恋活!

橘柚葉

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1巻

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松沢茜まつざわあかねさん。アンタは今年中、災難が続くであろう」

 金曜日の夜。友人からの食事の誘いを断り、仕事を終わらせた私は占いのやかたをハシゴしていた。この水晶すいしょう占いの館で、すでに五軒目だ。そして今、先の四軒と同様に、最悪な占い結果を突きつけられている。
 室内は薄暗く、明かりはろうそく一本の光のみ。
 天井から幾重いくえにも垂れ下げられた真っ黒なサテン地のカーテンのせいで、怪しい雰囲気にちている。
 部屋の内装もさることながら、一番不気味なのは、この占いの館の主人であるおばば様だ。
 彼女は黒地のロングドレスを身にまとい、口元をベールで隠している。むき出しの目はギロリとしていて、見つめられるだけで、思わず後ずさりたくなってしまう。
 お婆様は、十分ほど前、恐る恐る入室した私に椅子に座れと言うと、仰々ぎょうぎょうしく水晶に手をかざして覗き込んだ。
 その姿勢のまま、鋭い視線を水晶に向けること数秒。お婆様は大きく息をつき、先程の最悪な未来を予言したのだ。
 今は十一月初旬。今年中ということは、あと二か月は災難が続く計算だ。
 そう思い、私ががっくりと項垂うなだれていると、お婆様は小馬鹿にするようにフンと鼻で笑った。
 ギリギリと歯ぎしりをしたいところだが、グッと我慢して頬をピクピクと引きらせるにとどめる。

「えっと……それは、本当のことでしょうか?」
「ああ、間違いない」

 何度も言わせるな、と言わんばかりの口調に、私の頬はますます痙攣けいれんした。
 こんなの嘘に決まっている。そう思いたいのだが、今の私は、そんなごまかしがきかない状況に置かれていた。


 松沢茜、二十九歳。
 短大卒業後、老舗しにせお菓子メーカーである株式会社オリーブ・ベリーに入社し、経理部に配属になってから……うん年経つ。
 身長は百六十七センチもあるので、女性にしては長身の方だろう。
 よくスレンダーだと評されるが、要するに凹凸おうとつがない身体ということだ。
 少しでも女らしく見せるために、黒い髪を背中の長さまで伸ばしているものの……その効果は、いかほどのものか。
 サバサバした気性と荒っぽい口調のせいで、同僚や後輩から姉御あねごと呼ばれ続けてきた私には、実は秘密の乙女趣味がある。それが占いだ。
 と言っても、自分でタロットカードや水晶すいしょうを使い占うわけではない。評判の占い師をハシゴしたり、占いの書籍を買って運勢をチェックしたりする程度だ。
 そんな私はこのところ、悩みを抱えている。
 あれは、今週の月曜日の朝。私は日課となっている占いのチェックのため、テレビの電源を入れ、情報番組にチャンネルを合わせた。
 いつもなら当たりさわりのない運勢が出るのだが、その日に限っては『当分いいことはなさそう。じっとこらえて』などと、やけに深刻なメッセージを告げられたのだ。朝一番から不吉な結果を聞き、身震いがした。
 嫌な予感を覚えて、通勤途中でファッション雑誌を購入し、掲載けいさいされている占いを見ると、『思いもよらぬ災難があなたをおそうかも。気をつけて』との警告。
 そのときは、占いなんて当たるも八卦はっけ当たらぬも八卦と言うじゃないかと、自分をなぐさめた。
 だが、それからというもの、不幸な出来事ばかりが続いているのである。
 まずは、この人だけは共に最後まで独身を謳歌おうかするであろうと思っていた親友のみなみ涼花すずかが、電撃結婚を決めたこと。
 最後のとりでだと思っていたのに裏切り者! と電話越しに叫んだのは、同じ月曜日の夜のことだった。私の友人はこれですべて既婚者きこんしゃとなり、私だけが独身という、なんともむなしい状況に追い込まれた。
 そして火曜日の朝。
 私はふんわりと揺れる、膝丈ひざたけのフレアースカートを穿き、ウキウキ気分で出社した。
 カツカツとヒールの音を立て、廊下を颯爽さっそうと歩くカッコいい女を気取っていたはずなのに……かばんを持ち直した拍子ひょうしにスカートが巻き込まれ、大きくめくれてしまったのだ。
 慌てて手で押さえたが、時すでに遅し。数秒は下着丸見え状態だっただろう。
 誰もいないことを祈って辺りを見回したところ、後ろに同期の梅田うめだが立っていた。
 梅田は私の顔を見るとプッとき出して、「朝からご馳走様ちそうさま、松沢」と慰めるでもなく去った。
 その瞬間、梅田に殺意を覚えたのは、無理のないことだと思う。
 さらに水曜日の就業中。
 後輩女子が切り忘れた売上伝票の件で、なぜか私が怒鳴られた。
 だが、後輩に仕事を教えたのは私だ。その彼女がミスをしたのなら、教育係の私が怒られるのは仕方がない。
 そう考えて、黙って怒られていた私だが、当の後輩は事情がわかっていなかったのか、自分の席で恐々こわごわと様子をうかがっていた。しかし途中で自分が原因だと理解したらしい。怒鳴り散らしていた上司に彼女が慌てて謝ると、上司は途端に猫なで声を出したのだ。
「いいんだよ、ミスは誰にでもあるからね」と言って、彼はスタスタと立ち去った。
 ちょっと待って、私に謝罪のひとつもないのか。そう叫びたくなったのは、言うまでもない。
 極めつけは木曜日の帰宅中。
 工事現場の近くを歩いていたら、突然空からペンキが落ちてきた。私の身体にはペンキがつかずに済んだが、お気に入りのワンピースにはベットリと赤いペンキがついてしまった。
 工事現場のおじちゃんたちが「クリーニングに出す」と言ってくれたけれど、汚れた範囲が広すぎて、まず元通りにはならないだろう。「なら、弁償する!」と言われたが、それは遠慮した。
 何せ友人の手作りワンピースで、ふたつとない代物しろもの。どこを探したって手に入るわけがないし、値段のつけようもないからだ。
 そして金曜日の今日。
 仕事をなんとか定時に終わらせ、私はこうして占い巡りをしている。
 当たると評判の大御所おおごしょから、聞いたことがない占い師まで、総勢四名に占ってもらったのだが、返ってくる言葉はすべて同じで『災難は回避できない』だった。 
 これが最後と決めて飛び込んだ水晶すいしょう占いでも、結果は先程の通り惨敗ざんぱい。がっくりと肩を落とす私の前で、おばば様は突然「ん?」と声を上げた。
 どうしたのかと様子をうかがっていると、お婆様は再び水晶を覗き込み始める。そして興味深そうに深くうなずいたあと、私に顔を向けた。

