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第十話

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「フージーコー! これはどういうことなのかな?」
「ふふ、治っちゃった」
 そんなわけあるか! と怒鳴ったのに、フジコは相変わらずどこ吹く風状態だ。
 色々あった週末。なんとか気持ちを持ち直し、月曜日に仕事場にやってきた。
 そこで会ったのは、足の怪我なんてしていないフジコだった。
 怪我をして総おどりには出られないと言っていたのに、フジコの足が劇的に治ったという。
 こんなにすぐに治るわけがない。痛くて痛くて泣いちゃいそうだ、と土曜日に言っていたじゃないか。
 観念しなさい、とフジコを睨み付けると、両手を挙げ降参のポーズ。やっと本当のことをしゃべる気になったか。
 未だ睨み付けたままの私を見て、フジコは「悪かったわよ」と低姿勢で謝ってきた。
「で、どうして総おどりドタキャンしたの? いい男がいたからっていう理由だったらあんまり驚かないけど」
「驚きなさいよ! ってか、そんなことでドタキャンなんてしないし!」
 フジコはキレイな髪を束ね結い上げてから、コンビニで買ってきた冷やし中華を食べ始める。
 それを横目で見つつ、私はおにぎりに被りついた。モグモグと無言で食べていると、フジコはハァと大きくため息をつく。
「で、どうだった?」
「どうって? 総おどりなら無事に終了したよ?」
「そうじゃなくて……ほら、あの男。澤田税理士事務所の跡取り息子の尚先生」
「尚……先生?」
 まさかフジコの口から尚先生の名前が出ることは思わず、たじろいでしまう。
 今、私がフジコに聞いていたのは「どうして総おどりをドタキャンしたのか」ということだ。
 それなのにどうしてここで尚先生の名前が出てくるのだろう。
 そうでなくても、今の私にとって禁句となっている人物だ。
 土曜日の総おどり以降、私の脳内妄想恋愛機が作動してくれなくなったのも、すべてこの尚先生が原因だと思われる。
 総おどり前の尚先生、屋台見物をしたときの尚先生、そして昨日の朝の尚先生。
 彼のいろんな表情が頭の中を駆け巡り、妄想恋愛をする暇もない。
 それよりなにより、土曜の夜の出来事が気になって仕方がないのだ。
 御神酒を飲んだあと、私は尚先生に何をしでかしてしまったのか。
(もしかして襲いかかったとかないよね)
 脳内妄想恋愛機が誤作動を起こして、妄想だけでは止まらず、まさか実行に移してしまったなんてことは……。
 いやいや、大丈夫だ、たぶん。私の脳内妄想恋愛機はR15までしかできないはず。
 一線を越えちゃったりだとか、押し倒したりなどはしていないはず。多分……。
(してないよね……でも尚先生のあの不敵で意味深な表情を見る限り、私は絶対になにかやらかしたはずなんだよぉ)
 思わず叫びたくなるのを押さえ、フジコを見つめる。
 すると彼女はニッと口角を上げた。仕事中は控えめな口紅をしているフジコだが、それでもその形のキレイさには魅入ってしまう。
「ふーん、やっぱり私の読みは正しかったってことか」
「どういうことよ、フジコ。さっきから意味がわからないことばっかり」
 あれだけ“人の集まる行事”の大切さを語るフジコが嘘をついてまでドタキャンした理由がどうしても読めない。
 小首を傾げる私に対し、フジコはフフンと鼻で笑った。それもとっても楽しそうに。
 その笑みに恐れをなしていると、フジコは冷やし中華に入っていたトマトをポイッと口の中に放り込む。
「尚先生、珠美にちょっかい出してきたでしょ?」
「ど、ど、ど!」
 どうしてそれを、そう叫びたかったのだが、驚いて声がどもってしまう。
 口をパクパクさせる私に、フジコはフンと再び鼻を鳴らした。
「だって練習会のときの尚先生。この私がいるのに、ずっと珠美のことばかり目で追いかけていたでしょ」
「何気にフジコ、そのことにカチンと来てたの?」
 思いついたことをつい口にすると、フジコは口を尖らせた。
「そりゃさ、私としては男からの視線を集めるために努力をしているわけよ」
「うん、それはもう充分知ってる」
 深く頷く私を見て、フジコはハァーと深くため息をついた。
「だけどさ、人の好みは色々だし。私のことが趣味じゃないっていう人だって世の中にはいっぱいいる。だからすぐに私は頭を切り換えたのよ、あのとき」
 フジコが言っているのは練習会で初めて尚先生と対面したときのことだろう。
 深く頷く私に、フジコは困ったように天井を仰いだ。
「尚先生が珠美に対して色々聞いてきたこと、覚えている?」
「ああ、うん。緑支店に“タマ”がつく女性はいるかって聞いていたような……」
「そう。あの時点で、尚先生は珠美のことを探していたってことなのよ」
「あ……」
 そこで一つの仮説が頭に浮かぶ。たぶん、尚先生は翔くんから聞いていたのだと思う。
 翔くんや真奈美さんは私のことを“タマちゃん”と呼んでいる。
 だからこそ尚先生は知っていたのだ。春ヶ山信用金庫、緑支店に“タマちゃん”と呼ばれる人物がいるということを。
 ただ、タマちゃんがどんな女性なのか知らなかったのだろう。
 容姿は見たことがないが、話だけは聞いていたということなんじゃないだろうか。
