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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》

囚われた蝶と赤き龍の断末魔 04

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 ――あたしにできる、破魔のちからをつかった最後の仕事は、時空の歪みを糺すため、ここで原初の赤き龍を殺して、冥界の核に次の悪魔を宿させること。
 未熟な悪魔が冥穴から生まれ落ちる際に、きっと帝都は乱れるだろう。音寧が言う未曾有の大震災、赤き龍が目論む地獄の底が帝都に姿を見せるその時こそ、悪魔を核ごと仕留める最大の機会になる。音寧に破魔のちからを返すことで、綾音は無能になるけれど。

「ここにいるあたしが、そのときの彼女の召喚に応えれば破魔のちからは……」

 赤き龍の鋭い視線を前に、綾音はうそぶく。悪魔には理解できないだろう。時を味方につける双子令嬢の、真のちからなど。
 綾音が頬についた赤き龍の血を拭い落としてパチン、と手を叩く。赤き龍の尾と足がスパッと斬れ、鼻のない頭部と胴だけが達磨のように残される。呻き声をあげる悪魔を前に、つまらなそうに綾音は呟く。

「これの、二倍になるってこと」

 その言葉を聞き入れることなく赤き龍の両耳も斬りおとされる。
 獲物をいたぶっていた自分がいたぶられる気分は、いかがなものか。
 綾音は無表情のまま、最期の一撃を首に向けて放つ。

 赤き龍こと原初の悪魔サタンの断末魔が帝都に轟く。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」

 その瞬間、夜空から隠れていたおおきな銀色の月が顔を出す。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」

 神道の主流から外れていると明治以降世に出回ることのないひふみ神紋を泰然と唱えながら、綾音は日の神と月の神に祝詞を奏上する。異国の魔物をも鎮魂させる神歌を三度繰り返し、返り血を浴びた破魔の姫君は月に舞う。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」

 それはまるで、鋭い刃物のような三日月で帝都の淀んだ空気を切り裂いているかのよう――……
 綾音の神がかり的な破魔のちからに圧倒された尾久は、檜沢の軍服の裾をきゅっと握りしめていた。

 やがて、綾音の言霊が結びを迎える。

「……布留部ふるべ 由良由良止ゆらゆらと 布留部ふるべ――ごきげんよう。真夜子を愛した悪魔さん」

 その言葉に檜沢がぎょっとする。彼にくっついていた尾久も首を傾げて綾音の方をうかがうが、彼女は何食わぬ表情で銀色の鋭い月を見据えていた。
 とても小さな声で、己に言い聞かせるように、独り言をこぼしていたことを、彼らは知らない。

「破魔のちからを持ったあたしの愛する妹に伝えて。夏の最後、地獄の底で――待ってるから」

 周囲の軍人たちは綾音が赤き龍へ止めを刺したのを見届けた後、無言で払魔の作業へと戻っていく。
 物質と化した赤き龍の首は、瞳を夜空に向けて見開いた状態のまま、ここにはいない誰かを求めて彷徨っているように見えた。
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