「……ひとつ聞くが」
「はい?」
「アンタ、男と長続きしないだろう?」
「っ!」

 なぜお婆様がそれを知っているんだ。驚愕きょうがくの表情を浮かべる私を、お婆様はフンと鼻で笑った。

「だろうと思ったよ。水晶にも、しっかりそう出ておる」
「……」

 水晶、恐るべし。私は何も映っていない水晶玉をジッと見つめた。
 お婆様が言う通り、私は男と長く関係が続いた試しがない。このちょっと雑な性格が災いして、いつの間にか女として見てもらえなくなってしまうのだ。
 学生の頃は友達付き合いの延長みたいな交際をしていた。けれど社会人になって以来、いい雰囲気にはなるが、付き合う前に「何かが違う」と言われて交際に発展しない。たとえ友達以上恋人未満の関係になっても、相手が男友達と一緒にいる感覚になるのか、そのまま友達に戻ってしまうのだ。
 そんな私でも二年前までは恋人がいたが、結局うまくいかず、破局を迎えたのだ。
 それからは恋をすることをあきらめてしまい、彼氏を作らなくなった。
 男枯れしている現実に危機を感じてはいるのだ。現に、友人たちの結婚報告にあせる気持ちもある。
 しかし、私がいくら焦っても、世の男性は『松沢茜』が女性であると認識してくれない。こうなるともう……仕方がないと思うしかないだろう。
 あとは、この世界のどこかに物好きがいることを祈るばかりだ。
 がっくりと項垂うなだれる私に、おばば様は怪しげな声で笑い出した。

「災難を回避するための秘策はある」
「ほ、本当ですか!」

 そんなものがあるなら早く言ってよ。人をこんなに落胆らくたんさせるとは、なんて人が悪いお婆様なんだ。
 嬉々ききとしてお婆様を見つめる私を見て、彼女は笑うのをやめ、大きくため息をついた。

