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三十二.

お葬式と、いのちの真実

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誰もがいつかは死ぬことは、誰もがわかっておりながら、それでも別れの時には誰もが動揺する。

野々村さんの葬儀は、娘さんが手配した斎場の小ぶりな部屋で、無宗教式で行われた。

自分の葬儀はこうしてほしい、と、野々村さんは娘さんに、細かいところまで伝えてあったのだろう。一般的には菊の花などが使われる祭壇は、たくさんの白い「かすみ草」だけで覆われ、野々村さんの柩は、ふわふわとした白い雲に浮かんでいるようにも見えた。

参列した人々は近しい親族のほかには、親しくしていたわずかな他人のみで、全員あわせて20数名ほどはいただろうか。

娘さんが前にでて、野々村さんの生涯を、かいつまんで話し、「母を愛してくださった方々に心より御礼申し上げます。」と言った後、「白い花に囲まれて旅立ちたいという母の希望より、白いコスモスの花を用意しました。皆様一本ずつお取りになり、柩のなかへ入れて、最後のお別れをお願いします。」と言われた。

娘さんが白いコスモスを、参列者に一本ずつ手渡し、参列者は順々に、柩の中へ入れた。野々村さんの姿を見て「裕子さん、ありがとう…」と言いながら、ハンカチで涙をおさえる年配の女性もいた。

了二は、野々村さんの頬のそばに花を置いた。
きれいにメイクが施された顔は、まだ生命が宿っているのではないか、とさえ、了二には感じられた。

祭壇の、白いかすみ草も、葬祭業者の人が取り分けて、参列者に渡し、それも柩の中へ入れられ、野々村さんはまさに、白い花々に抱かれた。

柩のふたが閉じられて、外へ運び出されて行くときに、娘さんのだんなさんが、野々村さんが好きだったという「G線上のアリア」を、バイオリンで奏でた。柩が霊柩車に収められ、霊柩車の助手席に娘さんが乗り、火葬場にむけて走り去ってゆくのを、了二は複雑な想いをかかえて見送った。

野々村さんがいなくなったという気持ちがしないのだ。

リビングで事切れていた野々村さん、柩に納められた野々村さんを、この目で見たのに、野々村さんがいなくなったという気がしない。

これは、なぜなのだろう?了二には夢で見たように、野々村さんは旅行に出かけたのだ、という感覚のほうがしっくりくる。

自分は精神的に少しおかしいのだろうか?

(了二さんは、おかしくニャイで。)

今日は「猫」をアパートに置いてきたのに、猫の声が頭の中に響いた。

(猫?アパートにいるのに、ここが見えるの?)

(景色は見えないニャ。でも了二さんの気持ちは伝わってくるニャ。こういうことは猫の専門領域ではニャイけど、宇宙の中の生命エネルギーは常に一定で、減ったり増えたりはしないんだニャ。)

(じゃあ野々村さんは、どうなったの?)

(水の三態に例えると、わかりやすいニャ。水は冷やすと氷になるし、熱すれば水蒸気になるニャ。)

(うん。理科で習ったね。)

(いままで生きていた野々村さんは、氷、つまり固体だったのニャ。それが昇華して水蒸気、つまり気体になったのニャ。気体になったら固体のようには、姿形ははっきりしないし、触っても実感はないニャ。でも野々村さんが消えたわけではないニャ。形を変えて存在し続けてるニャ。だから、了二さんの「野々村さんはいなくなっていない」という感覚は正しいのニャ。)

(夢の中で、俺のアパートに来た野々村さんは気体だったってこと?)

(例えで言えば、そうなるニャ。でも猫は、この分野は専門でないから、この程度しか言えないニャ。)

(いや猫、教えてくれて、ありがとう。)

(どういたしニャして。)

了二は、猫の説明を聞いて、心の底から安堵した。野々村さんは、いなくなってはいないのだ。今頃、だんなさんと、エーゲ海で二度目のハネムーンを楽しんでいるに違いない。

野々村さん、ありがとう。そして、またいつか会いましょう。

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