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二十六.
野々村さんの悩みと、猫のアドバイス
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「裕子さんのハーブタイム」の取材は、2週間に1回させてもらっていた。
野々村さんが庭で育てておられるハーブを一種類ずつ取り上げ、育て方や薬効を教えていただいた後、ハーブティーやハーブを使った軽食、ハーブを使ったお菓子など、野々村さん手作りのメニューを試食させていただく、という流れでおこなうことに、自然となっていった。
了二は一回の取材の内容を、取り上げた一種類のハーブの育て方と薬効、そのハーブを使った、お茶や料理への生かし方というふうに、前編後編に分け、2週間に二回の記事にして連載した。
アンノウンの仕事はスムーズに進み、月日はまたたく間に過ぎ、いつの間にか5月になっていた。
その日は初夏を感じさせるほど、日差しがまぶしく、野々村さんのお宅の白い塔が、青空に映えていた。
「今日は天気がよいから、テラスでお茶にしましょう。」
と、野々村さんが言いながら、ポットやカップをのせたトレーをテラスに置かれた丸いテーブルへと運んできた。
了二もテーブルと椅子が、日陰に入って向かい合わせになるように、動かして手伝った。
今日、紹介していただいたハーブはアップルミントで、そのフレッシュな葉で入れたハーブティーと、細かく刻んだ葉をバニラアイスに混ぜた冷たいお菓子を作ってくださった。
さわやかな風を感じるテラスで、ほのかにリンゴの風味がするアップルミントティーを味わいながら、了二は野々村さんの顔を見た。
(今日の野々村さんは、いつものはつらつとした感じがしないな。どうしたんだろう?)
了二が思うと、まるでその思いが聞こえたかのように、野々村さんが話しだした。
「朝倉さん、わたしね、ひとつ、悩んでいることがあるの。わたしのわがままかもしれないと思って、まだ誰にも話せていないことなのだけれど。朝倉さんに聞いてもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろん。僕でよければ。」
了二が応えると、野々村さんは、ホッとした笑顔を見せて話し始めた。
「わたしの夫は医師でね。5年前に亡くなるまで、この建物で内科医院をしていたの。1階の半分は診察室と検査室と待合室、点滴用の部屋でね、その奥がわたしたちの住居。夫が若い頃は、入院が必要な患者さんは、2階の病室に入院してもらっていたのね。」
「わたし達は、お互い大学病院に勤務していた時に知り合って、結婚することにしたの。夫はどういうわけか、ギリシャが好きでね。医学の祖ヒポクラテスの生誕地だからかしら。ハネムーンはエーゲ海の島巡りをしたのよ。」
「その島のひとつ、サントリーニ島の風景を、夫はとても気に入って。白壁の街並みと白壁の塔の上の青いドーム。時間によって移り変わるエーゲ海の色を写す島。夫は持ってきたフィルムを使いはたすまで写真を撮っていたわ。」
「そしてハネムーンから帰って、しばらくして、夫はこんなことを言いだしたの。いつか独立して自分の医院を持つ時には、サントリーニ島の街並みのイメージを取り入れた、建物にするって。」
了二はそこで、つい言葉が出た。
「そうだったんですか。僕は初めてこの建物を見た時、個性のある建物だなあ、と思いました。一般的な西洋風というくくりには入らないなあと。特にドームの色は日本にある建築にしては珍しい、独特の青だなあと。」
野々村さんは微笑んで、言った。
「朝倉さんは職業柄、特に敏感に気づいてくださったのね。わたしは夫が愛したこの建物を、わたしの死後も、残してもらえないかと願っているの。医院をしている間は、待合室に地域の絵画サークルの人達の作品を飾ってもらったり、押し花の作品展をしたり、患者さんが作った編み物の展示即売をしたりして、地域のちょっとした文化サロンにもなっていたのよ。」