「他のおじょうさんなら、こんなのすぐに解決できる。しかし、アンタじゃねぇ」
「どういうことですか、それ」

 カチンときて眉を寄せる私を見たあと、お婆様はもう一度水晶すいしょうに手をかざす。

「災難を回避したければ、男を作るんだね」
「男?」
「そう。必ず作ること。そうしないと……」
「そうしないと?」

 ゴクンと唾を呑み込む。ギュッと握り締めていたこぶしは、嫌な汗でベットリしていた。
 まえかがみになる私に、お婆様はニヤリと意味深に笑う。

「これ以上は言わないでおく」
「ど、どうしてですか!?」

 私が立ち上がって抗議すると、お婆様はシッシッと手で追い払う仕草しぐさをした。

「さぁ、お客さんがお帰りだよ」
「ちょ、ちょっと! 肝心かんじんな内容を聞けていないし……」
「ちょうど、占い時間が終わったからねえ」
「いや、ありえないでしょう! 気になることを言っておいて、これで終わり?」

 しかし私の叫びなど無視して、お婆様は部屋から出ようとする。止めようとしたが、すぐ近くにいた助手たちに羽交はがめにされてしまった。
 それに抵抗しながら、「教えてください!」と叫ぶけれど、お婆様はケケケッと不気味に笑うだけだ。

「あとは、アンタが持っている運にけるしかないだろうねぇ」
「運って!」
つかんだら離すんじゃないよ。名前のイニシャルがAの男だ。間違えないことだね」

 意味がわからない。しかしそれ以上、お婆様からの返答はなく、私は助手たちに館からまみ出された。
 私を外に追い出すと、助手の一人が閉店のプレートを扉にぶら下げ、内側からかぎをかけてしまった。
 ドンドンと扉を叩いても大声で叫んでも、何もアクションが返ってこない。

「肝心の男を作るためのアドバイスはないの? 男を作らないと私、どうなっちゃうの?」

 大きな占いの館を前に、私はただ途方とほうに暮れるのだった。


   * * * *


 ここは会社近くにある居酒屋『』。酒の種類も多く、そして何よりさかながおいしいと評判のお店だ。
 よく会社の同僚たちと仕事終わりに訪れているが、こうして会社がお休みである土曜日に来たのは初めてだった。
 いつもは、客の大半がスーツ姿のサラリーマン。だけど、今日はラフな格好をした人の方が多い。
 そんな『紗わ田』の、少し奥まった座敷ざしき席で、私は神妙しんみょうな顔をして頭を下げていた。

「頼む。一生のお願い。年内いっぱい、私の彼氏役をしてほしい」
「は……?」

 何を言われたか理解できなかったのか、目の前の男はぽかんとする。そして次の瞬間――彼は、勢いよくビールをき出した。

「本当にもう、汚いなぁ」

 私は、まだゲホゲホとむせている男を放置して、おきでテーブルを拭く。
「ダスターいりますか?」という店員の声に、大丈夫と手を振る。
 その間にやっと落ち着いた男――梅田は、真剣な顔をしてつぶやいた。

「お前、それ……本気で言っているのか?」
「本気だよ。じゃなければ、わざわざ休日に梅田をこんなところに呼び出さないって」
「だろうけど……マジかよ」

 ため息まじりに言ったあと、梅田は天井をあおいだまま動かない。
 梅田あきら、三十一歳。私と同期入社で、老舗しにせお菓子メーカー、株式会社オリーブ・ベリーの営業一課の課長様だ。
 同期といっても、私は短大卒業後に入社したから、大卒の梅田とは二つ歳が違う。だけど、敬語を使わず好きにさせてもらっている。
 同期の出世頭である梅田は、女子社員の人気が高い。
 さわやかな出で立ちで、仕事ができる優しい男。これだけ揃えば、向かうところ敵なし! と言いたいところだが、そんなことはなかったようだ。
 彼には、社内に片思いの女の子がいたといううわさがある。
 その想い人にアプローチもできないまま、彼女は社外の男とめでたく結婚したらしい。この件について本人に直接聞いたわけではないから、本当なのか嘘なのかはわからない。
 ただ、梅田ならどんな女でもなびくと思っていたため、噂を聞いたときはかなり驚いたものだ。

「お前なら、すぐ男ができるだろう?」
「できないし、女扱いされない」

 断言する私に、梅田は「ああ……」となぜか納得した表情で、再び天井を仰ぐ。
 それって何気にバカにしていませんかね、梅田くん。
 なんだかくやしくて、あおるようにビールを飲んでいると、梅田は私にチラリと視線を送ってきた。

「それにしても突然呼び出しておいて、あれはないだろう」
「そんなこと言ったって、梅田しか思いつかなかったの」

 言い切る私に、梅田は大きくフゥと息を吐き出した。
 同期の中でも梅田とは特に仲が良い。そのきっかけとなったのは、新入社員オリエンテーリングだ。
 オリーブ・ベリーでは、新入社員オリエンテーリングは必ず山登りと決まっている。忍耐力と団結力、そして達成感を味わうために実施じっしするらしい。
 その山登りの班分けで、私と梅田、そして数人のメンバーが一緒になった。
 しかし、私以外の班員はすべて大学卒業組で二つ年上。同じ新入社員とはいえ、どう接すればいいのか迷っていたときに声をかけてくれたのが、梅田だった。

