「壇ノ浦」より~転生~

むめ

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「壇ノ浦」より~転生~

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「安徳天皇、ご入水(じゅすい) !」

響いた声のあるじは、平  知盛 公のようであった。

それまで源氏の兵を、天皇の御船に近づけまいと、御船を取り囲む船上で、必死で食い止め戦っていた平家の武者達のあいだに、ぷつんと糸が切れた空気が漂い、平家は総崩れとなった。

ある者は源氏の兵に切られ、ある者は、自身も天皇を追うように海に飛び込み、ある者は、守るべきよすがを失い、船から船へと飛び移りながら、源氏の兵から逃げた。

二位の尼と安徳天皇のおそばにいた、女房(身分の高い人のお世話係)のひとりは、いましがた、二位の尼が孫にあたる安徳天皇を抱いて、船縁から海中に落ちてゆかれたお姿に、ただただ呆然とし、御船の上に座り込んでしまった。

(安徳帝がお生まれになったころ、京の都であれほど華やかであった平家の一門が、まだ八つになられたばかりの帝と共にこのような最後を迎えるとは…)

女房にはこの有り様が、いまだ信じられず、自分は悪い夢でも見ているのではないかと思われてくるのだった。

平家は元来、水を操ることに長けた一族である。海上での戦に強い。

都を追われ、西へ西へと落ちのびて来ても、まだ壇ノ浦で挽回の機ありと、皆、希望を失ってはいなかった。

それが、このひとときの間に…このひとときの間に…

当初は平家が有利に戦を展開したが、源氏方が武者ではない水夫や舵取りを狙って矢を射て、彼らが倒れてゆくにしたがい、平家は船団を思い通りに動かすことができなくなった。それを見て取った、当初は平家方についていた、四国や九州の他の一族たちが源氏に寝返り、平家はたちまち追いつめられたのである。

二位の尼は、このようになった時の決心をされていたらしい。安徳帝ご自身と、正統な天皇の印である三種の神器は源氏に渡すまじと、帝と神器と共に自ら海に沈まれたのだった。

ひとりの武者が、御船に飛び移り、女房の前にひざまずいた時、女房は、はっと我にかえった。

最初は源氏方の武者かとおびえたが、女房には武者の顔に覚えがあった。

武者の名前は知らねども、都から落ちのびて来る間、この武者は安徳帝とまわりの者をつかず離れず守ってきてくれた。

兜のなかの顔は、長い旅路のやつれを写していたが、生気のあるまっすぐな視線が女房の顔に注がれていた。

武者は女房に言った。

「あなたに恋しておりました。もし、来世というものがあるのであれば、私と一緒になっていただきたい。」

そう言うと、武者は鎧兜のまま女房をがっしりと抱き締めた。

「あなたを源氏の者どもの、さらしものにしたくない!」

と言い放ち、女房が「あっ!」と息をつく間もなく、武者は女房を抱き締めたまま立ち上がり、船縁を蹴って海中へと飛んだ。

女房は武者と共に沈んでゆくのを感じながら、自分の長い黒髪が、海水のなかでゆうらゆらと上へ向かって流れ、そのあいだを縫うように、小さな泡つぶが無数に立ちのぼってゆくのを見た。

意識が無くなる瞬間、

女房は、水の冷たさ恐ろしさを感じた。
武者は、愛する人々を守るため、自らがより優れた水の使い手になりたいと願った。



~~~



時は流れて、1971年。

静岡県は伊東市に「伊豆の瞳」と呼ばれる、小さな美しい湖がある。

その名は「一碧湖」(いっぺきこ)。

今日もたくさん訪れた観光客のなかに、湖畔のボート乗り場で、言い争う一組の若い男女がいた。

「ほら、湖を見てごらんよ。みんな楽しんで、ボートに乗ってるじゃないか。」

男が言うと女は、

「人は人、わたしはわたしよ。わたしはボートは嫌いなの。ひっくり返りでもしたら、おぼれてしまうじゃないの。」

と言う。

「こんなに静かな湖で、ボートがひっくり返るなんてありえないよ。僕が安全に漕ぐから乗ろうよ。水の上の景色はきれいだと思うよ。」

男が説得しようとすると、女は、

「とにかく、わたしは乗らないわ。乗りたければ、あなた一人で乗ってきて。わたしは待ってるから。」

と、どこまでも強情だ。

「ふたりで楽しみたいのだから、僕一人で乗るわけにはいかないよ。」

男はボートを諦めて、ふたりで湖畔を一周する小道を散策をすることにした。

男は不思議に思った。
(何にでも好奇心いっぱいで、積極的なこのひとが、ボートや船だけは異常なほど嫌うんだよな。なぜだろう?)

女は小道を歩きながら、
「ねえ、この花はなんという花かしら?東京では見たことがないわ。」

と、もう次のことに関心が移っている。

春の日差しがキラキラと湖面を照らし、それは、かつての遠い日に、男が初めて女に自分の想いを打ち明けた、あの海上を照らしていた太陽と少しも変わってはいなかった。

そう、男はあの「壇ノ浦」の平家の武者、女は御船で安徳天皇につかえていた女房の生まれ変わりなのである。

今世、ふたりは東京の、ある大学に通う、学生どうしとして出会ったが、もちろん自分たちが「壇の浦」の合戦を経験したことは、すっかり忘れてしまっている。

それでも魂の奥底には、前世の記憶が潜んでいて、自分でも理由がわからぬまま、時折、恐怖や熱情に襲われるのだった。

今世は学生同士として出会い、デートを重ね、だんだん遠出をするようになってきた二人だが、恋のゆくえはどうなるのか、それは祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、お釈迦様のみがご存じなのであろうか。

今はただ、遠いあの日と同じように、春の日差しがやわらかく、二人を包んでいるのだった。


(完)








                     
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