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chapter,4 New Zealand

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 ――貴女になら殺されても構わない。

 ハワイを発った夜に物騒な言葉を投げかけられてからも、カナトの態度は変わらなかった。翌日の朝、このクルーズのあいだ自分の恋人でいてくれと改めて依頼された。マツリカに拒むことなどできるわけがない。だって自分はすでに彼の専属コンシェルジュとしてハゴロモの支配人や船長にも認められているのだから。
 それからのカナトはマツリカを本物の恋人のように甘やかして、傍に置きつづけている。
 朝も、昼も、夜も。
 唇を重ねるだけのキスだけでなく、舌を絡めるような深いキスもときに交えて、ふたりは偽りの恋愛関係に溺れていく。
 けれど、マツリカにはそれ以上のことはできない。クルーズのあいだの女除けでしかない自分が、彼を自分のために縛ることなど許されるわけがないのだから。
 必要以上にカナトに近づくのは危険だとプレミアムスイートルームに付随する使用人控室に籠ることが増えた。

 ――これは仕事。そう、きつくきつく自分を律して。


   * * *


 こんなはずではなかったとカナトは自分の至らなさを悔やみながら日々を過ごしていた。
 恋人役を受け入れてくれた彼女を本当の恋人にするために、彼女の望みを叶えるためにハワイでは仰木に会いに行ったというのに、彼女は納得してくれなかった。
 彼女の憂いが晴れたら最後まで抱くと言った手前、カナトはキスより先のことに手が出せずにいる。
 けれども彼女はハゴロモでのクルーズのあいだはしっかり恋人役を担うからと、カナトが外出する際は腕を組んだり手を繋いだりと精一杯の努力をして傍にいてくれる。それが彼を苦しめていることに彼女はまったく気づいていない。

「明日には日付変更線を通過しますよ」
「なんだかあっという間だな」

 豪華客船ハゴロモはすでにハワイを発ってから十日が経過していた。ロサンジェルスを出発してからまもなく一ヶ月になる。
 太平洋クルージングを楽しみながら優雅にフランス領ポリネシアを巡った船は、南太平洋に入っていた。途中、雨が降ることもあったが、いまの季節にしては好天がつづいているため、巡航は予定通りに行われている。
 海の色がどこまでも蒼く、空の碧とひとつになって壮大な景色を魅せつける。アメリカ領サモアを経た後、明日にも日付変更線を通過する。その後もフィジー、ニュージーランド、オーストラリアへと楽園の旅がつづいていくのだ。

「次の寄港地はニュージーランドか」
「はい。アイランズ港に入ってから約一週間の滞在予定です」
「この旅の中間地点になるんだな」
「そうですね」

 本来ならハゴロモのコンシェルジュであるマツリカはこのプレミアムスイートルームでのんびりアフタヌーンティーを飲んでいる場合ではないのだが、カナトの専属コンシェルジュ兼恋人役となったため、これも仕事として給与が発生している。日中に室内で仕事をしている彼の傍に控える姿は恋人というよりもまるで個人秘書のようだとボディガードの瀬尾と尾田、お目付け役の伊瀬にさえ言われている。恋人同士になりたいカナトとしては複雑な心境である。
 だが、これ以上彼女を追い詰めてクルーズの期間中使用人控え室に引きこもらせるわけにもいかない。逃げられてしまっては元も子もないからだ。
 だからカナトもビジネスライクにマツリカと接することが増えた。その方が彼女が安心するとわかったからだ……本意ではないけれど。

「寄港しているあいだ、コンシェルジュは何をしているんだ」
「引き続きレセプションデスクでお客様へ現地の観光案内をしたり、船内に残られたお客様へアクティビティを用意したり、物資の整理を手伝ったり……船内のなんでも屋なので、基本的に船のなかで過ごします」

 休憩時に散歩がてら寄港地を観光することもあるが、それよりも睡眠時間を優先してしまうことの方が多い。とはいえ今回は長期の滞在になるためほかのコンシェルジュも外に出て観光気分を味わうことができるだろう。

「そうか。じゃあ、ニュージーランドに着いたら一緒に観光しような」
「……はい」

 戸惑う表情を見せながらも、彼女は素直に頷いてくれる。俯いたマツリカの顎を掬ってひょいとキスすれば、顔を真っ赤にしながら瞳をとじて、彼のやりたいように従ってくれる。
 ぺろりと舌先で彼女の上唇を舐めれば、アフタヌーンティーのおともに用意されたチョコチップスコーンのホイップクリームの味がした。甘美なキス。このまま貪りたくなるほどに、彼女の唇は甘くてカナトを欲情させる。でも、これ以上のことはできないと彼女は瞳を潤ませながら首を振る。彼女が怖がること、嫌だということを無理に遂げることもできるだろうが、そうしたところで彼女は自分にたいしてさらに頑なな態度になるだけだ。

 ――心を手にいれてから、すべてを手にいれる。このクルーズが終わるまでに必ず。

 いまはそれだけで充分だと、カナトは自分の欲望にそうっと蓋をする。
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