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呪いが解けるとき
しおりを挟む突風に煽られ、荷車の手を止めたインゼルは、背後に突如現れた黒づくめの少女が鬱金香の花に向けて話しかけているのに気づき、耳を欹てた。そして、そこに自分が探し求めていた少女がいることを悟る。
けれどふたりが話す内容はインゼルにとって寝耳に水だった。リニフォニアは望まれて結婚するのではなかったのか? 呪いはまだ完全に解けていなかったのか?
しかもヘルミオネはレンブラントの土地が欲しいだけ。リニフォニアは生命を脅かされて、王家の魔術師にまで棄てられようとしている。
この状況で職人の自分にできることなど何一つ存在しない。
とはいえ、黙っていられるほど自分は愚かでもない。それに。
――彼女を救いたい。
たとえ呪いが解けなくても、彼女の傍で、彼女のことを支えることはできるのではなかろうか。彼女が自分自身のちからでこの身に宿る呪いに打ち勝つまで。
だからインゼルはリナリアが放り投げたリニフォニアを優しく抱きとめた。驚きに満ちた翡翠色の瞳が、インゼルの紺碧の瞳を確認して、きらきらと輝く。
「あら、レンブラントの職人さん。悪いけど部外者は引っ込んでいてよ。もう話は終わったの」
インゼルに受け止められて喜色を見せるリニフォニアを一瞥してリナリアは言い放つ。けれどインゼルは引き下がらない。
「いや。こんなことで戦争を起こされたらたまったもんじゃない。リニフォニアは俺が連れて帰る。ヘルミオネの魔術師はレンブラント王が言うほどたいした実力を持ってないってわかれば婚約も解消されるしお前も満足だろ?」
「でもそれじゃあスクノードさまが」
「お前の国の実情なんか知るもんか。それにその男も魔術が使えるんだろ。ふたりでトンズラでもすりゃ問題ない」
あっさり言い切るインゼルにリナリアは絶句する。トンズラって……
「とんずらって何ですか?」
リニフォニアがきょとんとした表情でふたりを見つめるが、インゼルもリナリアも厳しい表情で睨みあったままだ。
やがて耐えきれなくなったリナリアがプッと吹きだす。
「ならばあんたたちで呪いを解けばいいわ。解けるものならね!」
そして天高く指先で円を描く。空に浮かぶ魔術陣はインゼルとリニフォニアを囲い、ひかりが霧散する。
「花の精霊!」
インゼルの手のひらの上で凛と立ち上がったリニフォニアはリナリアの魔法を退けようと声高らかに精霊を呼ぶが、リナリアの魔術の方が早かった。ぶぉっと強い風が再び吹き荒れ、深紅の鬱金香の花弁が一斉に舞いあがる。視界があかく染まるなか、リナリアが放ったひかりが終息していく。
「――これでスクノードさまが呪いを完全に解くことはできなくなったわ。あたしにできるのはここまでよ。あとはあんたたちで頑張るのね」
そんな言葉を残して、リナリアの姿は消える。
インゼルとリニフォニアは、空から降りつづける深紅の鬱金香の花弁を浴びながら、顔を見合わせる。リニフォニアが立つインゼルの手のひらが高く持ち上がり、彼の顔まで届く。
リニフォニアはインゼルの頬へ軽く唇をつけ、うたうように言葉を紡ぐ。
「……姫」
人形のおおきさだったリニフォニアの身体は黄金色に煌めき、蛹だった蝶が羽化するように一気に成長を遂げていく。ふわり、飛び散っていた深紅の鬱金香の花弁が集い、人間の少女と同じおおきさに戻ったリニフォニアの裸体を包み込んでいく。重みを増したリニフォニアの身体をインゼルは慌てて両手で抱きかかえ、目をまるくする。
「インゼル? わたし、解けたのね」
リナリアは、スクノードではなくリニフォニアにちからを分け与えたのだ。
そう気づいたインゼルは、恥ずかしがる彼女を抱きしめ、人形のときにしてあげたように、そうっと額へ口づける。
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