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1巻
1-2
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顔面蒼白でいると、美玖さんの鋭い眼光に射竦められた。
「とにかく。姉の心配ばかりしている弟くんを安心させてあげるのが先決だと思うよ」
「それは、そうなんですけど。私、男性とお付き合いするつもりが全くないんですよ」
「そのつもりがなくても男を作りなさい。そして付き合いなさい。努力は必要よ。その姿勢が弟くんを安心させることに繋がると思うから」
強引な美玖さんに、私は「そ、そんなぁ。むちゃくちゃです」と情けない声を上げた。
「もう、私に恋愛は無理です。貧乏クジを引くぐらいなら、しない方がマシじゃないですか。美玖さんだってそう思うでしょ? 合コンは結構です。会うだけ無駄ですよ」
こうなったらこちらだって引けない。
いつもは意見が分かれると美玖さんに負けてしまうが、この件に関してだけは譲ることはできない。
頑として考えを曲げない私を見て、美玖さんは思案顔をした。
何か企んでいるのかもしれない……嫌な予感がプンプンとする。
眉間に皺を寄せていると、美玖さんはフフフと怪しげに笑った。
「合コンに行かないって言うのなら、この前のコンサートチケットは誰かに回すから」
彼女の言うコンサートとは、総勢五十組近くのアーティストが一堂に会する、テレビ局主催のコンサートのこと。美玖さんが応募したら見事当選したのだ。
「遙が好きなバンド出るから一緒に行く?」と、つい先日誘ってもらっていた。
とても楽しみにしていたのに、今になってそれはない。
「私を連れて行ってくれるって言っていたじゃないですか!」
猛抗議する私を、美玖さんは冷たくあしらう。
「そんなこと言った覚えはないわ~」
「美玖さーん! 話が違いますよ」
「コンサートに行きたいなら、合コンに付き合って!」
「う……」
「私だって出会いがほしいもの。考えてみてちょうだい、遙。年齢で言えば私の方が上よね。私だって人生のパートナーを早く見つけなくちゃいけないの。遙より私の方が緊急度は高いわ」
「は、はぁ」
確かにその通りかもしれない。しかし、さっきまで私の恋の話をしていたのに、いきなり論点が変わった気が……美玖さんの言わんとしていることが見えず、訝しく思いつつも頷く。
そんな私に、彼女はニッと口角を上げた。
なんだか意味深な笑いである。
戦々恐々としている私を諭すように、美玖さんは語りかけてきた。
「いつもお世話になっている先輩が出会いがほしい、合コンがしたいと言っているのよ。それなら合コンするしかないでしょう? やるべきでしょう?」
「美玖さん、笑顔がめちゃくちゃ怖いです」
半べそ状態の私に、美玖さんは腕組みをして言い放つ。
「合コン、絶対に参加してもらうから」
「美玖さん!」
「参加しなかったら、コンサート連れて行かないわよ!」
半ば脅しである。
卑怯だ、横暴だと叫ぶ私に、美玖さんはニッコリとほほ笑んだ。
「何を言っているの、これは私からの愛よ!」
不敵な笑みを浮かべる寺島美玖に勝てる相手は、この世の中にいないと思う。
自分の負けを悟った私は、顔を引き攣らせたのだった。
2
美玖さんとの一方的なやりとりから一週間が経ち、今日は火曜日。昨日、今日と仕事がとても忙しく、週が始まったばかりだというのに、すでに疲労困憊だ。
帰宅した私が晩ご飯を食べ終え、お風呂に入ってベッドでゴロゴロしていると、スマホからピロロンと音がする。どうやらメールが届いたようだ。
ベッドから手を伸ばし、カバンの中に入れてあるスマホを取り出してチェックしてみる。メールは美玖さんからだった。
『明日の夜は暇?』とだけ書かれている。どういう意味だろう。
少し考えてから気付いた。この前、情報誌を見て「このパンケーキ食べに行きたいね」と話していたので、明日行こうというお誘いかもしれない。
俄然元気になった私は、『暇ですよ~』と打ち、すぐに返信する。
すると間髪容れずに新たにメールが届いた。私は、その件名を見て首を傾げる。
「どういうこと?」
件名には『明日の装いについて』と書かれている。メールを開いてすぐ、私は愕然とした。
『明日の夜、この前約束した合コンを開催いたします。約束だからね、絶対に参加してもらうわよ。当日の格好だけど、去年のバーゲンで買ったと言っていたオフホワイトのダッフルコート着用。インナーはコートの丈に合う可愛らしいワンピに、足元はブーツで。以上』
反論は受け付けないという強い意思を感じる内容だ。
「なんじゃ、そりゃぁぁぁ!」
枕に頭をボスンと沈ませた私は、先週の、美玖さんとのやりとりを思い出した。
そのときに「合コンをして、彼氏を作った方がいい」と言われたが、あれから何も言い出さないので、冗談だったのだろうと安心していたのに……
「冗談じゃなかったってこと!?」
電話をしようかと思ったけど夜も遅い。それならメールで抗議を、と考えたものの、送ったところで美玖さんが聞く耳を持たないことはわかっている。
すでに合コンのセッティングをしてしまった以上、参加しない訳にはいかないだろう。
