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第三話

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 スクエアの眼鏡のフレームをクイッとあげ、あの優しげな瞳でジッと私を見つめる尚先生。
「ほら、こっちにおいで」
 耳元で囁かれて、くすぐったいんだけど、とっても幸せ。
 私は尚先生の鍛えられた胸に縋り付く。そうすると、「甘えん坊だな」と心地よい低い声で囁きながら、大きな手のひらでゆっくりと私の頭を撫でてくれる。
 なんて妄想をしながら昼ご飯を食べているのだが、目の前のフジコは不審顔だ。
「珠美、ニヤニヤ笑って気持ち悪い」
「え!?」
「ご飯食べるか、妄想するか。どちらかにしなさいよ」
「っ!」
「妄想ばっかりしているから、現実の恋と疎遠になっちゃうのよ」
 大きくため息をつくフジコを見て、驚いて目を丸くした。
 なんだかフジコさん、私が色々妄想恋愛しているのに気が付いていらっしゃるのかしら。
 冷や汗が背中をツゥーと伝うのがわかる。
 恐怖に戦いている私を見て、フジコは鼻で笑ってあしらう。
「人間ウォッチングが趣味な私を嘗めないでよ。珠美の妄想なんて私にしてみたらダダ漏れよ」
「そ、そ、そんなに?」
 まさかそんなにダダ漏れだったなんて……ちょっとショックだ。妄想の中身は知られていないということだけが救いではあるけど。
 いや、フジコの様子を見る限り、内容もある程度は予想をしているかもしれない。
 フジコのことだ、もしかしたら私が淫らすぎる妄想をしているだなんて勘違いしていないだろうか。
 だからといってR18じゃないよ、R15までだからね。なんて言ったら墓穴を掘りそうなのでやめておくけど。
 戦く私に、フジコはテーブルに肘を着いて顎を乗せた。
「ねぇ、珠美。アンタが恋愛に躊躇しだしたのは、あの男のせいよね?」
「……フジコ」
 三年前。私は生まれて初めて男性とお付き合いをした。だが、ある出来事がきっかけで別れることになったのだ。
 そのある出来事という内容については、フジコに話していない。
 ただ、性格の不一致だとだけ伝えてある。フジコのことだから、その言葉の裏に潜んでいる本当の事実には薄々気が付いているかもしれないけど……
 食べる手を止めた私に対し、フジコは眉間に皺を寄せた。
「ねぇ、珠美。性格の不一致だったのなら、性格が合う人間を探せばいいのよ」
「フジコ」
「でも、珠美は次の恋愛を探そうともしない。それどころかますます及び腰になっていく。前に付き合っていた男、アンタの心に何を落としたというのよ」
「……」
 無言のまま俯く私に、フジコは「ああ!! もう!」と叫んで立ち上がった。 
 ビックリして目を白黒させる私を指さし、命令口調で言い放った。
「いいこと、珠美。妄想恋愛しているってことは、本物の恋愛に未練があるってことよ」
「未練……」
「そうよ、そうじゃなければ甘い妄想なんてしないものよ」
「えっと、甘い妄想とも限らないんじゃ……」
「あのだらけきった顔は、甘い妄想しているに決まっているじゃない」
 ピシャリと言われるとぐうの音もでない。反論したくてもできない状態の私に、フジコは断言した。
「恋愛に絶望していたら、妄想なんてそもそもしないわね」
「そ、そうなのかなぁ……」
 そうよ、と鼻息荒く宣言するフジコを戸惑いながら見つめると、彼女はフンと鼻で笑った。
「だってこの前、尚先生のことポッーと魅入っていたでしょ?」
 尚先生は本当に格好良かった。だが、現実はあの隣に並ぶ勇気など一ミリだってない。
 ああいう美形は鑑賞用だ。私の妄想恋愛の男性にピッタリである。
「それは……フジコだって同じだったでしょ?」
「それはそうだけど……」
「私やフジコみたいに、尚先生を見ていた人、たくさんいたよ?」
 私だけじゃない、と口調を強めた。
 誰だってあんなに素敵な男性を目の前にしたら、「彼女になりたいなぁ」などと思って、その後を想像しちゃうものじゃないだろうか。
