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第二十六話
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今年もやってきた。市民総おどりの季節だ。
私も毎年同様に総おどりの練習会にやってきている。
連続何年参加していることやら。
毎度毎度の顔ぶれに、「また今年も貴女が来たのね」といった感じで受付の方や、着付けの先生たちに声をかけられている。
それはフジコも同様だったらしい。
「今年もフジコは総おどりに出ることになったんだね」
なんでも今年は新入社員に参加させようと支店長が言い出したらしいが、そこはフジコだ。
なんとか支店長を丸め込み、今年も彼女が総おどりに出ることになったらしい。
さすがはフジコ。出会いのためなら上司にも食ってかかるのだから。
「そうよ。言ったでしょう? 人の出会いは大切にしなきゃって。こういう人が集まるところに出ないわけにはいかないわ! いつどこでどんな出会いが待っているかわからないんだから」
意気揚々とはりきるフジコに相づちを打つと、彼女はニンマリと口角を上げて笑った。
「珠美は自らで体験したでしょう?」
「えっと……まぁ、うん」
フジコの言うとおり。私は昨年の総おどりの練習会で運命の出会いをしたのだ。
初めて出来た彼氏に罵声を浴びさせられ、こっぴどく振られた昔の私。
もう恋愛なんてしない、だけど胸のときめきは欲しい。そんな我が儘な私の気持ちを叶えてくれたのは『脳内妄想恋愛機』だった。
元彼と別れて三年。私は脳内で甘酸っぱくてドキドキする恋愛を妄想し続けていた。
リアルでの恋愛なんて二度としなくていい。妄想恋愛の方が切なくも、傷つくこともない。
こんな素晴らしい恋愛は他にない。そう思い込んでいたし、信じていた。尚先生に出会う前までは。
尚先生は私に妄想する時間を与えることなく、強引に私の心の内に入ってきた。
最初は戸惑った。そりゃあもう、戸惑ったなんてものじゃない。
でも次第に尚先生のペースに嵌まり、今では妄想恋愛ってどうやってするんだっけ? と悩むほどだ。
人間変われば変わるものらしい。
「ああ、ここにいたのか。木佐さん」
「澤田先生!」
にこやかに私に声をかけてきたのは、澤田税理士事務所所長であり、尚先生のお父様である澤田先生だった。
昨年はぎっくり腰のため、総おどりに参加できなかった澤田先生だが今年は参加できて嬉しそうだ。特にはりきっているのがわかる。
やる気満々の先生を見てクスクスと笑っていると、私を背後から抱きしめてくる人物が現れた。
「尚先生! 公衆の面前で止めてください」
慌てて窘めたが、彼は言うことを聞くつもりはないらしい。
私を背後から抱きしめたあと、澤田先生に注意しだした。
「親父。珠美さんはもう木佐じゃないんですから」
「おお!! そうだった。どうも長年のクセでね。悪かったね、珠美さん」
「い、いえ。私もクセが抜けなくて……どうしても澤田先生って呼んでしまうんですよね」
「そうだよ、珠美さん。貴女も澤田なんだからね」
「はい、スミマセン。お義父さん」
まだ慣れない呼び名にお義父さんと笑いあっていると、尚先生は面白くなさそうに私をキツく抱きしめた。
「親父。珠美さんは私の妻なんですから。義理の親子になったとはいえ、気安く近づかないでくださいね」
「お前なぁ……珠美さんに対して余裕がなさすぎないか? こんなに執着心やら独占欲が強いとは思っていなかったなぁ」
「……」
「珠美さん。尚はね、小さい頃からドライというか、淡泊というか。モノや人にあまり執着しないヤツだったんだよ。信じられるかい?」
肩を竦め、お義父さんは私に笑いかけてきた。そうすることにより、尚先生がより嫉妬することがわかっていたからこそわざとやったのだろう。
お義父さんの意図がわかっているからこそ、私は苦笑するしかない。
さんざん尚先生を煽ったあと、お義父さんはお仲間を見つけたようでそちらに行ってしまった。
尚先生はお義父さんがいなくなったことに安堵した様子で、腕の中から解放してくれた。
「珠美さん」
「はい、なんですか? 尚先生」
「……」
「尚先生?」
不服そうな顔をした尚先生は、腰を屈めて私の顔をジッと見つめている。
どうしたのかと首を傾げる私に、尚先生は面白くなさそうに口を曲げる。
「親父の呼び名は変えることができたのに、どうして私の呼び名は変わらないんでしょうね?」
「うっ……それはそのぉ。尚先生は尚先生だし」