もし私が参加しないと男女比が変わってしまう。そうしたら幹事である美玖さんに迷惑がかかるし、コンサートにも行けない。
私が絶対に不参加と言えないように、美玖さんは開催が決定したタイミングで合コンのことを伝えてきたのだ。
「やられた……」
こうなったらふて寝するしかない。身体も頭も疲れた。もう寝る。寝てやる。
そのまま布団を被って眠った私は、次の日の朝、結局美玖さんの言いつけ通りのファッションで出社した。コンサートのチケットのこともあるし、彼女を怒らせるとあとが恐ろしい。
更衣室に入ると、美玖さんがニコニコと笑って私を待っていた。
「さあ、今日は合コンよ。きちんと用意はしてきた? 遙」
「……」
朝から異様にテンションの高い彼女を見て、頬が引き攣る。
私がだんまりを決め込んでいるのに、美玖さんはとても楽しそうだ。
「私が指定した服、ちゃんと着てきたわね?」
「着てきましたよ。だって着てこないと美玖さん、怒鳴り込んできそうな勢いだったから」
ふてくされつつ言ったところ「よくできました」と頭を撫でられたが、何とも言えない気持ちになる。
やっぱりもう一度抵抗しよう。唇を尖らせていた私は口を開く。
「美玖さん。どうしても合コン行かなきゃダメですか? 男性とお付き合いするつもりなんてないのに合コンに行ったら失礼ですし、会うだけ無駄じゃないかと」
美玖さんは渋る私を見つめ、窘めるみたいに答える。
「行かなきゃダメよ。だって遙が行かなかったらメンツが減るでしょ? 皆に迷惑がかかるじゃない」
「そりゃ、そうですけど」
「ここは幹事である私の顔を立てると思って、ね?」
拝み倒されてもまだ渋る私に、美玖さんは顔を近づけてくる。それも真面目な表情なので怖い。
「今回の合コンは男女五人ずつなの。男性の一人として知り合いの医者が来るのよ」
「お医者様ですか」
「そう。仕事が忙しくてなかなか彼女を作れないらしく、家族にも心配されているのよね」
困った男だわ、と美玖さんは深々とため息をつく。
「彼のタイプは、元気いっぱいで自分を持っていて、変に媚びたりしない女の子なんだって。あんまり女の子女の子しているタイプは苦手みたい」
「は、はぁ……」
戸惑う私に、美玖さんは畳みかけるように言い募る。
「それで思い出したの。彼のタイプにどんぴしゃな女の子が私の知り合いにいるじゃないって」
「もしかして、それって」
嫌な予感を覚えて口ごもれば、美玖さんはフフンと得意げに笑う。
「そう、遙のことよ。絶対に彼と相性がいいと思うんだよね」
「……」
自信満々に言われても、答えづらい。
どうやら美玖さんは、その男性と私を引き合わせたくて合コンを開くことを決めたみたいだ。
訝しげにしていると、彼女は笑みを浮かべた。
「遙の好きな男性のタイプは、一緒にいて穏やかな気持ちになれる優しい人がいいんでしょ? 草食系っぽい感じの男性が好みなのよね?」
「はい。クールな人とはどう接したらいいのかわからないし、ガツガツしている人も苦手かも」
「あとは浮気性じゃなくて、金銭感覚がしっかりしている人がいいんだっけ」
「もちろん!」
過去の恋愛で痛い目に遭ったので、そこは押さえておきたいポイントである。
だけどやっぱり、恋愛すること自体に及び腰になってしまう。
渋っていると、美玖さんが苦笑した。
「とにかく彼はオススメ。合コンのときにチェックしてみなさいな」
「は、はぁ」
私は曖昧に頷き、美玖さんを見上げる。
「会ってみてご縁がなければ、別にお付き合いとかはしなくてもいいんですよね?」
「もちろんよ。そこまでは押し売りできないしね」
その言葉に、私はそれなら、と頷いたのだった。
就業時間が終わって帰り支度をしていると、上司に書類作成を頼まれてしまった。
会社を出られるのは、順調に終わったとしても七時過ぎだろう。
美玖さんに連絡をし、先に合コン会場に行ってもらうようにお願いしたあと、再びパソコンをつけて仕事に取りかかる。
頼まれた書類は、以前作ったことがある別の書類と似ていたので、思っていたよりもスムーズに終えられた。
けれど、やはり合コン開始時間までに店に入ることはできそうにもない。
それでもあまり待たせてはいけないと思い、身支度を調えて教えてもらっていたお店へ急ぐ。
「あ、ここだ」
店の前に立った私は看板を見て、美玖さんから聞いていた店名と同じことを確認する。
そして扉を開き、店の中を見回した。
洋風居酒屋らしいが、内装は古民家風だ。黒光りする天井の梁や柱、大きな囲炉裏が見える。
私たちと同様に合コンをしているグループもいるのか、盛り上がっている声が聞こえる。
キョロキョロしていると店員が声をかけてきて、すぐに部屋に案内してくれた。だが、そこで違和感を覚える。
美玖さんが今朝言っていた話だと、今日の合コンは男性五人、女性五人のはずだ。
それなのに予約してある個室はなぜか小さい。こんなところに大人十名も座ることができるのだろうか。
個室の外にある靴箱を見ても、美玖さんのハイヒールが一足と男性物の革靴が一足あるのみ。
腕時計を確認したところ、ただいま夜の七時過ぎ。合コンの開始時間はとうに過ぎている。
仕事で遅れた私が最後だと思っていたのに、他の人たちも遅れているの?
