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第一章
プロローグ
しおりを挟むとある日曜日の、穏やかな昼下がり。
横断歩道を歩いていた途中、私こと支倉(はせくら)さなえは突っ込んできたトラックにはねられ空中を舞っていた。
はねられたと理解した瞬間意識が加速し、周りの景色がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。
同時に、今までの私の21年間が走馬灯のように脳裏によみがえった。
物心ついた頃から勉強、勉強の日々。
少々度の過ぎた教育ママだった母は私を将来いい大学にやることに必死で、趣味や部活をする時間さえ与えてはもらえなかった。
それでも期待に応えようと努力を重ね、見事第一志望の大学に合格した私だが……そこでぷつりと糸が切れてしまった。
大学に入学することで目的が達成されてしまい、これからの展望が分からなくなってしまったのだ。
どしゃり、と体に重たい衝撃。
どうやらコンクリートに着地したようだ。五体満足かさえ、もう分からないが。
……その衝撃で少し思い出した。
私は展望が分からなくなった訳じゃない。本当にやりたいことがずっとあったんだ。
でも、それを母に言いだせなかった。
(お母さん、わたしね。ずっと料理人になりたかったの)
母の弟であり、私の叔父にあたる人が腕のいい料理人だった。母は所詮水商売と叔父のことを見下していたようだったが……
中学生のころ法事で母の実家を訪問した際、初めて叔父の料理を食べた。あのときの衝撃は今でも忘れられない。
ほどよく芯のある炊きたてのおこわ。
細かい隠し包丁が入れられ、味の染みたふろふき大根。
繊細な飾り切りを施された野菜の数々。
法事ということで精進料理ばかりだったが、私はその味に今まで勉強してきたどんなことより感動を覚えた。
台所に食器を片付けに行く際、お礼と共にとても美味しかったと申し添えると、叔父は少し目を見張った後に破顔した。
曰く、そんな歳で精進料理をうまいと思える奴なんか中々いないと。
そして、いい舌を持ってる。俺の弟子になるか?と。
私は一も二もなく首を縦に降り、それから度々母に図書館にいくと嘘をついて叔父のところで料理を学んだ。
もちろん成績が下がって母に怪しまれたりしないよう、勉強も今まで以上に手を抜かなかった。
叔父は日本料理を主に得意としていたが、西洋料理や中華料理も上手だった。どんな勉強よりもかじりついて料理を学ぶ私を、叔父は筋がいいと褒めてくれた。身内の欲目だったかもしれないが。
そして大学受験も間近な頃、叔父に真面目な顔で「料理の道に進む気はないか?」と言われた。
悩んだ。
悩んで悩んで悩みまくり、私が出した答えは結局大学に進学することだった。
母を悲しませたくないと言う私を少し寂しげな目で見て、叔父は「そうか」とだけ言った。
それから受験勉強が忙しくなるにつれ叔父のところへ向かうこともなくなり、その後無事志望大学に合格して……何をしても楽しくなくなり、二年後に中退。
母は発狂したように暴れ、二度と家の敷居を跨がせないと言った。 このまま叔父のところへ行けば叔父の立場が悪くなると思い、ふらふらと道をさ迷って……
トラックとご対面である。
(こんなことなら、やりたいことをしておけばよかった)
薄れ行く意識の中でそう思った。
しかしもう、遅い。
体の芯が冷えていくような感覚を覚えながら、私は静かに目を閉じた。
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