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しおりを挟むわたしのママ上の頭の中は砂糖菓子を溶かしたような考え方をする。
道を歩いているだけで、そんな彼女の脳は甘く痺れ、恋愛へと発展させるのだ。
例えば、高校生の男女の集団が通りかかれば――
「ねえ、今の子たちみた? ちらちら斜め前にいる女の子を見ている男の子がふたりもいたわ! きっとふたりはライバル関係で、どうやってグループから離れようかって考えているのよ。あの視線の熱量からみて、今日ぐらいには行動を起こすんじゃない? あ~ん、ママ見にいきたい!」
いや、女の子が車道側を歩いているから気を使っただけじゃないかな? と本当に後を追いかけようとするママ上の腕を掴んで止めるのがわたしの役目。
刑事もののドラマを見ていれば――
「すごいわ! 熱い展開ね。きっとあの女の子が崖から落ちそうになって、男の人が助けるのよ。そこから恋が本格的にスタートね。だって、命を助けられちゃったのよ? 見事なつり橋効果じゃない。ここから恋が始まらなくて、なにが始まるのよ!」
刑務所暮らしが始まるんじゃないかな?
だってさ、相手は今回のゲスト出演で、どう考えても犯人ポジ。犯人ポジと恋人になる刑事はいるが、刑事役は五十歳。年齢差婚なんてものがあるけれど、違うんじゃないかな。
冷静に考えて、ママ上。崖に追い込んでるクライマックスから恋愛は無理だ。
わたしは無言でチャンネルをかえて、ママ上が大好きな恋愛ドラマに切り替える。
さらに――
「……ねえ、あの子たちすごいわ……ママ脱帽よ。完璧なシチュエーション、完璧なプロポーズ、完璧な花! 明日にでも結婚式を挙げるんじゃないかしら。私も参加させてもらいたいわ! ……今から両家のご両親に挨拶すれば招待状もらえるわよね」
待て。まてまてまて、相手は幼稚園児だぞ。ただ、ままごとをして遊んでいるだけだ‼
どんな風に脳が働けば、そうなるのだ。
我が親のことながら信じられないものを見た気持ちになり、無言で今日もママ上の腕を掴んで家に引きずって帰った。
極めつけはこれだ。
「アヤちゃんたち、進展したの?」
中学に上がったころから、幼馴染とわたしの関係が所謂恋人になったのではないかと期待して聞いてくるのだ。ほぼ、毎日。
なんの進展もないし、お互いそういう間じゃないと説明しても無駄だ。恥ずかしがっているのだと脳内で変換され、「自分から動かないと誰かにとられちゃうんだから!」と説教してくる。それがわたしだけならまだしも幼馴染の海斗本人にまでだ。
思春期真っただ中の子供に言うことだろうか。当然、わたしたちはお互い無言のまま距離をおいて、ママ上を大いに嘆かせた。
そんなママ上の職業は少女漫画家だ。
天職ではないだろうか。
願うなら、私生活に持ち込まないでほしいというだけだ。
なんていうか、わたしが恋する前にママ上が先に恋に恋するので、恋愛というものに興味が失せてしまうのだ。
「だからって、あんたが恋愛に無関心になるのは違うんじゃない?」
せっせと人のノートを取りながら、耳にタコができるぐらい言われてきたセリフを言うのは愛華だ。
くりん、とした瞳に茶色く染めた髪は校則に引っかからない程度に軽く巻いている。化粧は教師から注意されない程度だけど、恐らくカバンの中にはポーチが入っていて放課後になれば化粧を始めるだろう。今日は一週間ぶりの合コンだから気合が違う。なんせ一か月後にクリスマスが控えているのだ。絶対に男を捕まえると考える女子高生は飢えた猛獣と同じだと思う。
「ねっ、だからさ。今日の合コン一緒に行こうよ! いい男を呼ぶって脅して脅して脅しまくって開いてもらうんだから、参加しないなんて青春を無駄にすると思う!」
「わたしの青春を勝手に恋とイコールで結ばないの」
「じゃあ、彩芽にとっての青春ってなに?」
宿題を写し終わったのだろう。ノートを閉じ、ありがとうとお礼の言葉とチョコを添えて返してきた。いらん一言付きで。
青春ってなにって言われても、運動部や文化部といったものに在籍していたら即座に伝えていたけど、残念なことにわたしは帰宅部だ。夢見がちな母親を持ったこともあって私生活の世話をしないといけない。
「彩芽って放課後も付き合い悪いし、用事を聞けばスーパーの特売日だからとか、アシスタントさんたちの食事作らないといけないからとかじゃない」
「痛いところをぶっさしてくるなー」
「あのね、私たち来年は受験生だよ? 今年遊ぶしかないと思うわけ。あっ、大学に入ったら遊ぶ予定とか信じないからね」
「……ほんと愛華は痛いところ突いてくるなー! 今のところは勉強! わたしは勉強に生きる‼ 目指せ国立大!」
うわーって声を上げたのは愛華だけじゃない。
周囲で聞いていた友達からも漏れていた。そんなに駄目なのかな。
勉強というものは簡単だ。
決められた方法通り答えを導きだせばあら不思議、頭の中で描いた通りに答えがでて正解となるのだから。
「三十路になって初恋をしましたとか言いそう……」
愛華じゃなく別の友達がぼそっと零した。
「ふふんっ、初恋は経験済みだから」
「いや、どや顔で言えることじゃないよ。むしろ私たちの不安を煽ってるからね⁉」
えっ、そうなの?