しかし、ほとんどの人が遅刻? そんなことって絶対にないと思う。
私は一度その部屋から離れ、店の外へ出た。
カバンを探ってスマホを取り出し、美玖さんの携帯に電話をかける。
『遙。仕事は終わったの?』
電話越しに耳をすましても、彼女の周りはとても静かだ。当初予定していた人数はいない様子だった。
やっぱり私の予想は間違ってはいなかったということだ。
私はスマホを持ち直しながら、美玖さんに話しかける。
「えっと、今、店の前にいるんですけど」
『それなら早く来なさいよ』
彼女はそう言って急かす。だが、予約していた個室に入る前に、色々と確認しておかなければならないことがありそうだ。
私は、懇願に近い形で電話口に叫んだ。
「とにかく、美玖さん。一度お店の外に出てきてください!」
それだけ言うと電話を切る。スマホをコートのポケットに突っ込んでウロウロと落ちつきなく店の前を歩いていると、やっと美玖さんが出てきた。
手を振ってこちらに向かってきた彼女の腕を掴み、店から少し離れた場所に連れて行く。
「一体、これはどういうことですか?」
「どういうこと、とは?」
しらばっくれる美玖さんに、私は眉を顰める。
「とぼけても無駄ですよ。合コンなんて嘘でしょう? さっき予約している個室の前に行ったら、美玖さんと男性一人以外は来ていなかったじゃないですか」
「あら、バレちゃったのね」
のんきに呟く美玖さんを見て、ガックリと肩を落とした。
とにかく説明をしてください、と頼むと彼女はばつの悪そうな表情を浮かべる。
「今、店内にいるのは私の従兄弟。親戚一同が心配するほど女っ気がないの、全くといっていいほど」
「はぁ……」
嫌な予感しかしないが、私は恐る恐る相づちを打つ。
「で、従兄弟の両親に頼まれていたのよ。誰かいい人を紹介してくれって」
「そ、それで?」
ここまできたら大体の予想はつく。だが、先を促した。
「この前、遙が愚痴ってきたでしょう? そのときに今回の企みを思いついたわけ」
「企みって!」
頭が痛くなってきた。壁に寄りかかる私を見て、美玖さんは屈託なく笑う。
「この際だから、恋に気後れしている面倒くさい人たちをまとめて片付けてしまおうと思ったのよ」
「あのですね、美玖さん!」
改めて抗議したのだが、全然聞き入れてくれない。
「ここまで来たんだし、とにかく会ってみてよ」
そう言った美玖さんは私の腕を掴むと、強引に店の中へ連れて行く。
そして予約していた個室の襖を開け、中にいる従兄弟に声をかけた。
一方で私は、襖の陰に立って入ることを渋る。
この部屋に入ったが最後、何かとんでもないことになるような予感がするのだ。
美玖さんが、私を心配して設けてくれた席だということはわかっている。
だけど、今は恋愛をする気は毛頭ない。
万が一、美玖さんの従兄弟が私のことを気に入ったりしたらややこしいことになってしまう。
なんとしてでも、今から会う男性に嫌われるようにしなくては。
私から断ったところで、美玖さんは再びこんな席を設けかねない。
それなら、今から会う美玖さんの従兄弟だという男性に断ってもらうのが一番いいと思う。
なので、彼に嫌われる努力をしよう。
グッと拳を握って気合を入れていると、美玖さんが声をかけてきた。
「ほら、遙。入っていらっしゃいよ」
「はい……」
ここまで来て顔を出さないのは、相手に失礼だろう。
そう考えて、渋々と男性が待つ個室へ足を踏み入れた。
すると、私たちを待っていた男性と目が合う。スクエア型の眼鏡をかけた男性は、おしぼりを手にして私をジッと見つめている。
彼は小首を傾げたあと、何か考えこみ始めてしまった。
だが、すぐに眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌そうに私から視線を逸らす。
柔らかそうな髪、整った顔、引き締まった身体。
パッと見ただけでもステキな男性だ。そんな彼の姿に、私は既視感を覚えた。
(あれ……? この人って……あっ!)
ビックリして叫びそうになったのをグッと堪える。それと同時に胸の鼓動がうるさくなった。
前に座る男性は、先日、忘年会で課長を助けてくれたお医者様だったからだ。
(まさか、美玖さんの従兄弟だったなんて)
世間は広いようで狭いものだ。改めてそれを実感する。
しかし、今の彼は課長を助けてくれた日の彼とは少し様子が違う。
以前の彼はもっと柔らかい雰囲気で、笑顔もとても優しげだった。人懐っこくてほんわかしていたから小児科の先生かなぁと思ったほどだ。
しかし、今の彼にその優しげな雰囲気はなく、どこか不機嫌そうに見える。
「こんばんは」
挨拶をしないのも大人としてどうかと思い、頭を下げる。
だが、彼はそっぽを向いて「どうも」と言うだけ。冷たい態度にちょっと幻滅してしまう。
とはいえ、これは私にとっては好都合だ。
目の前の男性がどれほどステキな人だとしても、私は男性とお付き合いする気は毛頭ない。
それも私にとっての鬼門、眼鏡男子ときたもんだ。これはもう問答無用で恋愛対象外である。
私は、とにかく彼に嫌われたい一心でこの場にやってきた。
そして彼も、どうやらこの場所にいたくないらしく機嫌がとても悪い。
この調子なら、あちらから断ってくれそうだ。
だけど、念には念を。彼に嫌われる努力をしておかなければ。
美玖さん曰く、『彼のタイプは、元気いっぱいで自分を持っていて、変に媚びたりしない女の子』だとか。さらに、あんまり女の子女の子していない方がいいらしい。
それなら、その真逆を演じてしまえばいい。
優柔不断でなよなよしていて、媚びを売りまくりの女を前面に出したキャラになれば、彼は私と付き合いたいなどと血迷っても言い出さないだろう。
(よし、この戦法に決めた!)
