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Ⅳ 影は月に果てなき天を想う * 6 *

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 椎斎駅、午前十一時。
 鏡の予見では十一時半に鬼が事故を起こすと映しているが、早めに来る分には別に問題ないだろう。理破は目当ての工事現場を探し出し、駅前の公園で白いベンチに腰かけ、工事の様子を注意深く観察していく。

「……クレーンが資材をひとつずつ積み上げているわ。重そうな金属の塊ね。あれを上空から落下させるのかしら」
「たぶんそうだろうね。下にいる人間はひとたまりもないだろうよ。相変わらずの趣味の悪さだね」

 理破が椎斎駅の改札を出たところで、すでに動きを察知していたのだろう、景臣が何食わぬ顔をして待っていた。ワイシャツを着たまま羽を出していたのだろう、汗ばむ陽気だというのにしっかり学ランを羽織っている。

「鬼が現れるとすればどこになる?」
「上空から、だな。オレが空から追うか?」
「ううん、あたしがやる」
「だけどリハちゃん、今日はいつもの戦闘服じゃないんだから、無茶できねぇぞ?」

 理破が好んで着ている黒いワンピースはもともと月架が着ていたものだ。レースがふんだんに使われている愛らしい見た目を裏切る羽のような軽さと外部からの防衛結界を兼ね備えているその服は、月架亡き後、理破が悪しきモノたちと戦う際に着用する戦闘服として使われている。
 だが、学校から直接戦いに赴く場合は制服での行動になってしまう。景臣が言うように、戦いに適していない制服での戦闘は物理的攻撃を受ける際に不利になる。
 理破はわかってると首を振って、言い訳がましく口をひらく。

「着替える暇も惜しいから直接現場に向かったの。どうせ景臣がついてくると思ったし」
「そりゃオレは『月』の影だからね。リハちゃんに何かあったら困るよ」
「だけど景臣ばかり戦わせるわけにもいかないでしょ?」
「何言ってるんだよ。『月』を守るのが影の宿命。椎斎の民を守る逆さ斎となった少女たちを支えるためにオレは生きてるんだぜ?」

 景臣が十八の姿で成長を止め、不老になってしまったのには理由がある。
 原初の『月』である光理と鏡から生まれた影が、逆井の先祖とされているように、景臣もまたそのひとりだった。数百年前の出来事なので、景臣ももはやうろ覚えだ。
 戦乱の世に生まれた『月』の血をひく男児は、生まれつきちからを持たなかった。しかも病弱で、いつ儚くなってもおかしくはなかった。
 だが、彼の父親はどうしても男児を生かしておきたいと、ときのコトワリヤブリに無理を言い、まじないを施した。
 それが、『月』の持つ鏡の破片を使った、時間を止める禁術だ。
 まじないをかけられた鏡の破片を飲み込まされた男児は、一定のあいだは成長できたものの、齢十八にして成長を止めてしまったのである。

「……景臣って名前だって、元服のときに名づけられたものだ。『月』の神器の破片を身体に宿すことで生かされてるオレに、拒否する選択肢はない。だからな、リハちゃん」

 現代を生きる『月』の斎、理破は景臣が何者かを知っていて、知らないふりをしている。それが、景臣には苛立たしい。

「もっとオレを頼れ。影の家臣として、女主人に命尽きるまで仕えるのがオレの運命であり、喜びなんだから」
「イヤよ」

 それでも理破は素直に頷かない。守られているだけのお姫様なんてポジションは納得できないのだ。

「いっくら景臣があたしのために命を投げ出そうとしたって、こっちは迷惑なの! たしかに景臣はあたしなんかよりもめちゃくちゃ強いし、ちょっとやそっとじゃ死なない身体だけど、それだって完全な不老不死じゃないんでしょ。ちょっとは自分を大事にしてよ」
「リハちゃ……」
「月架みたいにあたしを置いて行かないでよぉ!」

 感極まって思わず涙が零れ落ちる。いけない。これから鬼との一戦が待っているというのに。どうして景臣が傍にいるとこうも情緒不安定になってしまうのだろう。

「死なないよ」

 宥めるような柔らかい声が、震える理破の耳朶に転がり落ちる。いつもは茶化してばかりの景臣の、真剣な声。

「景臣」

 ぽん、と軽く頭を撫でられ、理破が顔をあげる。

「気高い『月』の戦女神がそれじゃ、オレの士気が下がっちまう。死なないから、心配するな」

 顔をあげた理破は、ハッと引き締まった表情を取り戻し、景臣に命じる。

「飛んで」

 言われたことを理解し、景臣も咄嗟に学ランを脱ぎ捨て、切り裂かれたワイシャツからふたたび黒き翼を生やす。
 そこには、鬼が宙を浮かびながら、妖艶な微笑みを浮かべていた。十五歳の月架の姿を借りて、漆黒のワンピースを身にまとった彼女は、空の上でニタリと口角を曲げて軽々とクレーンが持ち上げていた鉄材を奪い取る。周囲にいた人間が突然空中へ持ち上がった鉄材に驚き慄き硬直する。
 天高い場所で踊るように鉄材を振り回す少女の姿は景臣と理破にしか見えない。はたから見れば鉄材が強風で煽られているような感じだが、あいにく風は吹いていない。
 異常だと感じたのだろう、工事をしていたひとたちが困惑するように集い、空を見上げる。クレーンからはなれた鉄材は重力に反してひらひらと舞うように動き続けている。彼女はなるべく多くの犠牲を出そうとひとが集った場所を狙っている。

「逃げて!」

 理破の声は届いたか。ぐしゃりという重たい、地面を抉るような悲痛な音が響く。
 作業服を着た男たちが蜘蛛の子を散らしたかのように四方へ逃げていく。鉄材の下敷きになった人間はいないようだが、落下の際に資材の破片で軽傷を負った姿が見られる。

「お嬢ちゃん危ないよ!」

 ひとのよさそうなおじさんが理破に気づき、逃げるよう促すが理破は首を横に振り、立ち入り禁止となっていた工事現場の柵をひょいと飛び越え現場へ侵入する。

「リハちゃん、こっちまで来れそうかい?」

 黒い羽を拡げ鬼と向き合っている景臣が理破を呼ぶ。

「言われなくても行くわよっ!」

 そして、ブレザーのジャケットを脱ぎ捨て、スカートのポケットに忍ばせておいた黒檀のステッキを取り出し、畳んでおいたステッキを伸ばしながら低い声で呟く。


「月の戦女神が命ずる。飛翔せよ!」
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