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第一部 新婚夜想 大正十三年神無月〜大正十四年如月《秋〜初春》
時翔る花嫁は初恋の君 01
しおりを挟む如月の冷たい池に自分から飛び込み沈んでいった妻を連れ戻すため、有弦も飛び込もうとしたが、見えない壁にぶつかって追いかけることが叶わない。ふたたびパキッ、というガラスが割れるような破砕音が耳元で響き、同時に観鏡池の手前に投げ捨てられていた花鳥の鏡が煌めきだす。
「な」
慌てて鏡を手に取れば、さきほどまで何も映していなかったのに、曇りが晴れたかのように明るい鏡面に、恋しいひとの姿が見える。
『――有弦さま』
「おとね? おとねなのか?」
『ごめんなさい、わたし行かなくちゃ』
「行くってどこへ? 綾音嬢、そこにいるんだろう!?」
『いるわよ?』
同じ顔をした双子の姉がひょこっと顔を出せば、有弦はうっ、と唸る。
確かに見た目はそっくりだが、よくよく見比べれば、大正十二年の文月を生きる十八歳の綾音の方が真っ黒な瞳をくりくりさせていてあどけない雰囲気がある。有弦に嫁いだ十九歳の音寧は、謎めいた青黒い虹彩に、彼をときめかせる色気と愛らしさが溢れている。これが惚れた弱みというものなのかもしれない。
黙り込む有弦を見つめて、綾音がくすりと笑う。
『音寧が桂木のおうちに行く前に暗示をかけておいたの。何か大事なことが起きたときに召喚できる“時を翔る”暗示をね……ちなみにこの花の鏡の真の名はトキワタリ、時間を渡る架け橋となる鏡』
時宮の邸の蔵にあった蒐集録を調べたという綾音によって、不思議な鏡の効能はあっさりとあばかれた。精気を糧に過去・現在・未来を覗くことができる鏡で、ときおり人を喰らって他の時代へ飛ばしてしまうため、時宮の破魔のちからによって封印されていたのだと。
それを知った綾音は、自分の精気を使って鏡を使役しようとしていたらしい。結局彼女ひとりのちからでは鏡の魔力を引き出すことはできず、今日までそのままの状態になっていたというが……
「ちょっと待て。それならおとねはなぜ」
『鏡が持ち主だと認めたのが、あたしじゃなかったから。それから』
申し訳なさそうな表情を浮かべている音寧のあたまをぽんぽん、と撫でながら綾音は告げる。
『時宮の血を持つ娘は、一生で一度だけ“時を翔る”ことができるの』
綾音に破魔のちからを渡した音寧だったが、それとは別に、“時を翔る”能力を持っていた。けれどもそのちからを発動するためには半神による暗示が不可欠だ。
音寧は、双子の姉である綾音に。
綾音は、双子の妹である音寧に。
互いが生まれた季節である「夏」という単語が鍵となり、召喚の際に媒介となる場所が鍵穴へと変貌する暗示がかけられたのだ。
――大正十二年の「夏」、「水底」で待ってる。
だから音寧はその言葉に乞われるがまま自ら観鏡池へ飛び込み、水底へと沈んでいったのだ――この先に、双子の姉が待っていると理解して。
『まさか過去から鏡を通して召喚されるとは思わなかったって顔ね』
『鏡……そういえば、岩波の邸のお庭の池も観鏡池って』
『だから余計に、魔力が働いたのかもしれないわね』
有弦は時宮の血の恐ろしさを痛感し、空を仰ぐ。
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