「答えになっていませんね。結婚したんですから、そろそろ先生は取っていただきたいものですね」
ところ構わず恋人繋ぎをするのは出会った頃から変わらない。
大きな手のひらにキュッと繋がれると、ドキドキして苦しくなる。そういうことも出会ったときと変わらない。
私は、つい先日澤田尚さんと結婚をして名字が変わったのだ。
それを機に信用金庫を辞め、今は澤田税理士事務所の事務員として働いている。
「それにしても親父の希望は叶えられましたね」
「え?」
「ほら、去年の総おどりの翌日のこと。珠美さんは覚えていますか」
「……」
忘れたくても忘れられない。泥酔して澤田家にお泊まりさせていただいたときのことを尚先生は言っているのだ。
顔を引き攣らせる私に、尚先生は相変わらずキラッキラの笑顔を向けてくる。
「来年の総おどりはうちから出ればいいじゃないか、って言っていたでしょう」
「あ……」
確かにそんなことを言っていた。
春ヶ山信用金庫緑支店での勤務が長く、すでに後輩がたくさんいる身。
そろそろ後輩に商工会の行事参加を譲ろうかと思っていると話したら、お義父さんに言われたのだ。うちから出ればいいじゃないか、と。
「名案でしたよね。私はあのとき、次の総おどりは珠美さんに名字を変えてもらって一緒に出る気満々でした」
「そうなんですか?」
「ええ、そうなんですよ。そうじゃなきゃ、こんなに急ぎませんよ」
確かにここまでは怒濤の勢いだった。
尚先生と身も心も繋がったあの日から、それはもう尚先生の行動は速かった。
あっという間の一年だったが、濃密で幸せな一年でもあった。
「妄想恋愛、する暇なかったでしょう?」
「もう、尚先生ったら」
「ほら、間違っていますよ。珠美」
「っ!」
こういう時だけ呼び捨てにするのはズルイと思う。むくれる私の耳元で尚先生は囁いた。
「今後も妄想恋愛なんてしていられないほど愛しますからね」
ああ、もう。尚先生はいつも私の心をドキドキさせる。
こんな状態では妄想恋愛なんてしている暇なんてどこにもないじゃないか。するつもりも一切ないのだけど。
「とっくの昔に脳内妄想恋愛機は壊れちゃいましたよ、尚さん」
尚さんに壊されちゃいましたから、そう呟くと尚先生は満足そうに頷く。
私はギュッと尚先生の手を握りしめて幸せを再確認したのだった。
FIN
私も毎年同様に総おどりの練習会にやってきている。
連続何年参加していることやら。
毎度毎度の顔ぶれに、「また今年も貴女が来たのね」といった感じで受付の方や、着付けの先生たちに声をかけられている。
それはフジコも同様だったらしい。
「今年もフジコは総おどりに出ることになったんだね」
なんでも今年は新入社員に参加させようと支店長が言い出したらしいが、そこはフジコだ。
なんとか支店長を丸め込み、今年も彼女が総おどりに出ることになったらしい。
さすがはフジコ。出会いのためなら上司にも食ってかかるのだから。
「そうよ。言ったでしょう? 人の出会いは大切にしなきゃって。こういう人が集まるところに出ないわけにはいかないわ! いつどこでどんな出会いが待っているかわからないんだから」
意気揚々とはりきるフジコに相づちを打つと、彼女はニンマリと口角を上げて笑った。
「珠美は自らで体験したでしょう?」
「えっと……まぁ、うん」
フジコの言うとおり。私は昨年の総おどりの練習会で運命の出会いをしたのだ。
初めて出来た彼氏に罵声を浴びさせられ、こっぴどく振られた昔の私。
もう恋愛なんてしない、だけど胸のときめきは欲しい。そんな我が儘な私の気持ちを叶えてくれたのは『脳内妄想恋愛機』だった。
元彼と別れて三年。私は脳内で甘酸っぱくてドキドキする恋愛を妄想し続けていた。
リアルでの恋愛なんて二度としなくていい。妄想恋愛の方が切なくも、傷つくこともない。
こんな素晴らしい恋愛は他にない。そう思い込んでいたし、信じていた。尚先生に出会う前までは。
尚先生は私に妄想する時間を与えることなく、強引に私の心の内に入ってきた。
最初は戸惑った。そりゃあもう、戸惑ったなんてものじゃない。
でも次第に尚先生のペースに嵌まり、今では妄想恋愛ってどうやってするんだっけ? と悩むほどだ。
人間変われば変わるものらしい。
「ああ、ここにいたのか。木佐さん」
「澤田先生!」
にこやかに私に声をかけてきたのは、澤田税理士事務所所長であり、尚先生のお父様である澤田先生だった。
昨年はぎっくり腰のため、総おどりに参加できなかった澤田先生だが今年は参加できて嬉しそうだ。特にはりきっているのがわかる。
