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二十一.
了二を救った老婦人
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「痛ってえ~~」
了二は、上を向いて雪を見つめ続けたあまり、平衡感覚を失い、後ろむきに倒れたのだった。
後頭部に手を当てながら、上半身を起こすと、指先にぬるっとしたものを感じた。手を目の前に持ってきてみると、血がべっとりとついている。あたりどころが悪かったらしい。
(やっべえ~~)
病院に行こうにも、もう閉まっている時間だし、大きな病院の救急外来なら開いているけれども、そこに行くほどのケガだろうか?救急車を呼ぶほどではなさそうだが、血が流れている状態で、タクシーに乗せてもらえるだろうか?
ごちゃごちゃ考えている間にも、血は首筋まで流れてきて、ジャケットの中のシャツに気持ち悪くにじんでゆく。
その時。
「あなた、どうしたの!!」
年配の女性の声が響き、見上げると、金属縁の丸っこいめがねをかけた、スラリとスマートな老婦人が立っていた。
老婦人はバックからハンカチを取り出し、了二の後頭部にあて、つよく押さえた。
(ああっ、きれいなレースのハンカチが血だらけに…)
了二は突然現れた、老婦人にすまなく思いながらも、老婦人の有無を言わせぬ行動に圧倒され、されるがままになっていた。
しばらく時がたち、老婦人が言った。
「血は止まったみたいね。立ち上がれる?ゆっくりとね。」
了二は老婦人に腕を持ってもらいながら、立ち上がった。
「すみません、ご迷惑をかけて…もう大丈夫です。」
「大丈夫じゃないわよ。頭を打つってたいへんなことなのよ。悪い症状が出るかもしれないから、わたしの家で少し休んでゆきなさい。」
「そんな、そこまでお世話になるわけには…」
「いいのよ。わたしの家はすぐそこだし、わたしは元看護婦だから。このまま、あなたを帰して脳損傷にでもなっていたら、わたしが後悔することになるわ。」
老婦人のキッパリとした、元看護婦としての発言であれば、了二としても断る理由がなく、お世話になることになった。
老婦人は了二の片腕をもって誘導した。5分も歩くと老婦人の家に着いた。
暗くてよくは見えないが、ずいぶん大きな家のようだ。老婦人がドアの鍵を開け、了二の背中を押して先に家に入れた。足元にセンサーがあるらしく、室内のライトが自動的に点灯した。
老婦人は了二をリビングに案内すると、傷口を丁寧に拭いてくれた後、タオルを当てて、カウチソファーに横になるよう命じた。
「吐き気はない?手足はしびれたりしていない?」
「はい、いまのところないです。」
「30分くらい横になって、異常がなければ今夜はいいわ。でも明日、必ず脳神経外科に行って、検査をしてもらうのよ。わたしの知り合いの医師に手紙を書いておくから、それを見せればいいわ。」
「いろいろありがとうございます。」
「いいのよ。あなたのような、若くて将来のある人が、病気になってはいけないでしょ。」
老婦人が医師宛に書いてくれる手紙の用具を取りにリビングから出ていっている間、了二は天井の木目(もくめ)を見ながら考えていた。
(あれ?この人、どこかで会ったことないかなあ?なんだか見覚えがあるんだけど…もしかしてあの時の…?)
了二が思いだしたのは、島田氏から提案されて、初めてアンノウンのために書いた記事、猫といっしょにアサギマダラを見た「清水町児童公園」へ、園芸道具を入れたバスケットを持って、入って行った老婦人の姿だった。
老婦人がリビングに戻ってきて、了二の向かいのソファーに座り、医師あての手紙を書き始めた。
了二は横目で老婦人の顔を確かめると、まちがいない、あの時の人だ。でも今日は、こんな緊急事態の最中なので、そのことをたずねるのは、またの機会にしておこう。
老婦人は手紙を書きおえると了二の側に来て、目や耳のあたりを見てチェックした。それからもう一度、吐き気やしびれや、そのほか異常に感じるところがないか聞かれ、
了二が「ないです。」と答えると、傷のところに絆創膏を貼られて、やっとアパートに帰れることになった。
老婦人が、いましがた書いた手紙を見せてくれた。「TKC総合病院 脳神経外科医 田所秀樹 様」 で始まり、「患者は後転して後頭部を歩道のブロックで打ち、外傷は10分ほどの圧迫で止血したが脳内の検査をしてほしい」旨が簡潔に書かれ、最後に、「野々村裕子」と名前が書かれていた。
了二はいただいた手紙を、丁寧にショルダーの中へ納めて、野々村さんに、
「本当にありがとうございました。野々村さんが通りがかってくださらなかったら、まだ血を流しながら、うろたえていたかもしれません。またあらためてお礼に来ます。」
「まあ、律儀な方ね。わたしへのお礼なんかより、明日、必ず、田所先生のところへ行って、脳の検査をしてもらうのよ。約束よ。」
「はい。わかりました。」
了二は野々村さんに見送られ、外へ出た。雪があいかわらず降っている。アパートへの道をたどりながら、野々村さんのように、親切な人っているものなんだなあ、と、感謝をかみしめた。
猫も、
(良かったニャア~~)
と言ってくれた。
そして、今度、お礼にゆくときに、「清水町児童公園」の、花壇の手入れをしておられることについて聞いてみよう。と思った。
顔に当たる雪は冷たかったが、島田氏と野々村さんという、了二のことを大切に思ってくれる人達と出会えて、心はぽかぽかと、胸にカイロを入れているように温かかった。
了二は、上を向いて雪を見つめ続けたあまり、平衡感覚を失い、後ろむきに倒れたのだった。
後頭部に手を当てながら、上半身を起こすと、指先にぬるっとしたものを感じた。手を目の前に持ってきてみると、血がべっとりとついている。あたりどころが悪かったらしい。
(やっべえ~~)
病院に行こうにも、もう閉まっている時間だし、大きな病院の救急外来なら開いているけれども、そこに行くほどのケガだろうか?救急車を呼ぶほどではなさそうだが、血が流れている状態で、タクシーに乗せてもらえるだろうか?
