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第十二話

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 堂上がいなくなったエレベーターをどれだけの間、見つめていただろう。
 円香はふと我に返り、相宮に視線を送る。
 その瞬間、ドクンと胸が大きく高鳴った。
 相宮が熱っぽい視線を送ってきていたからだ。
 その視線の強さに、円香は立ち竦む。
「相宮……さん?」
 相宮はズカズカと足音を立てて距離を縮めると、円香の手を取った。
 驚く円香の手首をギュッと握りしめ、相宮はそのまま円香を引っ張ってエレベーターに乗り込んだ。
「相宮さん!?」
 いつもと違う雰囲気に円香はオロオロしっぱなしだ。
 何度か相宮の名前を呼ぶのだが、返事がない。
 エレベーターの中は、二人きりだ。それなのに相宮は口を開こうとしない。
 地上に下り、相宮はそのまま京都タワーを出て駅へと向かう。
「今なら最終に間に合うでしょう」
 小さく頷いた円香だったが、手を離してほしいというお願いを言うことができない。
 相宮が威圧的な雰囲気を醸し出していたためだ。
 チケットを購入している間もずっと円香の手首を握ったままだ。
 円香にしてみたら、こんなふうに外で相宮に手を握られたことはない。
 だからこそ、ドキドキしすぎてどうにかなってしまいそうなのに相宮は冷静だ。
 こんなに心を乱されているのは自分だけなのだろうか。
 円香は落胆と同時に羞恥にかられた。
 複雑な気持ちで相宮の背中を見つめ、先ほどまでのやりとりを思い出す。
 都合良く相宮が円香に電話をしてきたのは、七原のおかげだと相宮が言っていた。
 七原は今朝の電話以降、ずっと円香のことを気にかけ続けてくれたのだろう。
 そこで思い出したのが、相宮だったのかもしれない。
 七原のSOSの言葉は、相宮に届き、無事円香はこうして帰ることができた。
 七原には感謝の気持ちでいっぱいだ。
 まだ七原は、円香の無事を確認していないはず。早めに伝えた方がいい。
 だが、今は相宮に手を掴まれている状態でメールを送ることは無理そうだ。
 新幹線に乗り込んだあとにでもメールをしておこう、と円香はドキドキする鼓動を抑えながら頭の片隅で思う。
 それにしても、と円香は心の中でひっそりとため息をつく。
 そして相宮の言葉を思い出し、頬を赤く染めた。
 先ほど、相宮は堂上に嘘をついた。
 円香と相宮は恋人同士だと言った、あの言葉だ。
 どうしてあんなことを相宮は言ったのだろうか。あのときは一瞬喜びに満ちてしまった円香だったが、こうして冷静になればわかることだった。
 楠の一件で怯えきっていた円香から、その一件を彷彿させる堂上を退けるためだったのだろう。
 あの場では円香と相宮が恋人同士で、円香が相宮を頼った。
 そういう図式の方が、堂上を説得して諦めさせるには最良だったのだろう。
 それに、新作装丁のデザイナー変更については、どうやら堂上が一枚噛んでいたようだ。 だからこそ、相宮はあんな嘘を堂上についたのだろう。
 堂上がこれ以上円香の周りをうろつかないように。円香の不利益になるような事態を招かないように。
 相宮が嘘をついたこともわかっている。
 だけど、円香としては嬉しくて仕方がなかったことは確かだ。
 円香は未だに自分の手を握りしめている相宮を盗み見る。
 相変わらずキレイな顔立ちをしている。ずっと見ていたいと思うほど、相宮の容姿には魅せられる。
 チケットを買い終え、相宮に手を繋がれたままで新幹線ホームまでやってきた。
 二人がホームに着いてすぐ、最終列車が滑り込む。
 相宮に導かれるように、円香も新幹線に乗り込んだ。
 座席に座ったあとも、未だに相宮は円香の手を握りしめている。
 さすがは指フェチだ、そんなことを思っていると、相宮が円香をジッと見つめていることに気が付いた。
 小首を傾げている円香を見て、相宮はなぜかためらいがちに息をつく。
「木佐先生」
「は、はい!」
 円香が弾かれるように返事をすると、相宮は少しだけ不機嫌な声で言った。
「……私は怒っています」
「え……?」
 どうしてだろう。何か相宮を傷つけるようなことを言ってしまっただろうか。
 青ざめる円香を見て、相宮はハッと呆れたように声を上げた。
「木佐先生の新作装丁デザイナー、どうして私から他の人間に変わったのか。疑問には思わなかったんですか?」
「え?」
 円香は目を見開いた。相宮を見つめると、どこか非難めいた視線で円香を見つめている。
 その視線の鋭さに円香の身体はすくみ上がってしまった。
 もちろん疑問に思ったに決まっている。
 どうしてそんなことになってしまったのか。七原に聞こうと何度も思った。
 できれば、相宮に直接聞きたいとも思っていたのは事実だ。
 だけど、それはできなかった。