やる気満々の先生を見てクスクスと笑っていると、私を背後から抱きしめてくる人物が現れた。
「尚先生! 公衆の面前で止めてください」
慌てて窘めたが、彼は言うことを聞くつもりはないらしい。
私を背後から抱きしめたあと、澤田先生に注意しだした。
「親父。珠美さんはもう木佐じゃないんですから」
「おお!! そうだった。どうも長年のクセでね。悪かったね、珠美さん」
「い、いえ。私もクセが抜けなくて……どうしても澤田先生って呼んでしまうんですよね」
「そうだよ、珠美さん。貴女も澤田なんだからね」
「はい、スミマセン。お義父さん」
まだ慣れない呼び名にお義父さんと笑いあっていると、尚先生は面白くなさそうに私をキツく抱きしめた。
「親父。珠美さんは私の妻なんですから。義理の親子になったとはいえ、気安く近づかないでくださいね」
「お前なぁ……珠美さんに対して余裕がなさすぎないか? こんなに執着心やら独占欲が強いとは思っていなかったなぁ」
「……」
「珠美さん。尚はね、小さい頃からドライというか、淡泊というか。モノや人にあまり執着しないヤツだったんだよ。信じられるかい?」
肩を竦め、お義父さんは私に笑いかけてきた。そうすることにより、尚先生がより嫉妬することがわかっていたからこそわざとやったのだろう。
お義父さんの意図がわかっているからこそ、私は苦笑するしかない。
さんざん尚先生を煽ったあと、お義父さんはお仲間を見つけたようでそちらに行ってしまった。
尚先生はお義父さんがいなくなったことに安堵した様子で、腕の中から解放してくれた。
「珠美さん」
「はい、なんですか? 尚先生」
「……」
「尚先生?」
不服そうな顔をした尚先生は、腰を屈めて私の顔をジッと見つめている。
どうしたのかと首を傾げる私に、尚先生は面白くなさそうに口を曲げる。
「親父の呼び名は変えることができたのに、どうして私の呼び名は変わらないんでしょうね?」
「うっ……それはそのぉ。尚先生は尚先生だし」
「答えになっていませんね。結婚したんですから、そろそろ先生は取っていただきたいものですね」
ところ構わず恋人繋ぎをするのは出会った頃から変わらない。
大きな手のひらにキュッと繋がれると、ドキドキして苦しくなる。そういうことも出会ったときと変わらない。
私は、つい先日澤田尚さんと結婚をして名字が変わったのだ。
それを機に信用金庫を辞め、今は澤田税理士事務所の事務員として働いている。
「それにしても親父の希望は叶えられましたね」
「え?」
「ほら、去年の総おどりの翌日のこと。珠美さんは覚えていますか」
「……」
忘れたくても忘れられない。泥酔して澤田家にお泊まりさせていただいたときのことを尚先生は言っているのだ。
顔を引き攣らせる私に、尚先生は相変わらずキラッキラの笑顔を向けてくる。
「来年の総おどりはうちから出ればいいじゃないか、って言っていたでしょう」
「あ……」
確かにそんなことを言っていた。
春ヶ山信用金庫緑支店での勤務が長く、すでに後輩がたくさんいる身。
そろそろ後輩に商工会の行事参加を譲ろうかと思っていると話したら、お義父さんに言われたのだ。うちから出ればいいじゃないか、と。
「名案でしたよね。私はあのとき、次の総おどりは珠美さんに名字を変えてもらって一緒に出る気満々でした」
「そうなんですか?」
「ええ、そうなんですよ。そうじゃなきゃ、こんなに急ぎませんよ」
確かにここまでは怒濤の勢いだった。
尚先生と身も心も繋がったあの日から、それはもう尚先生の行動は速かった。
あっという間の一年だったが、濃密で幸せな一年でもあった。
「妄想恋愛、する暇なかったでしょう?」
「もう、尚先生ったら」
「ほら、間違っていますよ。珠美」
「っ!」
こういう時だけ呼び捨てにするのはズルイと思う。むくれる私の耳元で尚先生は囁いた。
「今後も妄想恋愛なんてしていられないほど愛しますからね」
ああ、もう。尚先生はいつも私の心をドキドキさせる。
こんな状態では妄想恋愛なんてしている暇なんてどこにもないじゃないか。するつもりも一切ないのだけど。
「とっくの昔に脳内妄想恋愛機は壊れちゃいましたよ、尚さん」
尚さんに壊されちゃいましたから、そう呟くと尚先生は満足そうに頷く。
私はギュッと尚先生の手を握りしめて幸せを再確認したのだった。
FIN
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