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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
地獄の底で待ってる。 04
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運命の日の前日に、ささやかな事件が起きた。
あわてふためく周囲をよそに、音寧だけが腑に落ちた表情で、窓の向こうを見つめている。
「傑さまと綾音嬢が、駆け落ちなさったんです……!」
寝耳に水だったらしい尾久と檜沢が迎賓館に現れ、音寧に状況を説明してくれた。
いわく、傑が自分に商才がないと悟り家業を引き継ぐ自信を失い日本橋本町を去ってしまい、婚約者の綾音までもが彼に賛同し、ともに新天地目指して帝都から出ていってしまったと。
何も知らされなかった四代目や資が、あちこちを探し回っているというが、忽然と消えてしまったふたりの消息はつかめないままだという。
「いつ次代の悪魔が帝都に出現するかもわからないというのに、彼女が消えてしまっては意味がありません!」
音寧が煎れた緑茶を飲み干した尾久がため息混じりに嘆けば、檜沢がまぁまぁと彼女を宥めながらつづける。
「綾音嬢のいままでの行動を考えると、ここにきて責任を投げ出すようなことはしないはずだ」
「だ、だが」
「檜沢さまのおっしゃるとおりです」
「姫? 何か事情を知っておられるのですか」
憔悴している尾久が向き直り、音寧に問う。
音寧はゆっくりと首を振り、ふたりに告げる。
「今朝、胸元の蝶が完全に消えました」
この世界の資とはすでに別れの言葉を交わしている。
音寧は綾音から受け取った破魔のちからで冥穴を塞いだら、未来に戻れるだろうと綾音に言われた。過去から破魔のちからを持つ綾音を召喚して、音寧とちからを合わせれば、帝都に穿たれた冥穴に悪魔を封じ込めることに命がけになることもなくなる。
だから綾音は傑とともに駆け落ちを装い帝都から離れることで、自分たちの死の運命を回避させた。そして、破魔のちからを持つ過去の綾音を音寧に召喚させることで、最後の戦いに挑もうとしている。
「あやねえさまは、一足先に、地獄の底で待っています」
音寧が未来から過去へ時を翔るちからで召喚されたときのように。
今度は綾音が、過去から未来への召喚に応じ、音寧とともに悪魔との戦いに終止符を打つために、時を翔るのだ。
「だから明日、わたしはあやねえさまと一緒に、冥穴を塞ぎます」
完全に災厄を防ぐことはできない運命の日。
きっとあの地震によって、軍の人間のなかにも多数の犠牲が生まれるだろう。けれど、何が起こったのか、目の前のふたりに音寧は伝えない。伝えたところでこの未来だけは変えられない。
ただ、音寧にできることは、祈ることだけ。
「皆様ともここでお別れです。どうか、どうかご無事で……!」
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