演技力など皆無の私がどこまでできるかわからないが、やるしかない。
「遅くなってごめんなさーい。お待たせしちゃいましたよね?」
媚びるように甘えた声で謝ると、彼は私をちらりと見てすぐに視線を逸らした。
「かなり待った。さっさとメシ食って帰りたい」
美玖さんの従兄弟である彼はそっぽを向いたまま、ぼそりと呟く。
よしよし、なかなかにいい調子だ。
不穏な空気が漂う中、私は内心ほくそ笑む。
店員を呼び、私は美玖さんとお医者様の彼にメニューを見せながら甘ったるい声を出す。
「何にしようかなぁ~。酎ハイだけでもこんなに種類があるんですよぉ。迷っちゃいますぅ」
美玖さんは一瞬ぎょっとしたけれど、すぐに私の意図に気付いたらしく、呆れ顔だ。
二人は頼むものを決めたのに、私はまだ決めかねているというポーズをとった。
美玖さんたちと同じものにしようと決めているけど、敢えてそこは優柔不断な女を演じる。
「えーっと、オレンジとグレープフルーツ。どちらがいいと思います? 私、決められなぁい」
わざと彼に聞いてみたが、「別にどっちでもいいんじゃない?」と投げやりだ。
私はそれでも懲りずに、科を作る。
「でもぉ、お二人がビールなら私も同じものにしちゃおうっと」
私は舌っ足らずの口調で瓶ビールを注文する。
少々お待ちください、という店員の声を聞き、こっそりとほほ笑む。
よしよし、作戦成功だ。この調子で徹底的に嫌われようじゃないか。
もっと優柔不断で、一人じゃ何もできない女子を演じなければ。
ついでに媚びを売りまくる女にならなくちゃ!
だけど、意外に疲れるな、これ。
内心冷や汗をかきまくっていると、店員はすぐさま注文の品を運んできた。
ありがとぉうございまっすぅ、と笑顔で言ったが、明らかにイントネーションが怪しくなったし、舌を噛んでしまった。
これは思ったより大変なことになりそうだ。背中に冷や汗がツゥーと流れたのがわかる。
それでも気持ちを切り替え、グラスを二人の前に配ろうと手を伸ばす。
だが、私より先に美玖さんの従兄弟である彼がグラスを手にし、こちらに差し出してきた。
彼は何故か、あの日と同じ爽やかな笑みを浮かべている。
そんな彼に、私は「あれ?」と不思議に思って目を丸くした。
ギスギスした雰囲気だったのに、いつの間にか友好的な視線を向けられている。
先ほどまでの不機嫌さはどこに行ってしまったのか。
戸惑う私に、彼はにこやかにほほ笑む。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございますぅ」
一体どういうことだろうか。
差し出されたグラスを受け取った私は、そこにビールを注ぐ彼を注意深く見つめる。
すると、彼はハッと目を見開いた。そして慌てて「別に……」と横柄な態度に変わる。あまりのギャップに目を見張ってしまう。
私の探るような視線に気が付いているのだろう。彼は、ごまかすみたいにビールを飲んでいる。
私が見つめ続けていると、焦りを感じているのか、挙動不審になってきた。
空になったグラスをテーブルに置こうとして転がしてしまい、焦っている。そうかと思えば、何度も眼鏡に触れてクイッと押し上げる。
とにかく落ち着きがない。見ていて滑稽なほどだ。
私が見守る中、明らかに目が泳いでいる彼は、二杯目のビールを飲み干した。
「早く帰りたいんだけど」
グラスを置きながらそう冷たく言い放ったくせに、ジャケットを脱いで寛いでみせたあと、慌てて着直す。
もしかして、彼も自分を偽っている……?