 私の場合は初めから諦めているので付き合うという妄想まではいかないけど、やっぱり甘い妄想はしてしまうものだ。
 妄想したっていいじゃない、人畜無害だし。
 目の前のフジコに言えば、口元をヒクヒクと引き攣らせている。
 そんな彼女を見て、私はなけなしの意地を張る。
 私だって言わせていただきたい。
 確かに私は妄想が好きだ。変態だと言われても仕方がないかもしれない。
 いや、変態で結構だ! それで一日元気に過ごせるのなら安いモノ。
 妄想の中でなら私をさらけ出せるし、甘い夢を見ることができる。
 何より傷つくということが一切ない。こんな素敵な恋愛は実際はできないものだ。
 そう考えている時点で恋愛から逃げている。そう言われても仕方がないかもしれない。
 実際、私はフジコの言うとおり恋愛に逃げ腰だ。
 恋愛をしなくなってから三年。
 恋はしたい、彼氏が欲しい。そんなふうに思ってはいるけど、自分で本気でそう思っているのかわからない。
 恋をしたら、また辛くなる。気持ちをさらけ出したら、その恋は終わってしまうかもしれない。
 そう考えると恋をすることに二の足を踏んでしまう。
 いつもならさほどムキにならない私が興奮しているのを見て、フジコは「重傷かもしれない」と小さく呟いた。
 フジコは椅子に座り直して手を組んでテーブルの上に乗せたあと、フジコは口調を強める。
「珠美にはリハビリが必要と見た!」
「リ、リハビリ?」
 何を突然言い出した、フジコさん。
 驚いて口が開いたままの私に、彼女は再び鼻を鳴らす。
 絵を描いたようにニンマリと笑ったフジコは、それはもう……恐ろしいなんてものじゃない。
 フジコが何を考えているのか、さっぱりわからないが、とにかく今フジコを止めておかなければ大変なことになる。そんな予感がする。
 私はその場しのぎでフジコに嘘をつく。
「フジコ! えっと、その……うん、妄想恋愛は卒業するから」
「できるわけないでしょ!」
 ピシャリと言い切られてしまい、言葉を濁す。
 確かにできないかもしれない。妄想恋愛をするようになって早三年。
 かなりの年期が入っていることは間違いない。
 どんな場面でもイケメンを見れば、妄想に突入する自信がある。そう言ったら目の前のフジコはなんというだろう。
「現実を見なさい、珠美!」
 と両肩を掴まれてガクガクと揺すられるかもしれない。
 あはは、と笑って誤魔化す私に、フジコは大きく盛大にため息をつく。
「珠美には荒療治が必要かもしれない」
「荒療治って……」
 響きが恐ろしい。フジコさん、一体脳内でどんな計画を練っていらっしゃるのでしょうか。
 恐ろしくて内容は聞きたくないけど。
 戦々恐々としている私に、フジコは意味ありげにほほ笑んだ。
「珠美にアイツを近づけるのは危険だと判断したのだけど」
「アイツ……って誰?」
 首を傾げる私をチラリと見たが、フジコは私の問いには無視をして続けていく。
「あの男を珠美に近づけることによって、妄想恋愛などしている暇はなくなるかもしれない」
「えっと、あの……フジコ? 話が見えないんだけど」
 ますますフジコの笑みが深くなる。それもヤバイ意味で……
 フジコの暴走を止めなければ自分の身が危うくなる。慌ててフジコの考えをストップさせようとするのだが、彼女はもう決めたようだ。
 私に荒療治をする決意を――――
「食われないことだけを祈っている!」
「ちょ、ちょっと! フジコ!?」
 グッドラック、と意味ありげな笑みを浮かべ親指を上げるフジコ。
「結局どういうことなの? フジコ、一人で勝手に暴走しないで-!」
 青ざめる私に対し、フジコはその後何も語らず、「グッドラック」しか言わない。
 全然グッドラックじゃない。何が“幸運を祈る”だ。
 祈るって何? 荒療治って何よ!
 意味がわからず戸惑う私は、フジコの荒治療とやらに恐れをなした。
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