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十九.

20の条件と素顔の島田氏

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島田氏が、面会の場所として希望したのは、行政が、役所のビルのワンフロアを開放しているワーキングスペースだった。

その場所の説明と共に島田氏の顔写真が送信されてきた。

了二はこれまでの、島田氏とのネット上のやりとりの中で、島田氏の人物像について、自分で勝手なイメージを、心の中に作り上げないように気をつけてきたが、まだ少年のような初々しい雰囲気をまとった島田氏の写真に、この人は自分より年下だと感じた。

了二も「お会いするのを楽しみにしています。」
というメッセージと共に、自撮りの写真を送信した。

師走に入り、感染症の最中ではあるが、街がクリスマスに色どられてきた日、了二は約束の日時にワーキングスペースを訪れた。

フロアに入ると、窓際の机に着いていた人物が
立ち上がってこちらに手を振った。

島田氏だ。

了二が近づいてゆくと、島田氏のほうから先に、
「今日は来ていただきありがとうございます。何か飲み物を買ってきます。何がお好きですか?」
とたずねられた。

了二は、いえお気づかいなく、と言って遠慮したが、島田氏が「あそこの自動販売機で買って来るだけですから、遠慮されないでください。」と、重ねて言うので、では温かいミルクティーをお願いします。とたのんだ。

島田氏は自動販売機まで小走りに行き、ミルクティーの缶を左右の手に一缶ずつ持って戻ってきた。二つの缶を机の上に置くと、二人は向かい合って座った。

「お若いのに、スタートアップを立ち上げられるなんてすごいですね、島田社長。」

了二はお世辞ではなく、率直な感想として言った。

すると島田氏は、頬を赤らめ、顔の前で両手のひらをふりながら、
「朝倉さん、'社長'はやめてください!うちは役職名で呼び合わないようにしているんです。役職名で呼んでいると、縦型組織になってしまいますから。組織というほど人数がいるわけでもないですけど。僕はフラットで、みんなが平等にものが言いあえる会社を目指しているんです。それに、朝倉さんのような才能のある方から敬語を使われると恐縮します。'さん'で呼んでください。」

了二は、謙遜する人だな、と思ったのと、自分を高く評価してもらえていることが、うれしかった。

島田氏は自分のことについて語り始めた。

「僕は朝倉さんと違って、デザインもライティングも、どしろうとなんです。大学を卒業してから保険会社に就職して、この地域で保険の営業をしていたんです。いろいろなご家庭や会社や商店を訪問しているうちに、とっても魅力的な人や会社や商店が、多くの人々に知られることがないまま埋もれていることに気がついたんです。地元の新聞や地元のテレビ局はありますが、何か、こう、伝え方として紋切り型だし、本当に深いところの情報には触れられていない気がして。そんな思いを抱えて悶々としながら、営業の仕事を続けていたのですが、ある日、突然、ひらめいたんです。地域の深い情報を知らせるメディアがないなら、自分で作ればいいじゃないかって。それでアンノウンを立ち上げたというわけです。親からは猛反対されましたけどね。」

島田氏は、フフッと思い出し笑いを唇に浮かべてから、ミルクティーを一口飲んだ。

「でも、やっぱりすごいですよ。思ったことを現実にされたわけですから。」了二が言うと、

「まあ、無鉄砲で終わらないように、自分なりに努力はしているつもりです。」と島田氏は答えた。

それからは会社の業態や労働条件の話となった。(株)アンノウンは、固定費を削減するため、決まった事務所スペースは持っておらず、基本、テレワークで働いてもらっていること。全員が顔を合わせる必要があるときは、ZOOMを使うか、このワーキングスペースのような場所で会議をしていること。現在、正社員のデザイナー兼ライターは2名、システムエンジニアは1名いるが、今後の事業拡大を見込んで、まだ人材が必要だと考えていること。それで了二に正社員になってもらいたいと希望していること。アンノウンだけでは対応できない仕事は、外注をしていること。収益の柱は広告で、記事の内容とマッチングした広告を出すようにシステムを構築しており、スポンサーになってくれる会社や商店などとの契約をとってくるのは島田氏がおこなっていること。デザイナー兼ライターには仕事用のスマホを貸与するほか、パソコンとソフトの購入が必要になった時には、アンノウンから補助金を出していること。取材に必要な交通費は出していること。厚生年金と健康保険には入ってもらえること。現在の了二の給料の手取りとしては25万円程度が見込まれること。ボーナスについては確約はできないが、出せるように考慮行動していることなどを、島田氏は話した。

「ご質問はありますか?」
島田氏は、やや不安そうに、了二の表情をうかがった。

了二は「正社員」という自分には縁がないのではないかと思っていた肩書きを提示され、うれしく感じるとともに、責任が重くなるのでは、という不安もあった。そう思った時、ひざの上に置いたショルダーの中から、「猫」がケリを入れた感覚を太ももに感じた。

了二は猫のケリに反応してしまい、思いがけずこういう言葉がでた。

「実は、私は、正社員という立場を経験したことがないんです。」

島田氏は驚いて、息をのむような様子とともに
「朝倉さんのような才能と技術を持つ方が、非正規で働いてこられたんですか?僕なんか、人に見せられるような絵の一枚も描けないのに…」

「そう言われると恐縮ですが、専門学校を卒業した時に、正社員の採用の会社に入れなかったので、人材派遣会社に登録し、ずっと派遣社員として働いてきました。この感染症が始まるまでは、ですが。だから、正社員という立場について、よく理解できていないことがあると思います。島田さんのお話しはわかりましたが、正社員は責任が重くなるものなのでしょうか?」

島田氏は了二の不安を打ち消すように言った。

「仕事の内容は、これまで朝倉さんに書いていただいたレベルの記事を、続けて書いていただければ充分です。朝倉さんの記事は、読者の方からたいへん好評なんですよ。ただ、正社員の方の社会保険料は会社が半分負担することになることもあって、月に20本くらいの量の記事は書いていただくことになります。」

「月に20本ですか…」
了二はつぶやいた。(できるかなあ…)

島田氏は了二の不安をくみ取り、こう提案してきた。
「朝倉さん、ではこうしませんか?いきなり正社員になる前に、明日から数えて一ヶ月の間に、20本の記事が書けるか挑戦してみてください。それがクリアーできたら、正社員として採用させてください。」

島田氏は了二をどうしても、離したくないらしかった。

「わかりました。がんばってみます。」
了二は答えた。

それから2人は立ち上がり、それぞれ飲み終わったミルクティーの缶を持ち、自動販売機のところまで行き、空き缶を回収するボックスに入れた。

ワーキングスペースから出て、建物の出入口まで、島田氏と並んで歩いている間に、了二はあることに気づいた。

島田氏は了二に比べて背が低く、体つきも華奢(きゃしゃ)だ。島田氏が少年のような雰囲気を持っているのは、生まれつきの性は女性だからなのではないか?

でもそれがどうしたというのだろう?本人の意思で違う性の人間として生きるのは自由ではないか。島田氏が男性として生きると決めたのなら、それに対して他人がごちゃごちゃ言ったり思ったりするべきではない。

出入口から外に出ると、冬の日は落ち真っ暗で、雪がちらちらと舞っていた。

島田氏は「原付で来たので、僕はこっちに行きます。今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」と言い、駐輪場のほうへ歩いて行った。

その後ろ姿を見送ってから、了二はゆっくり、アパートへ帰る道を歩きだした。
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