突如として態度が変わったのを見て、確信に近いものを感じた。
年末の姿が本当の彼で、今の彼はわざと横柄に振る舞っているのかもしれない。
理由はきっと私と同じ。彼も誰かと付き合いたいとは思っていないのだろう。
チラリと美玖さんを見ると、呆れ顔でビールを飲んでいる。やっぱり気が付いているらしい。
美玖さんに咎められないよう、サッと視線を逸らす。
二人して偽りの姿でやりとりをしていれば、素の姿を知っている彼女が違和感を覚えるのは当然のことだ。
やがて、美玖さんはグラスをテーブルに置き、口を開く。
「ちょっと二人とも。いいかげんにしなさいよ!」
美玖さんがついにキレた。
怒りつつも半ば諦めた様子の彼女は、大きなため息を零したあとで改めて彼を紹介してくれた。
「遙。こちら私の従兄弟の黒瀬新くん、三十五歳。遙より八つ年上よ。ほら、春ヶ山駅の近くに黒瀬医院ってあるでしょ? 昨年祖父が引退したから新くんが院長をしているの。仕事にかまけすぎて未だ独身。そして何年も彼女なし」
美玖さんが彼――黒瀬先生の紹介をしている間、彼は黙ってビールを飲み続けている。
それを歯がゆく思っているのか、美玖さんの眉間に深い皺が刻まれた。
「で、あまりに女性に興味がなさすぎて将来が心配だと親戚たちが言い出してね。私に誰かいい人を紹介できないか打診が来たというわけ」
今まで静かにビールを飲んでいた先生だったが、グラスをテーブルに置くと美玖さんを睨みつけた。
「とにかく。姉の心配ばかりしている弟くんを安心させてあげるのが先決だと思うよ」
「それは、そうなんですけど。私、男性とお付き合いするつもりが全くないんですよ」
「そのつもりがなくても男を作りなさい。そして付き合いなさい。努力は必要よ。その姿勢が弟くんを安心させることに繋がると思うから」
強引な美玖さんに、私は「そ、そんなぁ。むちゃくちゃです」と情けない声を上げた。
「もう、私に恋愛は無理です。貧乏クジを引くぐらいなら、しない方がマシじゃないですか。美玖さんだってそう思うでしょ? 合コンは結構です。会うだけ無駄ですよ」
こうなったらこちらだって引けない。
いつもは意見が分かれると美玖さんに負けてしまうが、この件に関してだけは譲ることはできない。
頑として考えを曲げない私を見て、美玖さんは思案顔をした。
何か企んでいるのかもしれない……嫌な予感がプンプンとする。
眉間に皺を寄せていると、美玖さんはフフフと怪しげに笑った。
「合コンに行かないって言うのなら、この前のコンサートチケットは誰かに回すから」
彼女の言うコンサートとは、総勢五十組近くのアーティストが一堂に会する、テレビ局主催のコンサートのこと。美玖さんが応募したら見事当選したのだ。
「遙が好きなバンド出るから一緒に行く?」と、つい先日誘ってもらっていた。
とても楽しみにしていたのに、今になってそれはない。
「私を連れて行ってくれるって言っていたじゃないですか!」
猛抗議する私を、美玖さんは冷たくあしらう。
「そんなこと言った覚えはないわ~」
「美玖さーん! 話が違いますよ」
「コンサートに行きたいなら、合コンに付き合って!」
「う……」
「私だって出会いがほしいもの。考えてみてちょうだい、遙。年齢で言えば私の方が上よね。私だって人生のパートナーを早く見つけなくちゃいけないの。遙より私の方が緊急度は高いわ」
「は、はぁ」
確かにその通りかもしれない。しかし、さっきまで私の恋の話をしていたのに、いきなり論点が変わった気が……美玖さんの言わんとしていることが見えず、訝しく思いつつも頷く。
そんな私に、彼女はニッと口角を上げた。
なんだか意味深な笑いである。
戦々恐々としている私を諭すように、美玖さんは語りかけてきた。
「いつもお世話になっている先輩が出会いがほしい、合コンがしたいと言っているのよ。それなら合コンするしかないでしょう? やるべきでしょう?」
「美玖さん、笑顔がめちゃくちゃ怖いです」
半べそ状態の私に、美玖さんは腕組みをして言い放つ。
「合コン、絶対に参加してもらうから」
「美玖さん!」
「参加しなかったら、コンサート連れて行かないわよ!」
半ば脅しである。
卑怯だ、横暴だと叫ぶ私に、美玖さんはニッコリとほほ笑んだ。
「何を言っているの、これは私からの愛よ!」
不敵な笑みを浮かべる寺島美玖に勝てる相手は、この世の中にいないと思う。
自分の負けを悟った私は、顔を引き攣らせたのだった。
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美玖さんとの一方的なやりとりから一週間が経ち、今日は火曜日。昨日、今日と仕事がとても忙しく、週が始まったばかりだというのに、すでに疲労困憊だ。
帰宅した私が晩ご飯を食べ終え、お風呂に入ってベッドでゴロゴロしていると、スマホからピロロンと音がする。どうやらメールが届いたようだ。
ベッドから手を伸ばし、カバンの中に入れてあるスマホを取り出してチェックしてみる。メールは美玖さんからだった。
『明日の夜は暇?』とだけ書かれている。どういう意味だろう。
少し考えてから気付いた。この前、情報誌を見て「このパンケーキ食べに行きたいね」と話していたので、明日行こうというお誘いかもしれない。
俄然元気になった私は、『暇ですよ~』と打ち、すぐに返信する。
すると間髪容れずに新たにメールが届いた。私は、その件名を見て首を傾げる。
「どういうこと?」
件名には『明日の装いについて』と書かれている。メールを開いてすぐ、私は愕然とした。
『明日の夜、この前約束した合コンを開催いたします。約束だからね、絶対に参加してもらうわよ。当日の格好だけど、去年のバーゲンで買ったと言っていたオフホワイトのダッフルコート着用。インナーはコートの丈に合う可愛らしいワンピに、足元はブーツで。以上』
