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chapter,2 Los Angeles → Hawaii
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* * *
十月二十八日午後六時。
ハロウィンシーズンのアメリカ、ロサンジェルスロングビーチから南太平洋の島々をめぐり海上で南国風クリスマスを過ごし、日本でお正月を迎えるというスペシャルなクルーズが満を持してスタートした。
出港したばかりの豪華客船『羽衣 ―hagoromo―』には七百名を超える乗客と五百人ちかい乗組員が乗船している。そのうちの多くが到着地である東京で正月休みを過ごすリタイアした日本人夫婦やアメリカ人の富裕層だ。日本語がはなせるスタッフとしてマツリカはミユキとともにレセプションを担当し、二十四時間体制で交代しながらあわただしく働いていた。
「……なんだか思っていたよりもバタバタしますね」
「そりゃあ、船のなかに七百名のお客様が乗ってらっしゃるんですもの、ひとりひとりの要望に応えていくとなるとかなり労力つかうわよ」
げんざい船はアメリカ合衆国カウアイ島ナウィリウィリを通過、明日にはオアフ島に寄港するという。ハワイのなかでも日本人旅行者が群を抜いて多い州都ホノルルで、船から降りた乗客はそれぞれ観光を楽しむことになるだろう。
控え室のカレンダーはすでに黄色い銀杏並木の写真が全面に出ている十一月のものになっているが、ハゴロモから見るいまの海の姿は常夏の青さをたたえていた。
これが仕事でなければマツリカも船から降りてハワイ観光に興じていただろう。
「ロサンジェルスからハワイまで船でも十日かからないんですね」
「いまのところ天候にも恵まれているからね。ハワイを抜けたら仏領ポリネシアに入るから、いよいよ南太平洋クルージングがはじまるわよ」
ハゴロモ内部の案内図を事前に暗記していたマツリカだが、実際に乗客を案内するのは別のスタッフの仕事だ。基本的に担当する時間にレセプションのデスク前で立ったまま問い合わせに応じ、ほかに手が空いているスタッフに案件をまわす形になる。そのため、就航から一週間ちかくが経過するもののマツリカはいまだに船内を散策する暇もなく、スタッフルームとレセプションデスクの往復をしているだけなのであった。
――そういえばあのときの男のひともハゴロモに乗って東京に向かうって言ってたけど、ぜんぜん顔を見てない……
前泊のホテルの部屋を取り損ねたマツリカにその場でスイートルームを手配してくれた男性。彼のおかげでマツリカは前日の夜に慌てることなく英気を養うことができた。
商談を終えてこのハゴロモに乗ってゆっくり船旅を満喫しながら東京に向かうと言っていた彼はいったい何者なのだろう。この豪華客船に乗ることができるだけの財力を持っているということだからきっと若手の実業家か、どこかの社長令息か……
「キザキちゃん、あのあと西島さんからなにか聞いた?」
「お忍びでいらしてる鳥海の海運王についてですか?」
ミユキから話題を振られて思わず食いつくように声をあげてしまったマツリカを見て、彼女はくすくす笑う。
「やっぱりこの船のオーナーともなるとわたしたちみたいな下っぱとはかかわりたくないのかしらね。総支配人がいうにはプレミアムスイートがある最上階で優雅に過ごしてるみたいよ」
「ぷれみあむすいーと……」
まさしく天上人だなあとマツリカはため息をつく。やはりそう簡単には近づけないということか。
十五年前に起きた事故の真相について知る絶好の機会だと思っていたが、クルーズがはじまってすでに十日ちかく経過している。残り二ヶ月、なにもしないでいるわけにはいかない。
「だけどさすがに寄港地に到着したら、観光くらいするでしょうね」
「!」
そうか、向こうから外に出てくる機会を狙えばいいのかとミユキの言葉でハッとしたマツリカは、慌てて濃紺の制服の胸ポケットから手帳を取りだし、スケジュールを確認する。
「ホノルルでの自由時間は約八時間。そのあいだ添乗員のシフトは?」
「運が良ければ昼休憩込みで三時間くらい自由になれるはずよ。どうしたの急にウキウキしだして」
「いえ、鳥海さまが観光を希望されるなら、補助する形でご同行できないかな、って」
鳥海海運の頂点にいる海運王、鳥海正路はすでに齢八十近い高齢者だ。この航海に臨む際に総支配人をはじめ船長や陸上職のスタッフなどが神経を尖らせて準備していたのを見ていたマツリカは彼が観光のために船を降りる際に接触できないかと考えたのである。
だが、ミユキのこたえは思いがけないものだった。
「そんな必要ないわよ。けっきょく船に乗ったのは高齢の父親じゃなくて若き海運王の方だから。噂だと女性をとっかえひっかえしてるっていうから、観光も女友達とワイワイしながらするんじゃない?」
いいわねボンボンって、とうんざりした表情のミユキを前にマツリカは硬直する。
「鳥海の若き海運王?」