「なんだ、もしかして俺より二つも年下なのか!? よし、それなら君に、俺の背中を押す係を任命する。おじさんは体力がないから、なんとしても俺を頂上まで連れて行ってくれたまえ」

 彼がそんな冗談を言うと、一気に場の雰囲気が明るくなり、私は班に溶け込むことができたのだ。
 実際には、私が梅田に引っ張ってもらって頂上にたどり着いたという少しだけ情けないエピソード付きだが、あの頃から彼は優しかった。
 そのオリエンテーリング以降、仕事帰りに同期たちと飲みに行くことが、ままある。
 特にこの二年間は、私も梅田も恋人がいなかったため、彼とは頻繁ひんぱんに顔を合わせていた。
 しかし、こうして会社がない日に彼と二人きりで飲むなんて、初めてのことだ。
 本当なら月曜日まで待って、今回の件を梅田に相談するのが一番良かったのかもしれない。だけど土曜、日曜を心おだやかに過ごす自信がなく、待てなかったのだ。
 もしグズグズしていたら、また新たな不運が起きるのではないかと思うと、いても立ってもいられなかった。
 月曜から今日まで、一日一回は何かしら良からぬことが起こってきた。認めたくはないが、占い師たちの言葉は当たっている。
 こうなったら、水晶すいしょう占いのおばば様が言っていた『災難を回避したければ、男を作るんだね』という言葉にすがるしかない。
 となれば、すぐさま彼氏を作るべきである。しかし、残念ながら適当な相手がいない。そもそも、そんな心当たりがいれば、とっくに男枯れの状況から抜け出していただろう。
 それでも諦めきれず、周りにシングルの人間はいないか考えたとき、まっ先に頭に浮かんだのは梅田だった。
 彼には今、彼女はいないはず。だから彼氏役を頼めるだろうと思いついた。
 それで休日の今日、この居酒屋『紗わ田』に有無を言わせず梅田を呼び出し、頼み込んだのだ。

「一体なんなんだよ、年内いっぱいの彼氏役って……」

 ようやく落ち着いてきた梅田が、眉根を寄せて問いかける。

「あ、彼氏というか、恋人活動って感じかな。略して恋活こいかつ! とにかく恋人のふりをしてほしい。徹底的てっていてきにさ」

 いわゆる世間一般でいう『恋活』は、恋愛活動の略語だ。恋愛をするために、恋人を作る活動をいうらしい。
 しかし、私の場合は違う。私にとっての『恋活』とは、恋人のように振る舞う活動をして、神様の目をごまかすこと。うん、我ながらいいネーミングだ。
 とはいえ、確かに突拍子とっぴょうしもない話だったかもしれない。今さらだが少し反省し、身体をちぢこまらせる。
 梅田はおしぼりで口元をくと、コホンと小さく咳払いをした。

「その前に、どうして松沢が男を作らなければならなくなったのか。理由を話せ」
端折はしょっていい?」
「ダメ。しっかりすみから隅まで話せ」

 仕方がない。梅田に力添ちからぞえしてもらわねば、自分の身があやういのだ。
 私は、この一週間の出来事と、占い師たちの言葉をすべて話した。
 最初は真剣に聞いていた梅田だったが、占い巡りをした日に話が及ぶと、おかしくて耐えられないといった様子でクスクスと笑い出した。

「なんだよ、そんな占いを気にしているのか?」
「だって、どこの占い師も同じことを言うんだよ? 怖くない? やばくない?」
「偶然だって、考えすぎ」

 カラカラと笑って枝豆に手を伸ばそうとする梅田の手を、ペチンと叩く。

「痛いなぁ。叩くことないだろう」
「痛くない、優しく叩いたし。そうじゃなくて。本当に助けてもらいたいの。真剣なのよ、こっちは」

 しっかり話を聞いてよ、と最後は泣き真似まねまでしてみたが、目の前の男は落ちなかった。
 私みたいな、イマイチいけていない女の泣き落としなんかに引っかかるような相手ではないようだ。
 口をとがらせてねる私に、梅田はニヤニヤと意地悪く笑った。

「確かに災難続きだよな。パンツまでさらけ出していたしな」
「うるさいよ、梅田。エッチ、スケベ」
「無理やり見せておいて、よく言うぜ」

 忘れたい過去を思い出させた上に笑うなど、男の風上にも置けない。
 みじめさと怒りに身体を震わせていると、店員が「お待たせいたしました」と声をかけ、注文した料理をテーブルに置いていく。
 怒り狂っていた私だが、食べ物を前にすると機嫌が直ってしまう。