反論は受け付けないという強い意思を感じる内容だ。
「なんじゃ、そりゃぁぁぁ!」
枕に頭をボスンと沈ませた私は、先週の、美玖さんとのやりとりを思い出した。
そのときに「合コンをして、彼氏を作った方がいい」と言われたが、あれから何も言い出さないので、冗談だったのだろうと安心していたのに……
「冗談じゃなかったってこと!?」
電話をしようかと思ったけど夜も遅い。それならメールで抗議を、と考えたものの、送ったところで美玖さんが聞く耳を持たないことはわかっている。
すでに合コンのセッティングをしてしまった以上、参加しない訳にはいかないだろう。
もし私が参加しないと男女比が変わってしまう。そうしたら幹事である美玖さんに迷惑がかかるし、コンサートにも行けない。
私が絶対に不参加と言えないように、美玖さんは開催が決定したタイミングで合コンのことを伝えてきたのだ。
「やられた……」
こうなったらふて寝するしかない。身体も頭も疲れた。もう寝る。寝てやる。
そのまま布団を被って眠った私は、次の日の朝、結局美玖さんの言いつけ通りのファッションで出社した。コンサートのチケットのこともあるし、彼女を怒らせるとあとが恐ろしい。
更衣室に入ると、美玖さんがニコニコと笑って私を待っていた。
「さあ、今日は合コンよ。きちんと用意はしてきた? 遙」
「……」
朝から異様にテンションの高い彼女を見て、頬が引き攣る。
私がだんまりを決め込んでいるのに、美玖さんはとても楽しそうだ。
「私が指定した服、ちゃんと着てきたわね?」
「着てきましたよ。だって着てこないと美玖さん、怒鳴り込んできそうな勢いだったから」
ふてくされつつ言ったところ「よくできました」と頭を撫でられたが、何とも言えない気持ちになる。
やっぱりもう一度抵抗しよう。唇を尖らせていた私は口を開く。
「美玖さん。どうしても合コン行かなきゃダメですか? 男性とお付き合いするつもりなんてないのに合コンに行ったら失礼ですし、会うだけ無駄じゃないかと」
美玖さんは渋る私を見つめ、窘めるみたいに答える。
「行かなきゃダメよ。だって遙が行かなかったらメンツが減るでしょ? 皆に迷惑がかかるじゃない」
「そりゃ、そうですけど」
「ここは幹事である私の顔を立てると思って、ね?」
拝み倒されてもまだ渋る私に、美玖さんは顔を近づけてくる。それも真面目な表情なので怖い。
「今回の合コンは男女五人ずつなの。男性の一人として知り合いの医者が来るのよ」
「お医者様ですか」
「そう。仕事が忙しくてなかなか彼女を作れないらしく、家族にも心配されているのよね」
困った男だわ、と美玖さんは深々とため息をつく。
「彼のタイプは、元気いっぱいで自分を持っていて、変に媚びたりしない女の子なんだって。あんまり女の子女の子しているタイプは苦手みたい」
「は、はぁ……」
戸惑う私に、美玖さんは畳みかけるように言い募る。
「それで思い出したの。彼のタイプにどんぴしゃな女の子が私の知り合いにいるじゃないって」
「もしかして、それって」
嫌な予感を覚えて口ごもれば、美玖さんはフフンと得意げに笑う。
「そう、遙のことよ。絶対に彼と相性がいいと思うんだよね」
「……」
自信満々に言われても、答えづらい。
どうやら美玖さんは、その男性と私を引き合わせたくて合コンを開くことを決めたみたいだ。
訝しげにしていると、彼女は笑みを浮かべた。
「遙の好きな男性のタイプは、一緒にいて穏やかな気持ちになれる優しい人がいいんでしょ? 草食系っぽい感じの男性が好みなのよね?」
「はい。クールな人とはどう接したらいいのかわからないし、ガツガツしている人も苦手かも」
「あとは浮気性じゃなくて、金銭感覚がしっかりしている人がいいんだっけ」
「もちろん!」
過去の恋愛で痛い目に遭ったので、そこは押さえておきたいポイントである。
だけどやっぱり、恋愛すること自体に及び腰になってしまう。
渋っていると、美玖さんが苦笑した。
「とにかく彼はオススメ。合コンのときにチェックしてみなさいな」
「は、はぁ」
私は曖昧に頷き、美玖さんを見上げる。
「会ってみてご縁がなければ、別にお付き合いとかはしなくてもいいんですよね?」
「もちろんよ。そこまでは押し売りできないしね」
その言葉に、私はそれなら、と頷いたのだった。
就業時間が終わって帰り支度をしていると、上司に書類作成を頼まれてしまった。
会社を出られるのは、順調に終わったとしても七時過ぎだろう。
美玖さんに連絡をし、先に合コン会場に行ってもらうようにお願いしたあと、再びパソコンをつけて仕事に取りかかる。
頼まれた書類は、以前作ったことがある別の書類と似ていたので、思っていたよりもスムーズに終えられた。
けれど、やはり合コン開始時間までに店に入ることはできそうにもない。
それでもあまり待たせてはいけないと思い、身支度を調えて教えてもらっていたお店へ急ぐ。
「あ、ここだ」
店の前に立った私は看板を見て、美玖さんから聞いていた店名と同じことを確認する。
そして扉を開き、店の中を見回した。
洋風居酒屋らしいが、内装は古民家風だ。黒光りする天井の梁や柱、大きな囲炉裏が見える。
私たちと同様に合コンをしているグループもいるのか、盛り上がっている声が聞こえる。
キョロキョロしていると店員が声をかけてきて、すぐに部屋に案内してくれた。だが、そこで違和感を覚える。
美玖さんが今朝言っていた話だと、今日の合コンは男性五人、女性五人のはずだ。
それなのに予約してある個室はなぜか小さい。こんなところに大人十名も座ることができるのだろうか。
個室の外にある靴箱を見ても、美玖さんのハイヒールが一足と男性物の革靴が一足あるのみ。
腕時計を確認したところ、ただいま夜の七時過ぎ。合コンの開始時間はとうに過ぎている。
仕事で遅れた私が最後だと思っていたのに、他の人たちも遅れているの?
