水の都で月下美人は

ささゆき細雪

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Ⅲ 月下美人と皮肉な再会

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 これからディアーナは婚約の顔合わせにのぞむ。
 お相手は、数年前からモーロ一帯を牛耳っている英国から移住してきた大商人、ジョセフ・バーヴェッジの長男デーヴィットだ。先日の“海との結婚”では父ジョセフがディアーナの姿に気づいて挨拶してくれたが、息子の方は恥ずかしそうに会釈をしただけでエーヴァたちから離れてしまったのである。二十歳は過ぎていると聞いていたが、一見したところ、それより幼くて頼りない感じもあった。

 ……とはいえ結婚するのはディアーナであってエーヴァではない。それに、ディアーナは商人との婚姻に乗り気なのだ。貴族と結婚した姉たちや高貴なる血統に従順な従兄の堅苦しさに辟易している彼女からすれば、見た目が幼くて頼りないくらいたいした問題でもないのだろう。

「あたいはね、何もできないぼんくら貴族より、流行に敏感な商売人のお嫁さんになりたいんよ」

 結局、彼女の両親は末娘の我儘を受け入れたのだ。貴族だけでなく、これからの時代はブルジョワも味方にできると考えてのことだろう。

 ――ジョセフにしてみれば、ヴェネツィア女性と結婚した外国人は市民とされる、という法律を使って、息子をヴェネツィア貴族の娘と結婚させたいだけかもしれないけど。

 応接室で緊張のご対面をはじめるディアーナから離れ、エーヴァはひとり温室――テラスへ向かう。
 ダヴィデにもらったエピフィリウムの世話をするのだ。

 そこは邸のはずれに位置する硝子で隔てられた一角だ。
 モチェニーゴ家の人間が愛する真紅の花々のほとんどがこのテラスに飾られている。薔薇のように美しい八重咲きのベゴニアや爽やかな芳香を楽しませてくれるゼラニュームの赤い花鉢とともに、ひときわ背の高いエピフィリウムの鉢が設置されている。
 エーヴァひとりでこのかさばる鉢を館に持ち帰ってきたのを見たディアーナは驚きで目を丸くして歓迎したものだ。
 とはいえ、鉢植え自体はさほど重くなく、ひとりで持ち運ぶ分には問題ないと知ると、ディアーナはエーヴァの鉢植えのためにテラスの一角を間借りさせてくれたのである。

 陽射しを浴びて青々としている葉に霧吹きで水を与えたエーヴァはその隣にある寝椅子カウチに腰掛けて息をつく。
 緊張の糸がほぐれる一人だけの時間。

「ふぅ」

 ディアーナお嬢様が結婚する……それも、親が勝手に決めた縁談で、よく知らない男のひとと。十五歳の彼女は、それを当然のように受け入れている。
 自分の方がうろたえるなんて、どうかしている。それはすでにエーヴァの知らぬところで決まっていたことなのだ。もし自分がディアーナの立場だったら、素直に応じることができるだろうか。見ず知らずの男の人と結婚して跡継ぎをもうけるために子作りに励む……悶々と考え込んで、ダヴィデとの一夜まで思い出してしまい、ふたたび溜め息をつく。

「やっぱり、お嬢様は、すごいです……」

 エーヴァは座り込んだまま鬱々としているうちに、春の陽気にそそのかされ、睡魔を受け入れてしまう。うとうと、うとうと……
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