「そ。かつて海運王の息子と呼ばれた――鳥海叶途よ」
――カナト? その名前、どこかで。
十月二十八日午後六時。
ハロウィンシーズンのアメリカ、ロサンジェルスロングビーチから南太平洋の島々をめぐり海上で南国風クリスマスを過ごし、日本でお正月を迎えるというスペシャルなクルーズが満を持してスタートした。
出港したばかりの豪華客船『羽衣 ―hagoromo―』には七百名を超える乗客と五百人ちかい乗組員が乗船している。そのうちの多くが到着地である東京で正月休みを過ごすリタイアした日本人夫婦やアメリカ人の富裕層だ。日本語がはなせるスタッフとしてマツリカはミユキとともにレセプションを担当し、二十四時間体制で交代しながらあわただしく働いていた。
「……なんだか思っていたよりもバタバタしますね」
「そりゃあ、船のなかに七百名のお客様が乗ってらっしゃるんですもの、ひとりひとりの要望に応えていくとなるとかなり労力つかうわよ」
げんざい船はアメリカ合衆国カウアイ島ナウィリウィリを通過、明日にはオアフ島に寄港するという。ハワイのなかでも日本人旅行者が群を抜いて多い州都ホノルルで、船から降りた乗客はそれぞれ観光を楽しむことになるだろう。
控え室のカレンダーはすでに黄色い銀杏並木の写真が全面に出ている十一月のものになっているが、ハゴロモから見るいまの海の姿は常夏の青さをたたえていた。
これが仕事でなければマツリカも船から降りてハワイ観光に興じていただろう。
「ロサンジェルスからハワイまで船でも十日かからないんですね」
「いまのところ天候にも恵まれているからね。ハワイを抜けたら仏領ポリネシアに入るから、いよいよ南太平洋クルージングがはじまるわよ」
ハゴロモ内部の案内図を事前に暗記していたマツリカだが、実際に乗客を案内するのは別のスタッフの仕事だ。基本的に担当する時間にレセプションのデスク前で立ったまま問い合わせに応じ、ほかに手が空いているスタッフに案件をまわす形になる。そのため、就航から一週間ちかくが経過するもののマツリカはいまだに船内を散策する暇もなく、スタッフルームとレセプションデスクの往復をしているだけなのであった。
――そういえばあのときの男のひともハゴロモに乗って東京に向かうって言ってたけど、ぜんぜん顔を見てない……
前泊のホテルの部屋を取り損ねたマツリカにその場でスイートルームを手配してくれた男性。彼のおかげでマツリカは前日の夜に慌てることなく英気を養うことができた。
商談を終えてこのハゴロモに乗ってゆっくり船旅を満喫しながら東京に向かうと言っていた彼はいったい何者なのだろう。この豪華客船に乗ることができるだけの財力を持っているということだからきっと若手の実業家か、どこかの社長令息か……
「キザキちゃん、あのあと西島さんからなにか聞いた?」
「お忍びでいらしてる鳥海の海運王についてですか?」
ミユキから話題を振られて思わず食いつくように声をあげてしまったマツリカを見て、彼女はくすくす笑う。
「やっぱりこの船のオーナーともなるとわたしたちみたいな下っぱとはかかわりたくないのかしらね。総支配人がいうにはプレミアムスイートがある最上階で優雅に過ごしてるみたいよ」
「ぷれみあむすいーと……」
まさしく天上人だなあとマツリカはため息をつく。やはりそう簡単には近づけないということか。
十五年前に起きた事故の真相について知る絶好の機会だと思っていたが、クルーズがはじまってすでに十日ちかく経過している。残り二ヶ月、なにもしないでいるわけにはいかない。
「だけどさすがに寄港地に到着したら、観光くらいするでしょうね」
「!」
そうか、向こうから外に出てくる機会を狙えばいいのかとミユキの言葉でハッとしたマツリカは、慌てて濃紺の制服の胸ポケットから手帳を取りだし、スケジュールを確認する。
「ホノルルでの自由時間は約八時間。そのあいだ添乗員のシフトは?」
「運が良ければ昼休憩込みで三時間くらい自由になれるはずよ。どうしたの急にウキウキしだして」
「いえ、鳥海さまが観光を希望されるなら、補助する形でご同行できないかな、って」
鳥海海運の頂点にいる海運王、鳥海正路はすでに齢八十近い高齢者だ。この航海に臨む際に総支配人をはじめ船長や陸上職のスタッフなどが神経を尖らせて準備していたのを見ていたマツリカは彼が観光のために船を降りる際に接触できないかと考えたのである。
だが、ミユキのこたえは思いがけないものだった。
「そんな必要ないわよ。けっきょく船に乗ったのは高齢の父親じゃなくて若き海運王の方だから。噂だと女性をとっかえひっかえしてるっていうから、観光も女友達とワイワイしながらするんじゃない?」
いいわねボンボンって、とうんざりした表情のミユキを前にマツリカは硬直する。
「鳥海の若き海運王?」
「そ。かつて海運王の息子と呼ばれた――鳥海叶途よ」
――カナト? その名前、どこかで。
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