わからず首をかしげると結構な数の溜息を浴びる。
「ちょっと待った。大事なこと聞いてないから。彩芽の初恋って人間?」
みんなして「はっ」としないでほしい。
わたしをなんだと思っているんだ。
「幼馴染だから。ベッタべたでしょ?」
「は⁉ それって……なんか悲惨な結果しか浮かばないんだけど。大丈夫だったの?」
「あー……わたしが好きだったのって小学校のときなんだよね。ママ上が騒ぎだしたのは中学生で、その頃には好きじゃなくなってたから平気、平気」
ふーん、と愛華は釈然としない様子だったからか、一言だけ。
「あのさ、漫画通りの恋だって、頭の中に思い描いた恋だって、たまには存在するよ。ずっとじゃなくても、一瞬一瞬であるんだから」
そう告げてくれたけど、「ふーん」としか返せなかった。
五人分の食材ともなると大量なわけで、駅前の駐輪場に停めてある自転車のカゴに無理やりねじ込む。学生カバンは肩掛けだけど、このときばかりはリュックに大変身だ。
カゴの重さで安定感が欠けた自転車だけど道路まで転がせばあとはペダルをこぐだけ。
若干不安定さはあるものの、手で押すよりもはるかに楽だ。よしっ、と小さく声をだし座ろうとすると横からにゅっ、と手が伸びてカゴを掴む。
「パンツ見えるから乗るなって言っただろ」
「パンツ言うな! 下着って言ってもらえる⁉」
反射的に叫んでしまった。
掴む手を払うもののびくともせず、わたしを睨むとハンドルを掴みドケと言わんばかりの態度だ。
「あ、あのね……なんの用なわけ」
「おまえが合コンに参加してないか確認をしにきただけだ。今日、うちの高校と合コンだろ」
「知らないし。わたしが合コンとか興味ないの知ってるでしょ」
念のためだ、と男はぶっきらぼうに告げ、わたしが横によけたのを確認したのち自転車を転がし始めた。そして、いつものようにつまらない話を始めるのだろう。
「おまえはいつまで逃げるつもりだ」
ほーら、ほらね。
ツンっと無視するのもいつものことだ。
「……合コンに行かないだけマシか。おばさん曰く、友人に連れられて合コンに参加するパターンがあるらしいからな」
「毒されすぎ」
「仕方ないだろ。おまえと一緒で、俺もいやってほど恋愛漫画における定石ってもんを語られてきたんだからな。まして、おまえは逃げてるから不安にもなる」
幻想と違いすぎる現実から逃げ続けるわたしを責めるような言葉にぐっ、と詰まる。
こいつは、海斗は嫌いだ。わたしをまた恋愛なんていう幻想の中に引きずり込もうとする。心地いいぐらい甘ったるい子供の幻想。
恋というものが頭の中で描いた物語通りには進まないことは薄々気が付いていたけど、両親が離婚をして決定的になった。
わたしが小学二年の頃には両親は顔を合わせば怒鳴り合いが続いていた。
誰も助けてくれない日々。
家の中だと誰もが息をひそめ、ピンと張った糸の上を歩いているような日常。そんな中でママ上の夢物語はわたしの耳に心地よく、「幼馴染」という存在に恋に恋をしていた。身近に対象がいたから余計だったのだろう。
だけど、あの日あの日は父が早く帰宅して、ママ上の夢物語を聞いてしまった。父が大っ嫌いなママ上の物語。
ふたりにとってはいつもの喧嘩の延長。
だけどわたしにとってはサンタさんの存在を一瞬にして暴露され、さらにサンタという存在がいかに醜悪で、大人が苦労をして作り上げた幻想かを語らえるような感覚。
ひとつひとつ打ち壊す父の言葉。
でも、この時のわたしは馬鹿だった。
大切なよすがのように思っていたものを破壊されてもヒーローが来てくれるのを信じ疑わなかった。
言わずも知れた幼馴染だ。
玄関をじっと見つめた。
その間も両親の喧嘩はヒートアップしていったけど、わたしは待った。
待ち続けた。
だけど、彼はこなかった。
あの日、勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じ、勝手に嫌いになった自分。
もしかしてって考えちゃう自分が死ぬほど嫌だ。
今だってそうだ。
「不安とか、心にもないこと言わないで……」
「俺は昔も今も自分の気持ちに素直だぞ。おまえも俺を見倣って素直になったらどうだ? 今年ぐらいしか青春を満喫できない」
少し先を歩く幼馴染の言葉が本当に彼が発した言葉なのか、それとも幻想の中の言葉なのかわたしにはわからない。
だって漫画見たいなシーンなんだもん。
ふと愛華の言葉を思い出し、思う。
だったらこそれは現実なのだろうか――と。
*******************
小学校のとき。
幼馴染っていう関係抜きにしても彩芽のことが気になっていた。それが初恋なのかは知らないが、あいつの家がめちゃくちゃになっているのは肌で感じ、助けたいと思うぐらいには。
だけど、あの日は動けなかった。
家の前までいったけど、なにかが壊れる音と、いつも笑顔で少女漫画について語るおばさんとは思えないヒステリックな声に男の人の怒声。
チャイムを押す指先が震え、いざ押そうとしたときには母親に腕を掴まれ、家の中に引きずり込まれ叱られた。
正直、安堵した。
怖かったしな。
だけど、次の日に後悔することになる。彩芽の瞳には失望の色がありありと浮かんでいて、俺という人間を突き放すようになった。
腹が立ったけど、弱い自分が悪いんだって反省して、それでも次に同じことがあれば助けに入れるようにと空手を習いだしたけど、あんな場面早々あるわけない。おばさんの好む漫画の中ならヒーローの見せ場にもなるからあるだろうけど、現実なんてこんなもんだ。
帰り道に危険がないか見張っているつもりだけど、軽いストーカー。
それが今の俺。
ほんと、頼むから早く逃げるのをやめてくれ。
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