了二は野々村さんの口から出た「わたしの死後」という言葉にドキリとした。まだ野々村さんと、そのような別れをしたくなかったから。
「わたしと夫には、ひとりだけ娘が授かってね。娘は医学には興味がなくて、音楽が好きで。東京の音楽大学のピアノ科に進学したの。そこで出会った、バイオリニストの彼氏と結婚して、東京で世帯を持ったから、この家に帰って来る気はないの。わたしが死んで、娘がこの土地と建物を相続したら、売ってしまうでしょうね。」
「だけど…わたしのひとりよがりかもしれないけれど…夫が生きた証しとして、この建物を残す方法がないかしら、と思ってしまうのよ…」
了二は、う~ん、と頭をひねった。資産のある人が、資産があるせいで悩むのは、贅沢な悩みだなあと以前は思っていたが、野々村さんの悩みを聞くと、だんなさんと娘さん、両方を愛しておられるからこその悩みだということが理解できた。
アップルミントのアイスが、うつわの中で溶けかけていた。野々村さんが、溶けないうちに、いただきましょ、と言ってくれたので、スプーンですくって口に入れた。
爽やかな甘さが口の中に広がった。
その時、椅子の背に掛けていたショルダーから「猫」の声が聞こえた。
(了二さん、不動産は売って儲ける方法と、貸して儲ける方法があるんニャで。)
「あっ、そうか!」
了二が急に声をだしたので、野々村さんが不思議そうに、了二の顔を見た。
了二は猫の言葉と自分の考えとを、混ぜ合わせて言った。
「野々村さん、不動産は売ってお金を得る方法と、貸してお金を得る方法とがあります。例えば、ですが、建物の2階を改装してアパートやシェアハウスにして貸すとか、待合室は飲食店などに貸すとか、庭もいくつかの区画に区切って、野菜や花を育てたい人達に貸すとかしたら、娘さんは長期にわたって賃貸料を得ることができます。そうできれば、この建物と庭を残して使うことができるし、娘さんにとっても、月々お金が入るのは、よいことではないでしょうか?」
野々村さんの顔がパッと明るくなった!
「そうね。そういう方法があるわね。やっぱり朝倉さんに相談して良かったわ。さっそく娘に電話して、話してみるわ。」
それからは、いつものハキハキした野々村さんに戻り、アップルミントの話題に花をさかせた。
野々村さんが庭で育てておられるハーブを一種類ずつ取り上げ、育て方や薬効を教えていただいた後、ハーブティーやハーブを使った軽食、ハーブを使ったお菓子など、野々村さん手作りのメニューを試食させていただく、という流れでおこなうことに、自然となっていった。
了二は一回の取材の内容を、取り上げた一種類のハーブの育て方と薬効、そのハーブを使った、お茶や料理への生かし方というふうに、前編後編に分け、2週間に二回の記事にして連載した。
アンノウンの仕事はスムーズに進み、月日はまたたく間に過ぎ、いつの間にか5月になっていた。
その日は初夏を感じさせるほど、日差しがまぶしく、野々村さんのお宅の白い塔が、青空に映えていた。
「今日は天気がよいから、テラスでお茶にしましょう。」
と、野々村さんが言いながら、ポットやカップをのせたトレーをテラスに置かれた丸いテーブルへと運んできた。
了二もテーブルと椅子が、日陰に入って向かい合わせになるように、動かして手伝った。
今日、紹介していただいたハーブはアップルミントで、そのフレッシュな葉で入れたハーブティーと、細かく刻んだ葉をバニラアイスに混ぜた冷たいお菓子を作ってくださった。
さわやかな風を感じるテラスで、ほのかにリンゴの風味がするアップルミントティーを味わいながら、了二は野々村さんの顔を見た。
(今日の野々村さんは、いつものはつらつとした感じがしないな。どうしたんだろう?)
