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畢 その三

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「……御台所さま?」

 浅葱は頼朝の妻、政子に呼び止められ、困惑を隠せない。

「あの白拍子は、行ってしまったの?」

 名残惜しそうな政子は、白い小花を両手に持っていた。
 きっと、餞別に手渡そうとでもしたのだろう。
 頼朝を愛するいつまでも乙女のように無邪気な政子は、義経にかける情熱を歌い上げ神前で舞った禅にひどく共感していたのだ、最後に一言、声をかけたかったのだろう。
 もしかしたら夫がひどいことをしてしまったことに対する謝罪も含まれているのかもしれない。

「ええ、行ってしまいましたよ」
「そう……」

 もう二度と逢うことはないだろう。もしかしたら義経と、自分と同じ名前の少女を探す気かもしれない。そうだとしても、浅葱は最早何もできない。たとえ敵対関係にあったふたりの「シズカ」という名前の少女に同情しているとしても。ふたりが愛するひとは頼朝の執拗な追っ手に殺されるか、それとも路傍で野垂れ死ぬか、それくらいしか選択肢を与えられていないのだから。
 そうは思っていても、浅葱は可能性を捨てられない。ふたりの「シズカ」とともに義経が頼朝の手の届かない場所へ逃げ切るのではないか? と……

 ふと、政子の手元の花を見つめる。
 その白い花の名は、早乙女花。
 初夏にひとつの茎からふたつの花穂をつける愛らしい花。

「浅葱、知ってる? 早乙女花の別称」
「いえ」

 少女のように、政子は白い花束を胸元に抱いたまま、もうひとつの花の名を告げる。

「二人静っていうのよ」

 ――ふたりしずか?

「京都で評判だったとある白拍子の舞姿をそのふたつの花穂から見たのでしょうね。舞う白拍子とその影……亡霊を」
「……」
「ね、浅葱」

 頼朝を愛する政子は、義経を愛するふたりのシズカに共感はしているけれど、味方にはなれないから、こっそり祈ることしかできないけれどと、浅葱の耳元で囁く。

「わたくしはあの白拍子に、この花言葉を伝えたかったの。たとえ亡霊になってしまっても、心はいつまでも一緒・・・・・・・なのよって」

 浅葱は苦笑を浮かべ、政子の言葉に対して、心の底で首を振る。

 ――違いますよ御台所さま。

 シズカはふたりいるのです。どちらも亡霊なんかじゃないのです。ふたりのシズカは同じ男のひとを一生懸命に愛しているのです。

 いつまでも一緒に、想っているのでしょう。
 義経という、ひとりの男を。

                               ―――Fin.
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