 フジコにそのことを話すと、納得したように頷いた。
「じゃあ、やっぱり尚先生は前々から珠美を気にしていたということか」
「たぶん……甥っ子から聞いていた名前だったから、気にしていたんじゃないかな」
「で、実物に会い、尚先生は思ったわけだ」
「何を?」
 フジコは物知り顔で麺を啜ったあと、ニヤリと意味深に笑う。
「珠美さんは、やっぱり甥っ子たちが言っていたとおりの女性だ。いや、もうその上を行く。私の食指は彼女以外は動かない」
「……」
 フジコが必死に尚先生のマネをしながら言っているが、全然似ていない。
 呆気にとられながらもフジコの話に耳を傾ける。
「ポワンとした天然っぽいところも私の趣味。可愛い。手なずけてパクリと頭から齧りつきたい」
「……」
「珠美さんを我が手にしたら、私は押さえがきかないだろう」
 熱演を繰り広げるフジコに、私は小さく呟く。
「……フジコ、恋愛小説家になれるよ」
 お茶を飲みながら呆れてフジコに物申す私に、彼女は「アンタには負ける」と言い出した。
「え? どういうこと? そんなセリフがスラスラ出てくるのは場数を踏んでいるフジコならではでしょ?」
 本気でそう思っている私に、フジコはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「何を言ってるのよ、珠美」
「な、なによぉ」
「アンタには立派な妄想恋愛機がついているでしょ、その頭の中に」
「なっ!」
 言葉をなくす私に、フジコは不敵な笑みを浮かべた。
「今私が言った言葉なんかより、もっとスゴイこと妄想しちゃっているんでしょう?」
「ば、バカ言わないでよ、フジコ。私の妄想なんて可愛いもんだよ、食指とか頭から齧りつきたいなんてそんな恥ずかしいこと想像できないもん」
「できないもんって……アンタ、三年前には彼氏って呼ぶ人がいたんでしょ? 腹立つ男だったけど!」
「いたけど…… 」
 それならそんな何も知らない無垢さをアピールしたって、とカラカラ笑うフジコを見て私は黙り込むしかなかった。
 フジコの言うとおり。短い間とは言え、彼氏と呼ぶ人は一人だけいた。
 別れの最後に胸にささる言葉を言い放った人。
 だけど、実は……。
 俯く私を見て、フジコはどうやら私の様子がおかしいことに気が付いたようだ。
「どうしたのよ、珠美」
「うん……」
 言葉を濁し続ける私を見て、フジコも悟ったようだ。
「もしかして、珠美……」
「うん」
「あの男。自分に度胸がないから珠美に手を出せなかったってこと? 手を出したくても出せないチキンは珠美に先を越されたからって怒り心頭になって別れ話を持ち出したってわけね? ばかばかしい! そんな男のために珠美が恋愛に臆病になる必要はない!!」
 断言してあげるわ、と憤慨するフジコを見て、私は仄かに笑うしかできない。
 こうして何年も経てば、あのときの彼とは縁がなかったと思えるし、あの頃のように胸が痛くなることも少なくはなっている。
 だけど、彼に言われた言葉の衝撃はまだ胸の傷として残っているのだろう。
 だからこそリアル恋愛から遠ざかり、脳内妄想恋愛機で傷つかない一瞬の恋を味わっている。もうそれでいいと思う。
「ねぇ、フジコ」
「なによ」
「それで今の話とフジコのドタキャン。どこで繋がるの?」
 当初の疑問をフジコに投げかけると、フフッと楽しげに彼女は笑った。
「私がいなければ、尚先生は珠美に容易に近づけるわよね」
「そうかも」
 コクコクと頷く私に、フジコは続ける。
「あの男は厄介だって言ったこと覚えている?」
「覚えているよ、練習会のときにフジコはそう言って尚先生から離れたんだものね」
 最初はフジコに靡かない尚先生に怒って離れたのだと思っていたが、どうやら違うとフジコの様子を見て思ったのだ。
「で、総おどりのとき。尚先生は私がいないことを好都合と思って珠美に近づいた。違う?」
「……」
 フジコの言うとおりだ。尚先生はフジコがいないことを“好都合”と確かに言っていた。
 目を見開いて驚く私に、「すぐに予想がつくわよ、これぐらい」とフジコは鼻で笑う。
「あの男が珠美に近づけば……ねぇ、珠美。この数日、妄想恋愛する時間はあった?」
「……なかったかも」
「でしょうね。あの男が一人でいる珠美にちょっかいを出さないわけがないもの。獲物は絶対に捕まえる。そんな目をしていたしね。だから、あの男は厄介だと言ったのよ」
 珠美なんてひとたまりもないって言ったでしょ、とフジコは笑うが、未だにフジコが嘘をついてまでドタキャンをした意味がわからない。
 そうフジコにいうと、してやったりとキレイに笑った。
「珠美にはリハビリが必要だって言ったでしょ? 尚先生が荒療治の薬ってわけ」
「フジコ!!!」
 やっとフジコの意図が読めた。確かに数日前、恋愛に臆病になり妄想ばかりしてニヤニヤしている私に「リハビリが必要」だとフジコは明言していた。
 そのリハビリをするために、総おどりをドタキャンしたということなのだろう。
 ガックリと項垂れる私に、恋多きフジコは言い放った。
「いいこと、珠美。尚先生は確かに厄介な人物だとは思うけど、良い機会よ。恋愛を楽しんでみなさいよ」
「そんな無茶な……」
 弱音を吐く私を見て、フジコは高らかに笑ったのだった。
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