しかし、ほとんどの人が遅刻? そんなことって絶対にないと思う。
私は一度その部屋から離れ、店の外へ出た。
カバンを探ってスマホを取り出し、美玖さんの携帯に電話をかける。
『遙。仕事は終わったの?』
電話越しに耳をすましても、彼女の周りはとても静かだ。当初予定していた人数はいない様子だった。
やっぱり私の予想は間違ってはいなかったということだ。
私はスマホを持ち直しながら、美玖さんに話しかける。
「えっと、今、店の前にいるんですけど」
『それなら早く来なさいよ』
彼女はそう言って急かす。だが、予約していた個室に入る前に、色々と確認しておかなければならないことがありそうだ。
私は、懇願に近い形で電話口に叫んだ。
「とにかく、美玖さん。一度お店の外に出てきてください!」
それだけ言うと電話を切る。スマホをコートのポケットに突っ込んでウロウロと落ちつきなく店の前を歩いていると、やっと美玖さんが出てきた。
手を振ってこちらに向かってきた彼女の腕を掴み、店から少し離れた場所に連れて行く。
「一体、これはどういうことですか?」
「どういうこと、とは?」
しらばっくれる美玖さんに、私は眉を顰める。
「とぼけても無駄ですよ。合コンなんて嘘でしょう? さっき予約している個室の前に行ったら、美玖さんと男性一人以外は来ていなかったじゃないですか」
「あら、バレちゃったのね」
のんきに呟く美玖さんを見て、ガックリと肩を落とした。
とにかく説明をしてください、と頼むと彼女はばつの悪そうな表情を浮かべる。
「今、店内にいるのは私の従兄弟。親戚一同が心配するほど女っ気がないの、全くといっていいほど」
「はぁ……」
嫌な予感しかしないが、私は恐る恐る相づちを打つ。
「で、従兄弟の両親に頼まれていたのよ。誰かいい人を紹介してくれって」
「そ、それで?」
ここまできたら大体の予想はつく。だが、先を促した。
「この前、遙が愚痴ってきたでしょう? そのときに今回の企みを思いついたわけ」
「企みって!」
頭が痛くなってきた。壁に寄りかかる私を見て、美玖さんは屈託なく笑う。
「この際だから、恋に気後れしている面倒くさい人たちをまとめて片付けてしまおうと思ったのよ」
「あのですね、美玖さん!」
改めて抗議したのだが、全然聞き入れてくれない。
「ここまで来たんだし、とにかく会ってみてよ」
そう言った美玖さんは私の腕を掴むと、強引に店の中へ連れて行く。
そして予約していた個室の襖を開け、中にいる従兄弟に声をかけた。
一方で私は、襖の陰に立って入ることを渋る。
この部屋に入ったが最後、何かとんでもないことになるような予感がするのだ。
美玖さんが、私を心配して設けてくれた席だということはわかっている。
だけど、今は恋愛をする気は毛頭ない。
万が一、美玖さんの従兄弟が私のことを気に入ったりしたらややこしいことになってしまう。
なんとしてでも、今から会う男性に嫌われるようにしなくては。
私から断ったところで、美玖さんは再びこんな席を設けかねない。
それなら、今から会う美玖さんの従兄弟だという男性に断ってもらうのが一番いいと思う。
なので、彼に嫌われる努力をしよう。
グッと拳を握って気合を入れていると、美玖さんが声をかけてきた。
「ほら、遙。入っていらっしゃいよ」
「はい……」
ここまで来て顔を出さないのは、相手に失礼だろう。
そう考えて、渋々と男性が待つ個室へ足を踏み入れた。
すると、私たちを待っていた男性と目が合う。スクエア型の眼鏡をかけた男性は、おしぼりを手にして私をジッと見つめている。
彼は小首を傾げたあと、何か考えこみ始めてしまった。
だが、すぐに眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌そうに私から視線を逸らす。
柔らかそうな髪、整った顔、引き締まった身体。
パッと見ただけでもステキな男性だ。そんな彼の姿に、私は既視感を覚えた。
(あれ……? この人って……あっ!)
ビックリして叫びそうになったのをグッと堪える。それと同時に胸の鼓動がうるさくなった。
前に座る男性は、先日、忘年会で課長を助けてくれたお医者様だったからだ。
(まさか、美玖さんの従兄弟だったなんて)
世間は広いようで狭いものだ。改めてそれを実感する。
しかし、今の彼は課長を助けてくれた日の彼とは少し様子が違う。
以前の彼はもっと柔らかい雰囲気で、笑顔もとても優しげだった。人懐っこくてほんわかしていたから小児科の先生かなぁと思ったほどだ。
しかし、今の彼にその優しげな雰囲気はなく、どこか不機嫌そうに見える。
「こんばんは」
挨拶をしないのも大人としてどうかと思い、頭を下げる。
だが、彼はそっぽを向いて「どうも」と言うだけ。冷たい態度にちょっと幻滅してしまう。
とはいえ、これは私にとっては好都合だ。
目の前の男性がどれほどステキな人だとしても、私は男性とお付き合いする気は毛頭ない。
それも私にとっての鬼門、眼鏡男子ときたもんだ。これはもう問答無用で恋愛対象外である。
私は、とにかく彼に嫌われたい一心でこの場にやってきた。
そして彼も、どうやらこの場所にいたくないらしく機嫌がとても悪い。
この調子なら、あちらから断ってくれそうだ。
だけど、念には念を。彼に嫌われる努力をしておかなければ。
美玖さん曰く、『彼のタイプは、元気いっぱいで自分を持っていて、変に媚びたりしない女の子』だとか。さらに、あんまり女の子女の子していない方がいいらしい。
それなら、その真逆を演じてしまえばいい。
優柔不断でなよなよしていて、媚びを売りまくりの女を前面に出したキャラになれば、彼は私と付き合いたいなどと血迷っても言い出さないだろう。
(よし、この戦法に決めた!)