「ほら、食え」

 梅田は湯気ゆげが立ちのぼる焼き鳥を一本まんで、私に差し出した。私はその串を受け取り、ほおばる。じわりと口の中に広がる肉汁にくじゅうと、タレとのハーモニーが絶妙だ。

「うまいだろう」
「うまいよ、うまいけどさ」

 モグモグと焼き鳥を食べる私に、梅田は優しく目を細めた。全く、笑顔の大安売りだわ。
 特に意味がない笑みだとわかっていても、至近距離でカッコいい男が自分に向かってほほ笑んでいるかと思うと、顔が熱くなる。
 私は恥ずかしさをごまかすように、無言で焼き鳥を味わい続けた。

「うまいもん食って、酒飲んで忘れろ。来週にはケロッとしているから」
「むー」

 梅田のその言葉にすがりたいし、そうであってほしい。だけど、本当に来週には平常運転になるのだろうか。
 私は眉間にしわを寄せて考え込み、ビールが入ったグラスをギュッと握り締める。
 すると梅田は、自分が持っていたグラスを、乾杯かんぱいするみたいに私のグラスに当てた。

「大丈夫、そんなの当たらないから」
「……うん」
「心配していると、余計に気になっちまうもんなんだよ。気にするな」
「うん、そうだよね」

 そうだよ、と笑って梅田は私のグラスにビールをいだ。シュワシュワと泡がはじける音を聞いていたら、本当に大丈夫な気がしてきた。
 私って結構単純で、おめでたいヤツなのかもしれない。

「今まで悪いことばっかり起きたんだし、もうこれ以上はないよね!」
「その意気だ。大丈夫だから。ほら、飲め松沢」

 梅田に大丈夫だと言われたら、それで解決した気になった。
 彼の言う通り、迷信だよ。占いなんて、そんなに当たるものじゃないしね。
 ただ、この五日間、不幸が続いただけ。来週になれば、やくが落ちて平穏へいおんな日々が来るはずだ。

「よーし、飲むぞぉ! 梅田も付き合え」
「もう付き合ってるって」

 苦笑するカッコいい男を眺めながら、私はビールを飲み干した。


   * * * *


「松沢は、今後、酒を飲まなくてもよろしい」
「なんでよ」
「ミネラルウォーターみたいに飲みやがって。金の無駄だ。これから松沢は水にしろ」
「酔わなくても、味を楽しめればいいのよ」

 二時間ほど酒の席を楽しんだあと、居酒屋『紗わ田』から出て、駅までの道のりを梅田と肩を並べて歩く。
 秋も深まり、少し冷たい風が頬をかすめる。酔っていないとはいえ、やっぱり身体は熱を持っているようで、大変気持ちいい。
 駅に続く大通りを行く間、梅田と他愛たわいのないことを話す。
 居心地がいい時間を過ごしていたら、ここ最近の不運なんて、すっかり忘れてしまった。
 梅田の言う通り、この五日間は、ただ運が悪かっただけだ。
 水晶すいしょう占いのおばば様の忠告は間違いだろう。そうに違いない。
 空を見上げると、私たちを照らしているまんまるお月様が目に入った。星もキラキラとまたたいて、とてもキレイだ。
 アルコールが入り、いい気分になって月を眺める私の横で、突然、梅田が叫ぶ。

「松沢、危ない!」

 その言葉に驚いて身体を強張こわばらせた私は、気がついたら梅田の腕の中にいた。
 どうしたのかと慌てていると、私の近くでガシャンと大きな音が響いた。
 梅田に抱かれたまま、音がした方向に視線を向けたところ、さっきまで私が歩いていた先に、工事現場の看板が落ちていた。
 目をこらして頭上を見れば、看板を吊るしてあったらしき鎖が切れて揺れている。どうやら、あそこから落ちてきたようだ。
 それを見て、ジワジワと恐怖が込み上げてくる。

「梅田……」

 私は、梅田のシャツをギュッと握り締めた。
 もし、あのまま呑気のんきに歩いていたら……私は、きっと、この看板に当たっていたはずだ。こんな固いものが頭にぶつかれば、大ケガをしたことだろう。
 頭上から「大丈夫ですか?」という、作業員の慌てた声が聞こえた。

「大丈夫です」

 梅田が私の代わりに答える。そんな光景をボンヤリと見つめながら、私は自分の身体をきつく抱き締めた。


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