 相宮はあの日、円香と堂上のことを誤解して軽蔑したように思う。
 帰り際、冷たい視線で円香を見つめたあと、事務所を去って行ったのだから。
 そんなことがあれば、相宮が愛想を尽かしてA出版社に断りの連絡を入れたのだと円香が思ったとしても仕方がないだろう。
 円香は、とにかく怖かったのだ。
 相宮が円香の顔を二度と見たくないと思って仕事を断ってきたと聞いてしまったら立ち直れないと思ったから。
 だからこそ、相宮にはもちろん、七原にも本当のことを聞くことはできなかった。
 黙って俯く円香の頭上で、相宮の盛大なため息の音が聞こえる。
「私は、堂上さんから木佐先生が新作装丁は他のデザイナーでやりたいと言っていると聞いたんです」
「ご、誤解です! 私、そんなこと一言も」
 慌てて首を何度も横に振ると、相宮は感情が込められていない様子で言う。
「調べがついて主犯は堂上さんだとわかりましたから、木佐先生が断ったのではないことは理解しています。ただ……七原さんに聞いたら木佐先生は今回のデザイナー変更について問い合わせは一度もしてこないと」
「っ!」
 言葉をなくす円香は、ギュッと手に力を入れる。
 すると必然的に相宮の手を握りしめることになってしまう。
 そこで再び相宮と手を繋いだままだったと気が付いて慌てた。
 だが、相宮は円香の手を離すつもりはないようだ。
 ギュッとキツく、そして離れることは許さないとばかりに握りしめてくる。
 より相宮の体温を感じ、いたたまれなくなってしまう。
「貴女にとって、私という男はどんな存在なんでしょうか」
「どんなって……」
 唖然として円香が呟くと、相宮はスッと視線を逸らした。
 トンネルに入ったため、ガラスに映るのは真っ黒な世界だ。
 そこを見つめたまま、相宮は小さく何かを呟いた。
「私に心を開いてくれていないのでしょうね」
「え? 何か言いましたか」
 円香の耳には相宮の呟きは聞こえなかった。
 小首を捻る円香に、相宮は一回だけ首を横に振った。
「いえ、なんでもありません」
 それだけ言うと、相宮それ以上は口を開くことはなかった。
 その代わり、終着駅に着くまで相宮ずっと円香の指を優しく触れてきた。
 そのタッチは、今までと変わらない。
 だけど、どこか熱を持っているように感じたのは円香の気のせいだろうか。
 何度か声をかけたが、相宮は一言も口をきいてくれない。
 今回のことで、円香のことをすっかり呆れかえってしまったのだろうか。
 デザイナー変更のことについて、円香が抗議することもなかったことに気分を害してしまったのだろう。
 相宮が気分を害するのは仕方がないことだ。
 あれだけ一緒に仕事をしてきた仲だ。それも新作の装丁については、すでに何度も打ち合わせ済みだった。
 それなのに、編集部に抗議の連絡をしなければ、相宮と連絡を取ろうともしない。
 そんな円香に相宮は呆れかえってしまったのだろう。
 円香の本当の気持ちを言ったとしても、今の相宮は聞いてくれないように思う。
 言い訳がましいと眉を顰める可能性だってある。
 円香はただ、相宮の熱を指先から感じて涙が滲んできてしまった。
 だが、この涙は相宮に気付かれる訳にはいかない。
 円香はキュッと唇を噛みしめ、涙が零れ落ちるのを我慢するしかできなかった。
 それからはただ時間が経つのを待つだけだった。
 駅に着き、そこからはタクシーに乗り込む。その間もずっと相宮は円香の手を握りしめたまま。
 これはどういうことだと考えればいいのだろう。
 円香はとにかく困惑していた。
 相宮は怒っていると言っている。その理由は、デザイナー変更時にどうして円香が反論しなかったのか。そのことを怒っていると言っていた。
 相宮が失望するのも仕方がないことかもしれない。
 長年一緒にやってきたいわば相棒のような間柄なのに、簡単に縁を切るようなマネをした。相宮はそう思っていることだろう。
 だけど、なんと言って弁明すればいいいのだろうか。
 円香にしてみれば、相宮から縁を切ってきたのだと思っていた。
 だからこそ、相宮に連絡を取ることを躊躇したのだ。
 七原に聞けば良かったのかもしれないが、相宮から仕事をしないと言ってきたなんて聞いたら立ち直れなかっただろう。
 怖かったのだ。相宮が円香のことをどう思っているのか……
 そのことを知らない相宮からしてみたら、円香に切り捨てられたと思ってしまうのだろう。
 お互い勘違いとすれ違いにより、このような事態に陥ってしまったのだと思う。
 だけど、隣りに座る相宮からは話しかけないでくれという雰囲気を醸し出している。
 しかし、円香のマンションに着くと「では」と素っ気ない言葉だけを発して相宮はタクシーに乗り込んでしまった。
 相宮が乗ったタクシーが見えなくなるまで、円香はずっと見つめ続ける。
 左手に残る、相宮の熱を感じながら……



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