演技力など皆無の私がどこまでできるかわからないが、やるしかない。
「遅くなってごめんなさーい。お待たせしちゃいましたよね?」
媚びるように甘えた声で謝ると、彼は私をちらりと見てすぐに視線を逸らした。
「かなり待った。さっさとメシ食って帰りたい」
美玖さんの従兄弟である彼はそっぽを向いたまま、ぼそりと呟く。
よしよし、なかなかにいい調子だ。
不穏な空気が漂う中、私は内心ほくそ笑む。
店員を呼び、私は美玖さんとお医者様の彼にメニューを見せながら甘ったるい声を出す。
「何にしようかなぁ~。酎ハイだけでもこんなに種類があるんですよぉ。迷っちゃいますぅ」
美玖さんは一瞬ぎょっとしたけれど、すぐに私の意図に気付いたらしく、呆れ顔だ。
二人は頼むものを決めたのに、私はまだ決めかねているというポーズをとった。
美玖さんたちと同じものにしようと決めているけど、敢えてそこは優柔不断な女を演じる。
「えーっと、オレンジとグレープフルーツ。どちらがいいと思います? 私、決められなぁい」
わざと彼に聞いてみたが、「別にどっちでもいいんじゃない?」と投げやりだ。
私はそれでも懲りずに、科を作る。
「でもぉ、お二人がビールなら私も同じものにしちゃおうっと」
私は舌っ足らずの口調で瓶ビールを注文する。
少々お待ちください、という店員の声を聞き、こっそりとほほ笑む。
よしよし、作戦成功だ。この調子で徹底的に嫌われようじゃないか。
もっと優柔不断で、一人じゃ何もできない女子を演じなければ。
ついでに媚びを売りまくる女にならなくちゃ!
だけど、意外に疲れるな、これ。
内心冷や汗をかきまくっていると、店員はすぐさま注文の品を運んできた。
ありがとぉうございまっすぅ、と笑顔で言ったが、明らかにイントネーションが怪しくなったし、舌を噛んでしまった。
これは思ったより大変なことになりそうだ。背中に冷や汗がツゥーと流れたのがわかる。
それでも気持ちを切り替え、グラスを二人の前に配ろうと手を伸ばす。
だが、私より先に美玖さんの従兄弟である彼がグラスを手にし、こちらに差し出してきた。
彼は何故か、あの日と同じ爽やかな笑みを浮かべている。
そんな彼に、私は「あれ?」と不思議に思って目を丸くした。
ギスギスした雰囲気だったのに、いつの間にか友好的な視線を向けられている。
先ほどまでの不機嫌さはどこに行ってしまったのか。
戸惑う私に、彼はにこやかにほほ笑む。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございますぅ」
一体どういうことだろうか。
差し出されたグラスを受け取った私は、そこにビールを注ぐ彼を注意深く見つめる。
すると、彼はハッと目を見開いた。そして慌てて「別に……」と横柄な態度に変わる。あまりのギャップに目を見張ってしまう。
私の探るような視線に気が付いているのだろう。彼は、ごまかすみたいにビールを飲んでいる。
私が見つめ続けていると、焦りを感じているのか、挙動不審になってきた。
空になったグラスをテーブルに置こうとして転がしてしまい、焦っている。そうかと思えば、何度も眼鏡に触れてクイッと押し上げる。
とにかく落ち着きがない。見ていて滑稽なほどだ。
私が見守る中、明らかに目が泳いでいる彼は、二杯目のビールを飲み干した。
「早く帰りたいんだけど」
グラスを置きながらそう冷たく言い放ったくせに、ジャケットを脱いで寛いでみせたあと、慌てて着直す。
もしかして、彼も自分を偽っている……?
突如として態度が変わったのを見て、確信に近いものを感じた。
年末の姿が本当の彼で、今の彼はわざと横柄に振る舞っているのかもしれない。
理由はきっと私と同じ。彼も誰かと付き合いたいとは思っていないのだろう。
チラリと美玖さんを見ると、呆れ顔でビールを飲んでいる。やっぱり気が付いているらしい。
美玖さんに咎められないよう、サッと視線を逸らす。
二人して偽りの姿でやりとりをしていれば、素の姿を知っている彼女が違和感を覚えるのは当然のことだ。
やがて、美玖さんはグラスをテーブルに置き、口を開く。
「ちょっと二人とも。いいかげんにしなさいよ!」
美玖さんがついにキレた。
怒りつつも半ば諦めた様子の彼女は、大きなため息を零したあとで改めて彼を紹介してくれた。
「遙。こちら私の従兄弟の黒瀬新くん、三十五歳。遙より八つ年上よ。ほら、春ヶ山駅の近くに黒瀬医院ってあるでしょ? 昨年祖父が引退したから新くんが院長をしているの。仕事にかまけすぎて未だ独身。そして何年も彼女なし」
美玖さんが彼――黒瀬先生の紹介をしている間、彼は黙ってビールを飲み続けている。
それを歯がゆく思っているのか、美玖さんの眉間に深い皺が刻まれた。
「で、あまりに女性に興味がなさすぎて将来が心配だと親戚たちが言い出してね。私に誰かいい人を紹介できないか打診が来たというわけ」
今まで静かにビールを飲んでいた先生だったが、グラスをテーブルに置くと美玖さんを睨みつけた。
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