了二が思うと、まるでその思いが聞こえたかのように、野々村さんが話しだした。
「朝倉さん、わたしね、ひとつ、悩んでいることがあるの。わたしのわがままかもしれないと思って、まだ誰にも話せていないことなのだけれど。朝倉さんに聞いてもらってもいいかしら?」
「ええ、もちろん。僕でよければ。」
了二が応えると、野々村さんは、ホッとした笑顔を見せて話し始めた。
「わたしの夫は医師でね。5年前に亡くなるまで、この建物で内科医院をしていたの。1階の半分は診察室と検査室と待合室、点滴用の部屋でね、その奥がわたしたちの住居。夫が若い頃は、入院が必要な患者さんは、2階の病室に入院してもらっていたのね。」
「わたし達は、お互い大学病院に勤務していた時に知り合って、結婚することにしたの。夫はどういうわけか、ギリシャが好きでね。医学の祖ヒポクラテスの生誕地だからかしら。ハネムーンはエーゲ海の島巡りをしたのよ。」
「その島のひとつ、サントリーニ島の風景を、夫はとても気に入って。白壁の街並みと白壁の塔の上の青いドーム。時間によって移り変わるエーゲ海の色を写す島。夫は持ってきたフィルムを使いはたすまで写真を撮っていたわ。」
「そしてハネムーンから帰って、しばらくして、夫はこんなことを言いだしたの。いつか独立して自分の医院を持つ時には、サントリーニ島の街並みのイメージを取り入れた、建物にするって。」
了二はそこで、つい言葉が出た。
「そうだったんですか。僕は初めてこの建物を見た時、個性のある建物だなあ、と思いました。一般的な西洋風というくくりには入らないなあと。特にドームの色は日本にある建築にしては珍しい、独特の青だなあと。」
野々村さんは微笑んで、言った。
「朝倉さんは職業柄、特に敏感に気づいてくださったのね。わたしは夫が愛したこの建物を、わたしの死後も、残してもらえないかと願っているの。医院をしている間は、待合室に地域の絵画サークルの人達の作品を飾ってもらったり、押し花の作品展をしたり、患者さんが作った編み物の展示即売をしたりして、地域のちょっとした文化サロンにもなっていたのよ。」
了二は野々村さんの口から出た「わたしの死後」という言葉にドキリとした。まだ野々村さんと、そのような別れをしたくなかったから。
「わたしと夫には、ひとりだけ娘が授かってね。娘は医学には興味がなくて、音楽が好きで。東京の音楽大学のピアノ科に進学したの。そこで出会った、バイオリニストの彼氏と結婚して、東京で世帯を持ったから、この家に帰って来る気はないの。わたしが死んで、娘がこの土地と建物を相続したら、売ってしまうでしょうね。」
「だけど…わたしのひとりよがりかもしれないけれど…夫が生きた証しとして、この建物を残す方法がないかしら、と思ってしまうのよ…」
了二は、う~ん、と頭をひねった。資産のある人が、資産があるせいで悩むのは、贅沢な悩みだなあと以前は思っていたが、野々村さんの悩みを聞くと、だんなさんと娘さん、両方を愛しておられるからこその悩みだということが理解できた。
アップルミントのアイスが、うつわの中で溶けかけていた。野々村さんが、溶けないうちに、いただきましょ、と言ってくれたので、スプーンですくって口に入れた。
爽やかな甘さが口の中に広がった。
その時、椅子の背に掛けていたショルダーから「猫」の声が聞こえた。
(了二さん、不動産は売って儲ける方法と、貸して儲ける方法があるんニャで。)
「あっ、そうか!」
了二が急に声をだしたので、野々村さんが不思議そうに、了二の顔を見た。
了二は猫の言葉と自分の考えとを、混ぜ合わせて言った。
「野々村さん、不動産は売ってお金を得る方法と、貸してお金を得る方法とがあります。例えば、ですが、建物の2階を改装してアパートやシェアハウスにして貸すとか、待合室は飲食店などに貸すとか、庭もいくつかの区画に区切って、野菜や花を育てたい人達に貸すとかしたら、娘さんは長期にわたって賃貸料を得ることができます。そうできれば、この建物と庭を残して使うことができるし、娘さんにとっても、月々お金が入るのは、よいことではないでしょうか?」
野々村さんの顔がパッと明るくなった!
「そうね。そういう方法があるわね。やっぱり朝倉さんに相談して良かったわ。さっそく娘に電話して、話してみるわ。」
それからは、いつものハキハキした野々村さんに戻り、アップルミントの話題に花をさかせた。
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