上 下
19 / 34

参 その四

しおりを挟む



 頼朝がつかわせた男の名は、土佐房昌俊とさのぼうしょうしゅん
 八十三騎もの一族郎党を連れて熊野詣だと触れ回っているが、京の人間は誰も信じてはいない。

 その噂を耳にした静は、六条堀川の邸で寛ぐ禅と「今夜かしら」と暢気に話している。
 危険だから離れの邸にいろと義経に言われたにも関わらず、静も禅も邸に残り、興味深そうに周囲を観察している。

「あなたまで残らなくてもいいのに」
「同じ言葉をあなたに返すわ」

 しん、と静まり返る夜の邸。灯りと呼べるものはすでになく、晩秋の儚い虫の声だけが外の気配を伝えている。

 禅にも侍女はいるが、静が秀足を連れてきたため、安全な場所へ避難させている。好奇心旺盛な主の心境を理解してくれないのはすこし淋しいが、それが普通なのだろうと禅は横目で同じ名前の少女を見やってから、その隣へ視線を移す。

 それを考えると、河越庄の頃から静に仕えている秀足は、案外、骨の太い人間なのかもしれない。
 喋れない自分から語ることはせず、静が口にすることを筆で返す律儀な姿は、物事を完璧にこなし常に主を見張っていた浅葱と異なり、厭味がない。
 静からしてみると空気のような存在で、呼吸をするのとおなじように、彼女が傍にいることを認めているのだろう。
 見えない絆を、禅は眩しそうに見つめる。

「どうかした?」

 じっと秀足を見つめていたからか、静が不思議そうに禅の顔をのぞきこむ。

「ううん、なんでもない……」
「!」

 禅が顔をこわばらせる。
 瞬時に秀足が状況を理解したのか、静を自分の背に隠し、几帳を引っ張り出す。

 どこからともなく生じたむせ返る血の匂い。
 雷のような怒声と剣戟の激しい音色。
 混乱に陥った馬の嘶きそして人骨の砕ける音。

 堰を切ったように溢れ出す非現実的な音の洪水が一斉に邸を包囲する。
 義経の郎党どもが一気に潰そうと突っ切るように敵へぶつかっていく。
 引き絞る弓弦は闇を裂くように響き矢の雨を天から注ぎ込む。
 夜風から漂うのは誰だかわからない入り混じった濃い血の香り。

 呻き声断末魔ぶつかりあう鎧の金属音。軋む床倒れる几帳迸る悲鳴。手前で隠れていた女が引きずり出され庭に投げ出され。

 ――秀足!?

 自分を庇って飛び出した秀足の姿が闇に溶け、消える。
 静がヒッと息をのむ。

 駄目、声をあげたら居場所が知れる、禅に口許を押さえ込まれて侍女の名を呼べず、いまは繰り広げられる武士つわものどもの狂宴がおさまるのを待つことしかできない。

 もどかしくて涙がでてくる。
 けれど声を漏らしたが最期、静も禅も、頼朝の刺客に邪魔者として消されてしまう。
 血と汗と泥にまみれていく男たちに気づかれないよう息を殺す。そして。
 祈るように、心の奥底でふたりは名を呼ぶ。

 自分が愛する男の名を。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

歴史小話

静 弦太郎
エッセイ・ノンフィクション
歴史について、あれこれ語ります。 サムネの写真は、近江の長浜城です。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

処理中です...