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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 3 *
しおりを挟むぴしゃん、ぴしゃんとか細い水が滴る音を背に、由為は開けられた硝子の棺のなかへおそるおそる手を伸ばしていく。
宇賀神月架の身体は、氷のように冷たい。
死体に触れているというのに、由為は汚らわしいとも不吉だとも思わなかった。逆に、神聖すぎておそれおおい気持ちの方が強い。自分が彼女の後継となる『夜』の斎だから、なのだろうか? 妹の遺体に触れる由為を、優夜はじっと見守っている。
由為が椎斎に伝わるコトワリヤブリのうちのひとつ、『夜』の斎となるものかもしれないと神話を聞かされて二日が経っていた。いまだに混乱する由為に、あらためて現実を理解させようと、優夜が連れて来たのがこの、死体安置所である。
初めて見たときと同様に、月架は静かに眠っていた。白を通り越した透き通った肌と、青ざめていながらも艶っぽさを湛えたままの口唇から、生者の呼気は感じられない。まるで人形のような、美しい女性の遺体。
彼女が死んだのは、二ヶ月前……由為が鎮目学園に入学するわずか三日前だったという。死因は、首を掻き切られたことによる失血。だが、エンバーミングによって綺麗にされた遺体を見ただけではすぐに判別できるほどの形跡は見当たらない。そして、コトワリヤブリの関係者ではない人間には死体が生きているように見えてしまうことからも、何かしらの術を持つ者が手を下したと考えられているという。犯人の目処はたっていないが、椎斎の結界を壊し『星』に封じられていた鬼姫を蘇らせようとしている悪趣味な人間が現れたのは事実のようだと優夜が道中、忌々しく語ってくれた。
由為はあらためて月架と対峙し、優夜に告げる。
「触れてみても、いいですか」
そう言ってくるのを待っていたかのように優夜は月架の眠る棺の前でカード型の鍵を二枚差し出し、そのうちの一枚を由為に手渡した。もう一枚持っているということは、由為が持っていても構わないということのようだ。下部のリーダーに通すことで開閉が可能になる。ためらうこともせず、由為は鍵を通す。
硝子に隔てられていたふたりの距離がぐんと近づく。そして由為は導かれるように、月架の冷たい身体に両手を伸ばし、確かめるように触れていく。
陶器のような肌、手触りのよい絹のワンピース、さらさらのままの髪……由為はそのまま、肩から上へと手を進めていく。
すこしやつれた頬に、固く閉じられた口唇、とがった鼻梁に、長い睫毛。
やがて、由為の手が止まる。
「……あれ」
いままで何かに憑かれたかのように必死になっていた由為が、ここにきて違和感に気づく。
「先生」
「なんだ」
「月架さんって、目が見えなかったんですか?」
「どうしてそう思った?」
「だって、右目、眼球が」
眼球があるはずの瞼の下に、その丸みを感じない。眼窩のくぼみに指を這わせ、由為は困惑気味に呟く。左目にはあるのに。
「眼球があるはずの部分に、何もない、です」
硝子の棺越しでは感じられなかった月架の姿を目の当たりにした由為は、優夜に詰め寄る。
「朝庭が考えていることは半分正解だ」
「はんぶん?」
「だけど半分間違えている」
相変わらず学校で教えているときのようにどこか投げやりな口調で優夜は由為の指摘を受け、解説する。
「月架は生まれつき右目がなかったわけじゃない。これは」
殺された時に抉られて、盗まれたから、ないんだ。
その言葉を受けて、由為はぎゅっと動かぬ月架を抱きしめていた。残酷なほどの冷たさが、由為にこれは現実だと知らしめる。
由為はその温度を忘れまいと、必死になって月架の身体を、奪われた右の瞳があった場所を、いつまでも撫でつづける。
そんな由為の姿を、優夜は何も言わないで見つめている。
「先生」
月架に触れたまま、由為はかたい声で、優夜に話しかける。
「犯人は右の眼球だけを抉り取ってその場を去ったんですよね。どうして、眼球を盗む必要があるんですか……ううん、そうじゃない。きっと、彼女が『夜』の斎神であったことが関係あるんですね」
淡々とした由為の口調は、謎を解き明かそうとする探偵のようにも見える。だが、優夜は彼女の顔が強張っているのを見逃さなかった。彼女は怒っている。目の前で眠っている女性が、殺された後に眼球を抉り取られたことに。
「もしかして、なんらかのちからを持っていたんですか? 月架さんの瞳は」
月架からそっと手をはなし、由為は優夜に向き直る。黙って耳を傾けていた優夜は、由為の質問にあっさり首を振る。
「――犯人はそう思って盗んで行ったようだが、彼女の瞳は違う」
「へ」
それに、と優夜は呆れたように呟く。
「あいつ自身が犯人と対決した時にあえて眼玉を取っていくよう欺いたんだろうから、そんなに深く同情する必要はないぞ」
「はい?」
眼球を抉られたのは、月架が犯人を欺いたから?
優夜の言葉の意味が理解できず、由為は首を傾げたまま、月架の眠る地下室から東堂がいるフロアロビーに連れ出される。
このあいだと同じ甘くてふわふわのマカロンと豊潤な香りのするピーチティーに迎えられた由為は、さっきまでのもやもやした気持ちを隠しながら、ゆっくりとお茶を啜る。
その横で、優夜は顔色を変えない由為の表情を観察することなく、差し出された苺のマカロンを黙々と頬張っている。
そんなふたりを東堂は黙って交互に眺めていたが、透明人間のようにふたりが気づかないうちに姿を消していた。
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