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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
天空ではぜた嫉妬の焔 01
しおりを挟む浅草六区の賑わいは昼を過ぎて更に熱気を帯びている。流行りの浅草オペラや細々とした映画館の名が記されたのぼりが風にはためきながら並ぶなか、音寧は資に腰を抱かれた状態で凌雲閣の前まで連れて行かれた。十二階建ての建物など、いままで見たこともない音寧は、その神々しくも仰々しい姿を前に、感嘆の声をあげる。
「うわぁ……!」
「今日もひとでごった返しているな。はぐれないよう、しっかりつかまっていろよ」
「つかまるも何も、資さまがわたしの腰をつかまれているではないですか」
「そうだったな」
「ひゃ」
資は上機嫌で音寧が着ている牡丹色の西洋服越しに己の手で腰からお尻にかけてをそうっと撫であげ、彼女を惑わせる。
「今日の服も似合っている、本音を言えば他の男に見せたくないくらいだが……」
「資さま?」
「こうして貴女が俺の女だと大勢の人間に見せつけるのもまた、心地よいものだな」
「くっつきすぎですよ、もう、ひとりで歩けますから」
「だからはぐれたら大変だと言っているではないか。はなさないよ」
軍服姿の美丈夫が甘い声で愛らしい女性を抱き寄せ、展望台につながるエレベーターを待つ姿は混雑しているなかでも比較的目立っている。けれども周囲の観光客に見られていようが気にするそぶりを見せない資に、音寧は恥ずかしそうに首を振る。だが、音寧が彼の腕から逃げ出そうとする前に、チンと涼やかな音が響いてエレベーターが到着した。展望台へと繋がる箱型の乗り物へぞろぞろと人が入っていく。流されるようそのなかへ入った音寧は結局彼に言われるがまま、資に抱き寄せられ、くっついた状態で十二階まで上昇するエレベーターに乗ったのであった。
* * *
国内初となるエレベーター昇降機が設置されている浅草凌雲閣。明治末期にこの施設がオープンした当初はエレベーターがたびたび故障し、観光客は階段でわざわざ十二階にある展望台まで歩かされたのだという。いまはエレベーターの精度も良くなっており、音寧は階段を上る苦労をすることなく、展望台まで辿り着くことができた。
「かつては階段で上り下りしていたからな。綾音嬢なんか傑と競争だ、って階段を駆け上がったらしいぞ」
「……あやねぇ、さんったら」
ふふっ、と笑う音寧を見て、資も楽しそうに微笑みを見せる。
「女学校の帰りにふたりででえとしていたらしいが。海老茶袴の女学生と全速力で階段をかけっこする姿は滑稽だよな」
「周りのひとを巻き込まなかったか、そちらの方が心配です……」
「まぁ、そこは傑のことだから。件のちからで貸し切りにでもしてふたりで堪能したんだろ」
金のちから、と言わず件のちからと呟く資に、音寧もなるほどと手を叩く。
展望台はエレベーター前よりも広さがとられているからか、思っているほど混雑しておらず、ふたりはゆっくりと窓の向こうの景色を眺めることができた。
時宮邸のある武家屋敷が残る麹町方面に、三代目岩波有弦が隠居しているという畑や洋館が並ぶ西ヶ原方面、今も遊郭が残る吉原界隈に、下町の工場群……
帝都、とひとことで説明しつくせない光景を前に、音寧は瞳を輝かせる。
「姫。こっちの窓からだと、日本橋本町や銀座の街並みが見えるぞ」
「わ……あのおおきな橋が日本橋でしょうか。岩波山のお店も?」
「ああ。綾音嬢の結納は岩波山茶園の日本橋本店で行われるから、きっと姫も」
「……いいえ。わたしは公の場には出られませんから」
てっきり結納の儀に参加するために帝都までやってきたものだと思っていた資は、音寧のきっぱりとした言葉を前に硬直する。
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