。ヴェネツィアにはモチェニーゴ家の末孫姫が待ってるだろうに。どのみちあの様子じゃ幸せになれねーよ」
「そうねぇ……」
不安そうに主人を見つめるマイヤに、グーリーは頷く。
「ま、仔細を聞かないとわからないわな。明日の朝までは面倒みてやるか」
「もう、お人よしなんだから」
かつての悪友の訪問をまんざらでもない気分で迎えているグーリーの背中を眺めながら、マイヤは心の奥底で嗤う。
――そうだわ、あの銀にも似た鉛色の瞳。彼女に似てるんだわ。故国を裏切った、彼女――アリーズに。
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