ごちゃごちゃ考えている間にも、血は首筋まで流れてきて、ジャケットの中のシャツに気持ち悪くにじんでゆく。
その時。
「あなた、どうしたの!!」
年配の女性の声が響き、見上げると、金属縁の丸っこいめがねをかけた、スラリとスマートな老婦人が立っていた。
老婦人はバックからハンカチを取り出し、了二の後頭部にあて、つよく押さえた。
(ああっ、きれいなレースのハンカチが血だらけに…)
了二は突然現れた、老婦人にすまなく思いながらも、老婦人の有無を言わせぬ行動に圧倒され、されるがままになっていた。
しばらく時がたち、老婦人が言った。
「血は止まったみたいね。立ち上がれる?ゆっくりとね。」
了二は老婦人に腕を持ってもらいながら、立ち上がった。
「すみません、ご迷惑をかけて…もう大丈夫です。」
「大丈夫じゃないわよ。頭を打つってたいへんなことなのよ。悪い症状が出るかもしれないから、わたしの家で少し休んでゆきなさい。」
「そんな、そこまでお世話になるわけには…」
「いいのよ。わたしの家はすぐそこだし、わたしは元看護婦だから。このまま、あなたを帰して脳損傷にでもなっていたら、わたしが後悔することになるわ。」
老婦人のキッパリとした、元看護婦としての発言であれば、了二としても断る理由がなく、お世話になることになった。
老婦人は了二の片腕をもって誘導した。5分も歩くと老婦人の家に着いた。
暗くてよくは見えないが、ずいぶん大きな家のようだ。老婦人がドアの鍵を開け、了二の背中を押して先に家に入れた。足元にセンサーがあるらしく、室内のライトが自動的に点灯した。
老婦人は了二をリビングに案内すると、傷口を丁寧に拭いてくれた後、タオルを当てて、カウチソファーに横になるよう命じた。
「吐き気はない?手足はしびれたりしていない?」
「はい、いまのところないです。」
「30分くらい横になって、異常がなければ今夜はいいわ。でも明日、必ず脳神経外科に行って、検査をしてもらうのよ。わたしの知り合いの医師に手紙を書いておくから、それを見せればいいわ。」
「いろいろありがとうございます。」
「いいのよ。あなたのような、若くて将来のある人が、病気になってはいけないでしょ。」
老婦人が医師宛に書いてくれる手紙の用具を取りにリビングから出ていっている間、了二は天井の木目(もくめ)を見ながら考えていた。
(あれ?この人、どこかで会ったことないかなあ?なんだか見覚えがあるんだけど…もしかしてあの時の…?)
了二が思いだしたのは、島田氏から提案されて、初めてアンノウンのために書いた記事、猫といっしょにアサギマダラを見た「清水町児童公園」へ、園芸道具を入れたバスケットを持って、入って行った老婦人の姿だった。
老婦人がリビングに戻ってきて、了二の向かいのソファーに座り、医師あての手紙を書き始めた。
了二は横目で老婦人の顔を確かめると、まちがいない、あの時の人だ。でも今日は、こんな緊急事態の最中なので、そのことをたずねるのは、またの機会にしておこう。
老婦人は手紙を書きおえると了二の側に来て、目や耳のあたりを見てチェックした。それからもう一度、吐き気やしびれや、そのほか異常に感じるところがないか聞かれ、
了二が「ないです。」と答えると、傷のところに絆創膏を貼られて、やっとアパートに帰れることになった。
老婦人が、いましがた書いた手紙を見せてくれた。「TKC総合病院 脳神経外科医 田所秀樹 様」 で始まり、「患者は後転して後頭部を歩道のブロックで打ち、外傷は10分ほどの圧迫で止血したが脳内の検査をしてほしい」旨が簡潔に書かれ、最後に、「野々村裕子」と名前が書かれていた。
了二はいただいた手紙を、丁寧にショルダーの中へ納めて、野々村さんに、
「本当にありがとうございました。野々村さんが通りがかってくださらなかったら、まだ血を流しながら、うろたえていたかもしれません。またあらためてお礼に来ます。」
「まあ、律儀な方ね。わたしへのお礼なんかより、明日、必ず、田所先生のところへ行って、脳の検査をしてもらうのよ。約束よ。」
「はい。わかりました。」
了二は野々村さんに見送られ、外へ出た。雪があいかわらず降っている。アパートへの道をたどりながら、野々村さんのように、親切な人っているものなんだなあ、と、感謝をかみしめた。
猫も、
(良かったニャア~~)
と言ってくれた。
そして、今度、お礼にゆくときに、「清水町児童公園」の、花壇の手入れをしておられることについて聞いてみよう。と思った。
顔に当たる雪は冷たかったが、島田氏と野々村さんという、了二のことを大切に思ってくれる人達と出会えて、心はぽかぽかと、胸にカイロを入れているように温かかった。
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