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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
芽生えた想いと躊躇いの間 03
しおりを挟む「……さすがに綾音嬢と傑には事情を説明しないといけないだろうが、別の任務でピリピリしている軍に姫のこの状態を知らせたくないからな」
資いわく、帝都ではげんざい悪しきモノによる犯罪が蔓延っており、部隊の人間たちはその制圧で忙しいのだという。知恵のついた魔物のなかには人間になりすまし、若い乙女を攫って陵辱した後に殺すという猟奇的な事件もあると言われ、音寧はぞくりと身体を震わせる。
「……うそ、ですよね」
「残念ながらほんとうのことなんだよ。綾音嬢が持つ破魔のちからにも限界があるんだ。だから貴女が淫魔に魅入られた状況にいながら異能を抱いていると軍が知ったらきっと、容赦なく戦いの最前線に投げ込まれてしまう」
「そんな」
綾音はそのような帝都の事情など一言も教えてくれなかった。たぶん、音寧を必要以上に巻き込みたくないと、彼女なりに判断していたのだろう。
このまま匿われた状態ですべてを終わらせれば問題ないと……
「怯えさせてしまってすまない。綾音嬢は時宮の家の事情はもとより、姫が魔物に狙われるのを危惧してこの場所を選んだはずだ。そうでなければ俺が指名されることもなかっただろう……なに、いま帝都を騒がせている魔物の正体を軍は掴んでいる、退治するのも時間の問題だ。貴女が心配するようなことはないよ」
「はあ」
「それに。俺が任務で対峙してきた悪しきモノと比べたら貴女のそれは弱い。淫気を求めて疼くことはあるだろうが、すぐに身体を蝕まれるようなことはないだろう」
そして、瞳を曇らせる音寧の前で、資は提案する。
「貴女に想い人がいることは知っている。それが叶わぬ恋であろうことも」
昨晩の淫らな行為で救いを求めるように「有弦さま」と口にしていたことを、音寧は覚えていない。けれど、資はそれをしっかり覚えている。
「俺がひと夏のあいだ、貴女の想い人に代わり、淫魔に苦しむ貴女を慰める」
だからどうか、俺に貴女をまもらせてくれと呟かれ、音寧は瞳を潤ませる。
叶わぬ恋などではない、現に自分は未来の夫に恋しているというのに、過去の夫に拒絶されている現実。それでも自分に淫魔が巣食っているからと、音寧の身体を想い人に代わって慰めると提案する資。いったい彼は何を考えているのだろう。やはり軍に隠れて護衛に勤しむという任務の延長上でしか自分のことを見ていないのだろうか。
こんなとき、どう応えればいいのだろう。
音寧が拒めば、彼はきっとこれ以上何も言ってこないだろう。
けれど、彼を拒んだら音寧は綾音から破魔のちからを返してもらうことが難しくなる。彼以外の男性の精をこの身体に受け入れなくてはいけない……それはもっと嫌だ。
「……わかり、ました」
躊躇った後にこくりと、首を縦に振る音寧を見て、資も申し訳なさそうに呟く。
「貴女は悪くない。淫魔を払えなかった俺が未熟なんだ……淫魔よりも素晴らしい快楽を与えることができれば、追い払えただろうに」
「未熟?」
きょとんとする音寧に、資は恥ずかしそうに独白する。
「――俺は、その、経験がないんだ」
自分は未だ童貞である、と。
ゆえに女性を悦ばせる手段に疎く、最後までしたこともないのだ、と……
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